「追憶」ペリリュー島の戦い https://www.youtube.com/watch?v=5usfV9u7RRg
パラオ共和国が親日国である背景(HPより転載)
パラオ共和国の南端に位置するペリリュー島。
ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国と共に、第一次世界大戦までドイツの植民地であったパラオ共和国は、ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により、日本の委任統治の下に置かれ、
多くの日本人が移住、1935年頃には島民の数より多い5万人を超える日本人が、これらの島々に住むようになっていった。
ペリリュー島に米国軍が迫ってきた時、島民たちの中には日本軍と共に戦いたいと進言するものもあった。
しかし日本軍は決して共に戦う事を許さず、戦闘が始まる前に民間人をパラオ本島へと避難させた。
よってこのペリリュー島の戦いでは、民間人の死傷者は出ていないと言われている。現在もパラオ共和国が親日であるのは、こういった背景が関係している。
【ペリリューの戦い】日本人が知らなければならない大東亜戦争の真実を描いた映画 「追憶」 千葉劇場で12月16日(金)まで上映中です。 日本軍 アメリカ軍
戦死者 10,695名 戦死者 1,794名
捕 虜 202名 戦傷者 8,010名
2015年04月13日 に 天皇・皇后両陛下ペリリュー島慰霊の旅に感謝 を綴りましてからペリリュー島の悲劇を詳しく学ぶ機会を頂きました。
同時に日本遺族会発行の遺族通信「九段短歌」に投稿されてお出での田中様のお父上様がペリリュー島で戦死の事実を知ることとなりました。
この度、ペリリュー島で戦死されました田中様のお父上様をはじめ、多くのご英霊の皆様に哀悼の誠を捧げたく「追憶」を鑑賞して参りました。
田中様のお話から
「満州から転進されました南方を目指す私の父達の乗った能登丸は行く先の指示が出るまで横浜港に3日間停泊したそうです。
しかし、下船は叶わず昼夜横浜港を眺めておりましたとのことです。」
「このことは、ペリリュー島へ慰霊の折りに皇后さまからお話しをいただき驚きました、過去は全てがドラマですね。」と。
映画では、兵士の皆様は停泊中に家族に会える喜びを確信しておりましたと語られました。
下船出来なかった理由は?師団長だけが大本営に行って、いろいろな命令書なるものをもらうのみの停泊~ペリリュー島へ向かったそうです。
戦死されました多くのご英霊の皆様はどんなにかご家族の皆様にお会いしたかったことでしょう。残念!合掌
映画のナレーションは美輪明宏さんが担当され、最後は2015年にペリリュー島を慰霊されました天皇・皇后両陛下によります慰霊碑への供花で結ばれました。
又、帰還兵34名のお一人の土田喜代一様が証言者として多く出演されておりました。
過去の事実に目を背けずに世界の平和を心から願いながらも、過酷な戦場の映像に心の痛みを抑えることは出来ません程に、戦争の恐ろしさに体中が震えました。