ご紹介より
大東亜戦争ののち、シベリア抑留帰還の地として、13年間にわたり国内で唯一最後まで約66万人の引揚者と1万6,269柱の遺骨を迎えいれた、京都・舞鶴港を舞台にした望月龍平シアターカンパニー最新作!!舞鶴市の全面的な協力を受け、音楽劇として龍平カンパニーが日本の戦史の一端を描く
音楽は、既にシンガーソングライターとして多くのファンを魅了し、「鏡の法則」で演劇音楽も手がけ高い評価を得た ユウサミイ
Guitar,Vo.:ユウサミイ氏のご紹介 https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=nssJQK_NgdA
先日のライブの様子のブログ ユウ サミイ氏 出生地千葉市にて初ライブ
脚本は、ミュージカルの脚本・作詞・作曲家として「WAYOUT」を始め数々のミュージカル手がけ、ファンタジックな作風が多くの支持を集める まきりか を迎えるキャストはハートフルな
ミュージカル界の実力者たちが集結、ピアノ、バイオリン、ギターによる生演奏で珠玉のメロディが物語をノスタルジーに彩る
◆あらすじ◆
ある夜の舞鶴港、小樽から着いたフェリー。仕事をやめ、恋人からも振られ、自転車であてのない旅をするトモキが港に降り立った。
そこで、亡くなったはずの曾祖父・善吉と出会い、トモキをシベリアへの時空をこえた旅へと誘う。そこは第2次大戦後のシベリアのラーゲリ(収容所)だった。
トモキは善吉として、そこで生きることになり・・・
「君よ生きて」 のご紹介 https://www.youtube.com/watch?v=conx9VIw1ao
千葉公演ご案内のパンフレット ↑↓ はパンフレットより 舞鶴港で夫の帰還を待つ母子
舞鶴の皆様が町ぐるみで引き揚げ者を迎えていた再現シーン何年ぶりかの日本茶の接待に涙する帰還兵
フィナーレーは写真許可に会場の皆様が一斉に舞台に を向けました
舞台上で鑑賞された10名の皆様も一斉に を向けておりました
この度、「君よ生きて」を鑑賞のために会場に向かいましたら、先ず驚きましたことはほとんどが40代~50代のお若い皆様がお揃いにビックリ致しました。
出演者の皆様がお若く、ファンの皆様でしょうか?
戦後70年を迎え、戦争も過去の事と思われますが、世界に目を転じますと今も尚、紛争や、戦争は絶えず、尊い命が犠牲になっております。
歴史は未来に生かしてこそ、その価値が見いだされると思います。
この劇中に悲しい事実を2つ知ることとなり、何てお祈り申し上げたら良いのか言葉が見つかりませんでした。
その1つは、せっかく生きて引き揚げ船に乗船しても病気などで命の果てるお方も有りました事、亡くなられたお方は日本に上陸出来ず水葬にされたそうです。
「ボト~ン」と海に消えた戦友のあの音が生涯耳から離れませんでしたと。この度の劇をご一緒したお方がご自身が満州からの引き上げ時に思いを致し涙が止まりませんでしたと。
4歳の時の事だったそうです。
毎日海に何かが落ちたような「ボト~ン」という音が不思議で今でも耳に残っておりましたが、今日の劇から事実がわかりましたとお話下さって帰り道、涙が止まりませんでした。
2つめは、無事に引き揚げ船から下船して、舞鶴の皆様のおもてなしを受け、再会を約束してそれぞれの故郷に向かったそうです。
その中のお一人?と思いたい
故郷に着くなり、「赤だ」「赤だ」とののしられ、殴るの、蹴るので生涯を終えられたお方もあったそうです。合掌
今、私たちが手にしているこの平和を守っていくためには、過去の歴史をしっかりと振り返り、未来はどうあるべきかを考える必要があるのではないでしょうか?
戦争を知る世代も高齢者となりましたが、この度のように戦争を語り継ぐお若い皆様にお会い出来ました事の喜びに感謝を申し上げております。
大切なお時間を共有出来ました夏の夜の素晴らしい思い出を有り難うございました。
演出者の望月龍平様をはじめ、素晴らしいCASTの皆様、Guitar,Vo.:ユウサミイ氏他の皆様のますますのご活躍をお祈り申し上げます。
【田中唯介(ゆいすけ)さんが語るシベリア抑留者体験談】
http://www.sankei.com/west/news/150813/wst1508130085-n1.html
一部抜粋より
ソ連軍は東京ダモイ、東京に帰るんだという意味です。ダモイというのは帰るという意味です。東京に帰るために行くとソ連兵がしきりに言っていた、それを信じて汽車に乗った。
待っていたのは飢えと寒さと過酷な労働でした。寒さのあまり、指も凍傷で失いました。同じ人間として扱われることのない日々でした。
お腹が減って、蛇・蛙・バッタまで食べるんです。私も食べましたよ。ある兵隊は腹がすいて黒いものが落ちていた。食べたら馬糞だったんです。それで1週間で亡くなりましたね。
次は自分の番だ、次はお前の番だと、順番に死ぬのだという気持ちが流れていましたね、それは僕だけではない。だからあんまりそういうことは話したくない。生きていることが死ぬよりつらい。