東京大空襲より69年「平成26年3月10日春季慰霊大法要」が営まれました
東京大空襲=毎日新聞より
1945年3月10日未明にあった東京大空襲では、約300機の米爆撃機B29が焼夷弾を無差別に投下し、隅田川両岸の下町一帯に大きな被害が出ました。
約26万戸の家屋が焼失、100万人以上が被災し、原爆を除く通常の空襲としては史上最大規模の犠牲者が出たとされています。
約10万人が犠牲になったとされる東京大空襲から69年となる3月10日、東京都墨田区の東京都慰霊堂で、大空襲と関東大震災の犠牲者を悼む「春季慰霊大法要」が営まれ、
遺族ら約320人が参列されました。
法要には、秋篠宮ご夫妻や舛添要一都知事らも出席。
舛添知事は「戦争の悲惨さと戦災の脅威を語り継がねばならない」と追悼の辞を述べました。
春季慰霊大法要を前に線香を手向け、手を合わせる遺族=東京都墨田区の東京都慰霊堂東京大空襲“被害の全体像”1枚の地図で明らかに
以上の はNHK首都圏ニュース845の放映より、説明文章は毎日新聞より一部転載させて頂きました。
この度、30余年ぶりに娘の恩師とのお電話に先生の過去の悲しみ、69年前の東京大空襲にお父様と弟様が目の前で焼死されましたという衝撃の事実を伺い戦争の悲惨さを改めて
考えさせられました。合掌
幼い頃に思いして
小学校1年の秋の遠足で上野動物園でのお弁当の時間に、浮浪児と呼ばれていた多くの同年代の子ども達がおむすびを、お菓子を分けて欲しい!と。
私たちの学校は農家の子どもが殆どでしたので、おむすびや我が家に実った柿などを余分に持参して分けてあげることが出来ましたことが思い出されます。
宮城まり子さんが歌った 「ガード下の靴みがき」 の少年達はいつ頃まで行っていたのでしょうか?
「鐘の鳴る丘」 と言う共同生活の施設で過ごされた皆様、その後はいかにお過ごしになられたのでしょうか?
歌の題名は「とんがり帽子」ですがドラマの名前から 「鐘の鳴る丘」 と呼ばれることも多く「緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の 時計台・・・」 と言う歌がヒットしました。
根底には哀しい過去がありますのに素敵な歌のように口ずさんでおりました小学生時代が蘇ります。
辛い過去を乗り越え、ようやく平和な世の中に安堵しておりました3年前、3.11の悲劇、特に親を失ったお子さまにわが身が重なり、ただただ力強く生きて欲しいと願うばかりです
そして平成20年12月8日放映の 「石川光陽氏の33枚の真実」 は東京大空襲を物語る大切な写真と存じます。
その折の感想を詠みました。
六十三年甕(かめ)に隠して守られしフィルムは三月十日を証す
東京の惨状写す三十三枚一枚一枚に問いかけ巡る
背負ひゐし黒こげの赤子はかたはらに落ちゐて母の背のみの白く
空襲に焼かれし人らの脂にて言問橋に黒じみ残る
慰霊堂に空襲伝ふる写真展予想を超ゆる惨状ばかり
三月十日の映像いく度もくり返す焼夷弾の雨と焼け跡の叫び
B29のワッペン帽子に付けて元操縦士ら言ふ「戦争だったから」