立春のこえを聴くと、何故か梅の花が観たくなる。心が沸き立つのである。まだ、寒さの残る中を、背筋を伸ばしたように凛と咲き、芳しい匂いをさせる。我が家にも鉢植えであるが、一面の梅林の見事さは、例えようもない美しさである。奈良県の、月ヶ瀬梅峡に、数十年前に行ったことがあるが、山という山を埋め尽くした梅の木に、圧倒された。
枇杷葉も、梅も、古来からある民間薬で、自然の中で育まれ、人々の命を守ってきました。梅は、腹痛や風邪の予防、解毒作用もあり、枇杷葉は、疲労回復や浄化作用、擦り傷、切り傷、捻挫、腰痛など、効能は数え切れず、様々なことに役立ってきています。夏の暑さ当たりにも効果があり、花粉症や、自律神経失調症への効果は、最近わかってきたことです。
野菜や米も、有機栽培より、自然栽培がいいのですが、枇杷葉茶は、そのものずばり。体の仕組みや組織細胞を、自然治癒能力によって、高めることに徹します。人間の体も、いらなくなった細胞は、垢として剥がれ、角質も古くなれば落ちていきます。でも、実際には思ったようには落ちません。枇杷茶を飲み、枇杷湯に入り、リンパ線マッサージが効果的です。
枇杷葉には、細胞を活性化する働きと、皮膚の漂白作用があり、艶やかな肌と、潤いのあるしっとりした自然な体にしてくれます。特別なことや、高価な化粧品でなければできないのではなく、日々の励みが効果を現します。三日坊主では成り立ちません。諦めない、挫けない、枇杷葉の持っている自然のエネルギーを借りるのです。
どんな小さなことにも感謝して、食べ物も戴き、生かされていることのありがたさを、神に祈ることです。ここでの神は、全知全能の神、即ち宇宙です。命そのものを司る神は、自然の中にあらゆる所に居て、命を紡いでいるのです。そういったことを考えもしないで、便利だったり、快適な生活を優先して、人間の生命維持を絶ってしまっている。
人間の体は、病を得れば、苦しみや痛みを和らげてくれるのが自然なのに、思い遣ろうとはしない。確かに、命は永らえられればそれに越したことはない。だが、生まれ変わってくることも可能なのを気づかない。平凡な人生でも、自分の思うように生きれる方がよく、派手な生き方が素晴らしいとは限らない。人生の舵取りは無限大だ。
小雪の舞う寒中であった。雪は溶けたが、まだ寒い。鉢植えの枇杷葉。西側に置いてあるのだが、ちょっとした風にも倒れる軟弱さ。4年目の木です。今年は、しっかり根を張るかな。