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ご訪問を頂きまして有り難うございます

鎌倉を訪ねて 

2008年01月23日 13時58分55秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

昨年12月の鎌倉散策でしたが歴史倶楽部として13年連続実施した「秋の鎌倉」は今回が最後と伺っておりましたので、忘れかけた記憶を  を頼りに記録に留めておきたいと思います。 

             千葉実年大学校 歴史倶楽部 12月定例会
           1.開催日 : 平成19年12月2日(日) 参加者26名
                       平成19年12月7日(金) 参加者38名
           2.集  合 :JR鎌倉駅・江ノ電側「改札口」を出た広場 9時30分
           3.行  程
1)江ノ電乗車「鎌倉」 → 「腰越」着
  腰越周辺は、昔からの漁業の町です。毎朝つり船が出ます。新鮮な魚が獲れます。
            
                     珍しい路面電車
2)龍口寺:腰越駅より西へ徒歩10分
  日蓮上人の龍ノ口法難の刑場跡に延元2年弟子の日法が建立した日蓮宗の大本山のひとつ。
  見事な彫刻を施した山門は江戸時代の作。
  裏山に登ると仏舎利が、五重塔の意匠も見事です。
  日蓮上人が閉じこめられた「土牢」も残っています。

 
 

  
3)満福寺:腰越駅より東へ徒歩5分       
  行基が天平16年に悪病の流行を鎮める為に開いた寺です。京都大覚寺派真言宗です。
  元歴2年5月、源義経が平家を滅ぼし凱旋してきたおり、頼朝に鎌倉入りを拒まれ当寺に逗留した。
  弁慶が頼朝の勘気を鎮めるため「腰越状」を書いた地として知られる義経ゆかりの寺です。
  満福寺本堂内の襖は義経や弁慶の物語を鎌倉彫の技法による漆画となっており、天井には鎌倉彫の花の絵が描かれています。
 

                                    
  

 
               
                          弁慶の腰掛け石
4)小動(こゆるぎ)神社:満福寺より5分
  小島岬の一角にある神社。地区の氏神で、腰越五ヶ町の鎮守。
  境内にある展望台からは、江ノ島から三浦半島までがパノラマ展望出来ます。

 
                                 
5)昼食「秋田屋」:満福寺より徒歩2分       
  秋田屋は船宿で、毎日釣り人を乗せた船が沖に出るそうです。
  生しらす、生のり等新鮮な海の幸に舌鼓を打ちました。
6)江ノ電「腰越から江の島(藤沢市)」へ       
  江の島駅から徒歩15分で島内へ。
  周囲4kmの断崖絶壁の小島で、島全体が江島神社の境内です。
  島内の道路も殆ど参道です。
7)江島神社
  1,400有余年昔、欽明天皇の代から風光明媚な霊島。
   源頼朝が武運祈願に弁天像を祀った。
   御祭神は、天照大神が須佐之男命と誓約された時に生まれた神で、三人姉妹の女神です。
   江島神社は「辺津宮(へつみや)、中津宮および奥津宮」の3宮の総称で、それぞれに海の守護神である女神を祀ってあります。
   弁財天は特に、音楽・芸能の守護神として有名です。
             
            日本三大弁財天を奉る江島神社             竜宮城を模して造営された御神門       
 ①辺津宮(下の宮):建永元年(1206)将軍・源実朝が創建。江島神社の一番下に位置しているところから(下の宮)とも呼ばれています。
 ②中津宮(上の宮):創建は仁寿3年(853)、平成8年に全面改修により、元禄改築当時の中津宮を再現した。
            幣殿、拝殿の天井には花鳥画や彫刻が施され、境内に奉納された石燈籠寺は江戸時代における商人、芸人、庶民の信仰の深さを物語っています
 ③奥津宮(本宮・お旅所)一番上の姉で安らかに海を守る神様。
     
養和2年(1182)に、源頼朝により奉納された石鳥居yさ江戸の絵師・酒井抱一が拝殿天井に描いた、どこから見てもこちらを睨んでいるように見える「八方睨みの亀」は有名です。



 ④展望灯台:旧展望台は昭和26年3月植物園と共に開場。
  施設の老朽化に伴い平成15年4月改装されました。
  海抜114mの展望室からは、富士山、伊豆半島等が360度のパノラマ。
  
        入場券                  展望室より
 ⑤稚児ヶ渕:奥津宮より5分        
  関東大震災の際、隆起現象で生まれた海蝕台地。背後は断崖絶壁
     
 

 ⑥江の島岩屋奥津宮より10分
  波によって造られた海蝕洞窟、かつては本宮と呼ばれ、九州宗像の三女神と共に、その奥宮には弁財天が祀られ、江戸時代より多くの参拝者が訪れた所です。
  その昔、役小角、弘法大師、日蓮上人、一遍上人が修行し、源頼朝が戦勝祈願をし、子孫繁栄を祈願した北条時政が龍神から授かった三つの隣を家紋にしたなどの言い伝えがあります。
  洞窟の中は多少の灯りはあったように思いますが真っ暗に等しく、入り口でろうそくの火を頂き、腰をかがめ、足下をかばいながらの見学は注意を要しました。


       岩屋に向かう橋

<最後に一言>
 記事を書いていて疑問に思いましたのでHPに質問しましたら下記の回答を頂きました。

「江の島」と「江ノ島」 どっちの書き方が正しいの?

普段なにげなく使っている 「えのしま」 という地名ですが、少し調べてみると、地図や住居表示はひらがなの 「の」 を使っているのに対し、郵便局や交通機関はカタカナの 「ノ」 とと混在して
いますし、古くは 「江島」 などと書かれていたようで、有名な 「江島神社」 は
この表記になっています。
これについては、それぞれ名前を付けた時代で公的文書の書き方も変わっていることから、それに倣っているようですが 「江ノ島」 から 「江の島」 への変更は、昭和 41年10月に藤沢市により
新しい住居表示が施行され、また昭和 44年 1月 には藤沢市観光協会により
表記を 「江の島」 で統一する運動が行なわれています。
ただし 「江島」 「江ノ島」 を使っている史跡や交通機関などについては、歴史もあることから、変更せずに現在に至っています。
どちらが 「正しい」 「間違い」 という訳ではないようですね。」
といただきました。

以上、とても充実した有意義な旅に参加できましたことに幸せなブログを綴ることが出来ました。   
13年もの長い間、「秋の鎌倉」を企画して下さいました歴代の会長さんを初め現役員の皆様に厚く御礼を申し上げます。
今後の企画を楽しみに致しております。   

コメント (10)
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