平成28年7月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
先ず、人生僅か25年。とありますので戦死の年齢が30歳にですが、「任務は肉弾挺身隊」 ↑ になんと愚かな悲しい言葉でしょうか。
ご覚悟のお言葉に涙が溢れます。
残念です。ご冥福をお祈り申し上げます。
今号にも九段短歌12首の掲載を頂きましたのでご紹介をさせていただきます。
お目を通して頂けましたら嬉しゅうございます。
軍服の若き姿であらはれし母は元気かと愛しき亡父 甲州市 遺児男性
みんなみの父の慰霊の海碧く沈みし軍艦「いすず」はいづこ 富士吉田市 遺児男性
飲み水も川すらもなきペリリューに戦死せし父を偲ぶ真夏日 青森県 田中恭子様
献花する大統領の背に願ふ核兵器なき世の実現を 名古屋市 遺児女性
青錆びし靖國の屋根遊ぶハト若き御霊の老いず痛まし 南相馬市 遺児女性
梅雨さなか戦跡巡りて沖縄を忘れてならじ二十三日 長浜市 遺児女性
父の日など知るよしもなし戦ひに果てたる父の命日近し 鳥栖市 遺児女性
心して昇殿参拝すませども鳩が寄り来て靖國去れず 上田市 遺児女性
戦地からわが家案じる父のはがき検閲済のなぜか気になる 甲州市 遺児女性
亡き父は若き侭なり子は八十路倍の時過ぎいまだ恋ふる 呉市 遺児女性
父よりも五寸は高いと言ひし母遺品の羽織我の背に当て 浜松市 遺児男性
南海の大海原の風受けてラヂオ体操に一日(ひとひ)はじまる 千葉市 私(119首め)
友人の田中様のお歌の結句の偲ぶ真夏日にお父様はどのようにお水を確保されたのでしょうか。
厳しかった日常が浮かんで参ります。無念!の思いでいっぱいでございます。合掌
この度の洋上慰霊に、にっぽん丸のデッキで行ったラヂオ体操。
南の空の朝は遅く、南海の大海原の風を受けて薄暗い空の下で行いました十日間のラヂオ体操に思いを致しました。
今後二度と経験できないことと大切な思い出になりました。
お訪ね頂きました多くの皆様に御礼を申し上げます。
有り難うございました。