枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

水無月も・・・

2017年08月21日 | Weblog

 秋の気配も濃くなる頃となり、そろそろ水無月も終わる。今年は、閏皐月が入っているので、大幅に月日がずれる。花々の咲くのにも、季節感が薄い。朝顔等やっと本格的で、桔梗も名残咲に忘れたように咲いている。秋の花と言われる所以。

 昨夜は、蒸し暑く中々寝付けなかった。早朝から起きた割りには、気分が高揚していたらしい。文庫を読みながら、うとうととしたが、それもすばるが破る。間仕切りに駆け上がって、飛んでいる。猫のサーカスをする心算か。バリバリドタバタン。

 小さい頃、風呂敷を首に括って、押入れから布団を落とし、そこに跳んでいた息子を見たようで、可笑しくてならなかった。布団を外に干している時にはしない。雨で遊びに行けない日に遣るのだ。それも、一寸の隙に仕出かす。腕白の悪戯。

 銀河が居なくなって、暫くは静かそのものであったのが、急に騒々しい。従って、置物や何やかや、手近な所にあるためで、片付けようにも仕舞えない。それが当たり前で面白いらしい。ふなっしーが崩れる。そこら中、散乱して足の踏み場も。

 リエさんから送られてきた、梨は幸水で、早生の一種だろう。玉の大きさも格段に立派で、1個で十分な腹具合になる。友人、知人、娘夫婦に分け、その残りを職場で戴く。父の郷が鳥取なので、東郷へは何回か梨狩りに行ったことがあるが。

 そろそろ黄金桃が出荷される。殆んどが缶詰で出回るので、生の味は知らないことも。あの少しばかり酢ッぱさの味がいいのだが、季節限定でもある。白桃も、清水白桃が上品で美味しいが、他の種類も捨て難い。葡萄と林檎も注文済みだ。

 人間が、宇宙を観上げるのは、何を目的とするのだろう。主には、農耕の時期や、作物への影響を知り、潮の満干潮や月の満ち欠けにも留まる。暦は、重要な役割を果たしてきた。昨今は、人間の勝手都合の優先となっているのは淋しい。

 何も考えないで、宇宙を観る。そこに輝く星々に、生きていることを感謝する。命のあることに祈る。

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気忙しい日曜日

2017年08月20日 | Weblog

 今朝は5時起で、酢飯を作る。勤務先に持って行くのであるが、ネタも冷凍ながら準備する。早出であるため、大急ぎで準備したが、遅刻する所であった。休憩時間には握って食べさせ、自分のは、そのまま口に入れる。稲荷寿しは頼んでおく。

 それにしても、気忙しいことである。業務もこなさなければならずで、ご飯を仕掛け洗い物をして、デザートの用意に、むろん介助もある。時間との遣り繰りをしながら、息つく暇も無い。結局、午後2時近くで、やっと落ち着く。珈琲が美味しいねぇ。

 帰宅すれば、何か様子が変である。窓を網戸にし、行水をし終えてみれば、すばるが悪戯をしでかしていることに気づく。ゴキブリの屍骸ではなったが、電球は付かない、トイレはぐちゃぐちゃだ。昨日換えたシートがビリビリに。淋しかったのか。

 すばるを叱ってはみたが、揺れる物や、高い場所にある物は、興味が尽きないらしく、そこは猫の本能そのままに行動するようだ。然し、同じ猫でも、銀河は素知らぬ顔であったがなぁ。それでも悪いということは分るようで、しょんぼりしている。

 寒くなれば、多少は大きくもなり、いけないと叱られたことは憶えているだろう。今も、ごめんなさいをして、おとなしくなった。小さいのに、留守番をさせ、独りぼっちにさせているのは辛い。かといってつきっきりにはなれない。聞分けてちょうだい。

 餌とお茶は十分に与えて行くが、元気であれば悪戯はする。然し、その度合いを越えれば、叱りおくことも。猫であるからと、何でも遣っていいことはない。人間も然りで、遣りたい放大では困る。躾はしておかねばなりません。猫にも分るのです。

 朝夕の気温が、随分と凌ぎ易くなり、網戸にして寝ると、寒い温度になる。風邪を引くのもつまらないないので、通草酒を甞めておく。生で食べるのもいいが、焼酎に漬けておくのが、腐らなくて持ちがいい。今年も、リエさんに送ってあげよう思案中。

 リエさんのにしている枇杷葉。初生りにしては、たくさんあったし、木丈も随分と育っている。今年はどうだろう。

 

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破れ被れの・・・

2017年08月19日 | Weblog

 佐藤愛子さんと言う作家を、認識はしていたが、作品は読んでいなかった。面白くない、と言うのが正直な感想で、お兄さんが有名な方であるから。と単純に思っている。今、急に人気が出てきたようだが、昨今の情勢には中々愉しい。

 還暦を過ぎた辺りから、何かと呆れる事が増えた。時代が違うと言えばそれまでだが、何故老人・高齢者が、可愛いと謂われなければならないのか。真っ平御免である。以前にも書いたが、可愛いのは、何の手立ても無い庇護のことだ。

 服を可愛い、仕草を可愛い。とは老人を莫迦にしていよう。言葉を知らないのは、若い者であるとばかり思っていたが、同年代の口からも平気で出る。辞書を引くか、本を読め!と怒り心頭にきている。わたくしは、など謂われたくもない。

 そういった気分の者には、佐藤愛子さんの著作は、水を得た魚だ。小気味が好く、胸すっきりと爽快である。死に損無いの婆さんの繰言で、大声で云わぬだけであり、腹の中では思っている。介護の世界というか、現状の実際問題だよ。

 施設に放りこみ、面会にも来ない家族。来ても、理由をつけて直ぐに帰る。唯に事欠いて、眠っていて噺ができないだの。何も分らないようですね。って、自分等が放置しているからでしょう。小まめに訪ない、身体に触り、心を向けてれば。

 誰が好い悪いという問題ではなく、心の持ち方であろうか。どんな状況であろうとも、親子は変らない。親が子を思い、その愛を親に尽くす。あたりまえの行為であるのに、遠いからとか、忙しいからと言い訳をするのに、施設は持って来い。

 昨夜、遷す程降った雨も、明方には上がって、今朝は青空が広がった。布団を干し、洗濯物を広げ、すばるのトイレを替え、何となくのんびりとした。夕方には、茗荷を茹でておこう。明日の握りの段取り。勤務先では稲荷寿しの予定です。

 今年の、新暦の元旦。仕事に出ての帰り道、宇宙に浮かぶ月の姿に見惚れる。旧暦では正月は休む。

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留守番してるよ

2017年08月18日 | Weblog

 今朝は、過ごし易い気温で、出窓の所で眠っていたようだ。帰宅すると飛び出して来た。汗をしているので、行水をし着替える。パソコンの前に座った途端、脇に潜りこんで甘える。一頻りちゅうちゅうと腕に吸い付いて、毛繕いをしている。

 自分の餌があっても、こちらが食事を始めると、どうにも気になるようで、確認をしてくる。未だ母親の乳が恋しいらしく、眠る時には本気で吸い付く。可愛くもあるが、幾つも痣ができてしまうのに閉口する。お利口で留守番をしているんだ。

 銀河は、ちょっと大きくなっていたからか、売れ残りであったからかは分らない。すばるように甘えたことはなく、どちらかといば冷めていたかな。尻尾は曲がっていたが、器量はよかった。猫の顔も、ニャク面らしいと気づく。お転婆が過ぎる。

 すばるの尻尾は、しなやかで長い。今も、自分の尻尾で玉を取っている。然し、どじでもある。前をよく見て行かずに激突する、思い切り走りこんで転がる。飛び上がって落下する。全く持って厭きない。留守の間は、疲れて眠っているのか。

 リエさんが、ふなっしーの梨を送ってくれ、職場に持って行ったり、友人や娘等にも分けた。知人の所から最後の桃が届く。有り難いことです。産地直送ですから新鮮そのもの。枇杷は何とか生るが、桃は用地もなければ作業も難しいの。

 明日が誕生日と言う知人の子ども。学童保育に来ていたので、本とプレゼントを渡す。妹にはシンデレラのワンピース。顔を輝かせて歓んでいた。きっと自分にもらえると思ってはいなかったらしい。うれしそうな孫の様子に、祖父さん驚く。

 静かになった、と脇を見れば、疲れたのか椅子に伸びて寝ている。気温も丁度好くて、気持ちがいいのだろう。すやすやと寝息を立てている様は、人間の子どものよう。何となく可笑しさが込み上げてくるが、あらっら、伸びてしまったみたい。

 勤務先で、UFOキャッチャーで取った、というのを貰う。暫く飾っていたが、知人の児が気に入って持ち帰る。

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水無月ではあるが

2017年08月17日 | Weblog

 入道雲の姿は見かけず、梅雨の時期の空模様である。晴れたと思えば崩れ、気づかぬ間に降っている。それでも、風があれば心地好いが、どんよりとした天気に、少々農作物が気掛かりである。米は、暑くなければ収穫が心許ない。

 人間は、自分達の都合勝手ばかりを優先するが、自然では通用しない。そうしてみると、今年は小蝿の発生が少なかった。その反面、ゴキブリが異常に多い。冬に暖かく、夏には涼しい環境が出来上がり、繁殖は居心地の好さかな。

 今月も、既に半分の日々の越しかたで、年末に近づく。年齢を重ねていくと、月日は矢の飛ぶように早く過ぎる。況してや、停まることもなく、時を刻んでいく。自分の想いとは裏腹に、何もしないでいることの多い暮らしだ。いかんなあぁ。

 身体の機能の不調にも、歳は勝てない。幾ら病院に行って、医者に罹ろうとも、結果は明らかである。これを納得して騙し、何とか残った機能を使う。還暦を越えると、更に加速が速くなる。ここらで少しは、休養もいいのかもしれない。

 激務を終えて帰宅する。玄関を開けると、式台に飛び出してくるすばる。最近は、いってらっしゃいや、おかえりなさいをする。尤も、餌が足りていれば、目覚めたばかりの、欠伸をしながら出てくるので、随分慣れたものと感心するばかり。

 然し、慣れた分、悪戯は度を越す。そこら中に飛びつき、駆け回るのに叱らねばならない。蛍光灯の紐にぶら下がり、落っこちるのには呆れ返る。兎に角、上の方の何かしらに、興味が尽きないようで、どさっと言う音がする。お転婆です。

 食べ物は、ご飯、素麺、茹で卵、パンやサラダも好む。猫なので、熱い物は苦手で、顔を背ける。然しアイスクリームは、何でもいいらしく、よじ登ってきて嘗める。歩いておるとじゃれ付く。傷だらけになるし、歩けないので困り、踏んずける。

 この枇杷葉は、植えて4年目に生る。種が発芽してからは、7年位かな。窮屈そうになったが、花芽がつき生った。暁子さんを偲んで。

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いせひでこ展へ

2017年08月16日 | Weblog

 県内であるから、近いと言えばそうだが、何分不便な場所で、遠く感じる。丁度、娘夫婦と約束が出来、運転手もしてくれると言う。小一時間の距離だが、道を知っているらしく、すいすいと行ってくれた。館内には人も疎らで、じっくり観賞できた。

 いせひでこさんは、鬼ケ島通信の最初から入っておられ、あの独特の絵が好きであった。購読して一番に見るのが楽しみだった。何時の頃からか抜けられ、直接お話をすることはなかった。鬼の会員としては、足を運んでおきたく行くことにして。

 個展のスペースは、図書館の隣をゆったりと設けた場所で、のんびりと気儘に観て回れる。娘等が一緒なので、丁寧には観られなかったが、個人的には満足いく内容だった。絵本の販売もしており、最初の質問を求める。他は持っているので。

 帰路、昼食を道路脇の店に入る。鳥の唐揚げが美味しそうで、定食を頼む。我々の後に、大勢の人が押し寄せ、椅子のないことから、諦めて行く人も。唐揚げは、持ち味を生かしてあり、レモンを絞り、醤油味で戴く。素材を大切にしていて好し。

 帰宅して、娘等に梨やら、枇杷葉の生葉を採ったりとして、持ち帰らせる。往復の運転もだが、休みを付き合ってくれた礼もある。アイスクリームを託けたので、早く帰れと送り出す。着替えて一息つく。すばるは遊んで、と足に纏わって引っ掻く。

 三連休も終わり、明日からは仕事である。日曜日には、稲荷寿しをする手配で、段取りを考える。茗荷を甘酢で沸騰させておくかな。酢飯だけ持って行って握ろう。他人のためにするのも。自分の労力の消費ばかりだが、損な性格であるなあ。

 天気だが、湿気の多い日で、何となくすっきりしない。冷蔵庫の調子が悪いのかな。東芝のである。面倒を起さないでほしい。また買い替えとなると、持続年数は短い。こんなにはやく壊れるなら、修理費ももったいない。困ったものであるよ。

 サンタ枇杷葉。品種は田中で、甘酸っぱさがあり、果実は大きい。鶏の卵大で果汁もたっぷりある。

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終戦の日・・・

2017年08月15日 | Weblog

 何処の国が発端でも、戦争はしてはいけない。人が人を殺す行為を、平気でできるとは思えないが、上司からの命令となると、加えて、自分の生命の危険があれば、遣ってしまうかもしれない。朱に交われば紅くなる。とも言うが平常心でなければ。

 戦争を始めた人等は、下々の者には、尊い命など存在しない。と考えたのだろう。赤紙さえ渡し、連行すればいいのだから、切り捨ててもどうということはない。戦争をしてはいけない、間違っていると言う者は、引っ立てられた。今から、72年以上前。

 この日が来ると、祖母は仏壇の前に、暫く座ってじっと眼を閉じていた。還らぬ息子を想い、涙さえ出なかったものと、今なら察せるが、子どもの頃には、その意味さえ分らずであった。わたくしは、戦争を体験したことはない。亡くなったのは叔父である。

 祖母の、足が無くても、手が片方でも、生きてさえ居てくれれば。呻きにも似た呟きだった。戦争は、敵も味方もない。殺さなければ自分が危うい。シベリアで、食べる物も無く死んだ、という風の便りである。子を想う親の気持ちは、いつの時代も変らず。

 ご先祖のお墓掃除に行く度に、叔父の遺品は何も帰らずであったのを思い出す。大きな石塔には、骨はむろんのこと無い。魂だけが宇宙を漂っているのだろうか?誰かの命に転じて、新しい人生を生きているのか。祖母が亡くなって、既に45年経つ。

 戦争をして、得する者は企業だけだ。大手の会社が丸儲けをして、命の危険に曝されるのは従業員の下っ端である。武器を造るのは公でなく、密やかに人知れずである。それらを買う者がいれば、売る者も当然存在する。地球を滅ぼさないで・・・。

 昨年の、白枇杷には、苞の状態で枝先に群れていた。小寒から、少しづつ綻んで咲き始め、辺り一面に芳香を撒いた。

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身体は正直・・・

2017年08月14日 | Weblog

 勤務の内容にも、同僚との協力にも依るが、身体の衰えは止められない。頭の方も、停滞勝ちで、さっぱり機能しない。これでは、明日の身も案じられるが、かといってどうすることも間々ならない。じたばたしても始まらない、と既に諦める心境。

 今朝は、何時ものように目覚めるが、休日なのを思い出し、ゆっくりと布団の中で過ごす。気温も、暑からず寒からずの涼しさで、すばるがお腹を空かせて起しに来る。どっこししょ、と起きながら、急にカーテンを洗っておこうと思い立ってする。

 破れたカーテンを処分し、新しいのと替え、洗っては干す。一頻り洗濯機を回して、時計を見れば昼である。布団を仕舞い、昼食にしながら、カーテンの乾き具合を見る。外は曇りになったが、何とか乾きそうだ。百日紅が綺麗に咲いているよ。

 枇杷葉は、新芽の出たのが、大きな硬い葉に変っている。鉢物の草を抜いたり、枯れた花を処分する。枇杷苗の植え替えもしたいが、冬にならねば難しい。鉢が窮屈になっているのもあって、気掛かりではあるが。のびりとできることに感謝す。

 いせひでこさんの個展に、娘夫婦と一緒に行けることになり、時間を決める。不便な場所なので、車で行くのが妥協。出歩くのは相当の覚悟で行くが、好きな画家さんなのもうれしい。末吉暁子さんが、お元気でいらしたら、と感慨深く複雑さも。

 三連休で、ゆっくり休めるが、疲労困憊の身体は、実に正直なもの。好きなことに没頭するには、何等支障ないのだ。年齢を重ねていくのも、心身共に、納得してなら好いのだろうが、見かけだけの年齢では、どうにも怪しい。何事にも感謝だ。

 すばるは午前中、走り周って疲れた様子で、板敷きの上に延びている。ゴキブリの動きが珍しいのか、追っかけて遊んでいる。わあぁ!洗濯物の間に突っ込まないで。得意そうに見せるが、もう一度洗わなくちゃ。昔、鼠で、今は、ゴキブリ。

 花芽の束を作ろうと思える位、たくさん咲いた。匂いが、素晴しくいいが、油断していると、虫に食べられる。

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曇り、月夜ながら

2017年08月13日 | Weblog

 午前零時を過ぎたので、すばるの相手を暫しして、洗濯物を干しながら宇宙を観上げる。月が出ており、条件は良くはないが、半々かなと、米を研いで仕掛け、携帯とデジカメを手に外に。雲が丁度カシオペア座の下を覆っている。

 流れた。小熊座の方向から、大きなのが出た。カシオペア座の中からは、小さなのが幾筋も出ているが、じっと観ていなければ分らない。デジカメで天の川の辺りを撮影し、ペルセウス座の近辺も写しておく。と、三連の流れ星が。

 今年も観られたことに感謝。深夜まで眠っていたので、しっかりと観望できた。山の日が出来て、5連休となっている。介護には休みは無いが、天体ショーは千歳一隅のチャンスを、見逃す手立ては無い。盂蘭盆会は休みとしてる。

 天文ガイドを購読していた頃は、胎内星祭りに行ってみたく思ったものだが、藤井旭さんのおられた白川天文台も、今は閉鎖されており、むろんチロは、宇宙に居る。かろうじて、天文年間だけは、毎年求める次第だが、淋しいもの。

 時代が変わっていくのは、これは仕方の無いことと思うが、宇宙の星の動きや、異変を知れば尚、心は豊になっていこうと考えるが。昨今の保護者の過保護と、世間の事情とが複雑でもあるな。家内に居て、隣近所の迷惑顧みず。

 自宅では、静かに読書をして過ごしたいのだが、雑音が騒がしいので、この半年ほどは、タイガースのCDで遮断している。夏場には、網戸なので余り大きくもできないが、自分の範囲内であれば、外の音が聴こえない分あり難い。

 日曜日は勤務に出る。平日を休めば、これが静かで佳い。但し、月曜日のことが多いので、出かける範囲は限られる。図書館や展示日も、閉館となるのは迷惑だ。田舎の図書館は特に、他の日も休日とするのに閉口するばかり。

 佐藤さとるさんの著作を読みながら、ストーリーの確かさと、面白さに心が新しくなる。何度読んでも、同じ場面ということがなく、目の前に広がる場面の展開に、心が弾む。やさしい小父さんという方で、大好きな作家さんであった。

 冬の陽射しに、少しづつ開いていく。これも、丹精籠めている割りには、花が少ない。然し、愉しみは佳い。

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明日、未明に・・・

2017年08月12日 | Weblog

 さて。今晩は、早く寝ておいて、明日の未明には起きよう。明方の月の姿が、西に傾く頃。カシオペア座を見つけたら、そこから少し東に、更に下へと辿ると、ペルセウス座がある。輻射点がペルセウス座なので、その名の通りに呼ばれる。

 流星群を観るのは、寝転がってが一番好い。宇宙が観える場所なら、何処でもいいが、可能な限り、開けた広い所が良い。子どもが小さかった頃には、天文所に出かけた。孫等は興味の対象が異なる。今回は、すばるを相手に観望だ。

 朝、餌をきちんと遣っているのに、ご飯を食べだすと、頂戴と膝に登る。然し、炊きたては熱いので冷ましてと言う。こちらの一口を、にゃうにゃうと言いながら食べ、満足して顔を洗い出す。きっと井戸水で炊きたてなのが美味しいのだろう。

 介護の業務内容は、至って明瞭ではあるが、体力も気力も持たないことがある。よくもまあ、親身になってのことが可能かと、皆が協力して行う。家族の方に感謝されるが、人間として当たり前のこと。施設であるからとかでなく、人生の先輩。

 大正から、昭和の初期には、日清・日露戦争があり、第二世界大戦の火種が燻っていた。中国への侵略や、朝鮮民族への差別等、酷い事を平気でしてきたものだ。歴史を振り返る度に、心が絞めつけられる。戦争の良い事って何だろう。

 強い者が、弱い者を虐めたり、騙すことをして、財産を巻き上げてしまう。そんなことが平気で行われていた事実に、憤怒の想いをするが、ではどうすれば、彼等を助けられたのだろう。内容は多少の違いはあっても、時代の流れは停まらぬ。

 宮部みゆきさんの、蒲生邸事件。なす術もない主人公の想いに、幾重にも重なる時代のベールを感じた。人間の持つ力など微々たるもので、非力なことに変わりない。何時も、何物にも変えがたいのは、お互いを思い遣る愛の存在だけだ。

 庭の西側に植えてある枇杷葉は、寒さに結実はしない。花芽は付くので、花芽茶専用の、枇杷葉とした。

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