長い間、素晴らしい「金澤の山ちゃんだより」をお届け頂きました 金沢市の 山本様(85歳) が 令和6年1月30日にご逝去されましたことを奥さまからお知らせを頂きました。
昨今はお便りを頂けなく淋しく思っておりましたところでした。
心からご冥福をお祈り申し上げまして 2013年12月28日 に頂いておりましたお便りを再度ご紹介させて頂きます。
能 登 半島 間 垣 の 里
2013年に頂きました下記の 国の重文「間垣の里」の風景も今は見る影もなく、爪痕重ね 地震で海岸隆起 豪雨、再び孤立の状態と伺っておりますので、下記の写真は被災前の貴重なお写真に大切に保存させて頂きます。
輪島 (間垣の里 海辺の町) 輪島 (間垣の里 上大沢) 能登豪雨で、西二又川沿いの上大沢町の集落の一部をのみ込んだ土砂洪水の現場
石川県輪島市上大沢町で2024年9月29日、高尾具成撮影 (ネットより)
輪島 (間垣の里 入り口 上大沢) 輪島 (間垣の里 道路側)
能登半島の海岸線に位置する上大沢集落の家々は間垣と呼ばれる屋根までの高さの竹垣で囲われている。
それぞれの家へ入るためには間垣の一部を切り取りそこから車も出入りします。畑も間垣で囲まれています。
間垣はニガ竹という地元で取れる細い竹で作られていて、竹を並べた間垣には隙間があり、この隙間から風が抜けることにより、間垣も家屋も守れるという先人の知恵が見られる。
地元の人の話によると、日本海を渡る冬の厳しい北西の季節風や飛び散る波しぶき、あるいは波が運ぶ海藻などを防ぐ、生活に必要な防風柵である。
間垣には伝統継承タイプ,混合タイプ,簡易タイプの三タイプが見られるが、材料のニガ竹植生の消失・減少が目立ち、間垣補修に苦労が多いと言う。
石川県輪島市にて
この度の災害に山本様の被害は?と心配しながら今日までお伺いすることができませんでしたことが悔やまれます。ご無事でしたことを祈るだけです。
金沢放送局にも旅の映像をお届けしてご活躍でしたことをご友人から伺っておりますので、上記の被害前のお写真も放送局にお届けされたのでは?と貴重に存じます。
2013年12月19日 に頂きました 日本の秘境 ==南信州遠山郷 下栗の里== を再度ご紹介に山本様の幼い頃からのご友人から頂きましたメールをご紹介させて頂きます。
「Nagai様のメールより転載」
「金澤の山ちゃんだより」を掲載頂き有難うございました
やっと冬になりましたね、山ちゃんが呼んでいます。
日本の秘境の旅、南信州塩山郷 下栗の里も雪景色でしょう。
多くの山ちゃんファンに旅の楽しみを教えてくれました、自宅にいて全国を旅することが出来、感謝です。
今年もあと一週間、想い出の年にして下さい。と頂きました。
「間垣の里」についてネットより」
◆国の重文「間垣の里」能登北部、被害深刻 集落の実り、爪痕重ね 地震で海岸隆起 豪雨、再び孤立。
海風を防ぐ細い竹を使った垣根「間垣の里」として知られ、国の重要文化的景観に指定されている。
海まで迫る断崖に挟まれた一帯に、瓦屋根の古い木造民家が20軒連なる。住民約40人の7割近くが高齢者で、20~30代2、3人という。
こうして自然とかかわりながら頑張っていくのですね。
ご無沙汰しております。
父の霊がついてきたのか原因不明のジンマシンにかかって通院しております。
一か月くらいぶり返すとのことですがはじめてです。
[コロールの真夜の星空まっすぐに父死なしめし日本の国へ]帰ってまいりました。
この戦車からの遺物の精査鑑定に幾年かかるのかわかりませんが。終わりにしようと思っておりました私の戦後は延長しそうです。
父であることの証拠探ししてみたいとおもっております。
ではoko様良いお年お迎えください。
「ジンマシンに・・・」↑お疲れが出たのでしょうね。どうぞお大事になさってくださいませね。
ペリリュー1000人埋葬地の記事が読売新聞の12月3日に掲載され、
「厚労省確認 8日から収集」の見出しにご遺族の皆様が慰霊巡拝にお出かけだったのかしら?と。
お身体の御回復をお祈り申し上げまして佳きお年をお迎えくださいませ。
貰っているチッポケな存在なのだなと痛感
させられましたね。お正月の地震は。
あれは本当に酷かった。結果的に前震となった
地震ですぐさまNHKに変えて様子を見ていた
ところ、本震で土煙をあげながら家屋が倒れる
様を見てしまって、当分の間はトラウマに
なってしまいました。
阪神大震災で淡路島を分断した長距離断層も
恐ろしかったけど、能登半島沿岸が広域に
渡ってメートル単位で隆起したのにも驚き
ました。
私の暮らす地域は花崗岩質なので、豪雨災害
の時は酷いけど、巨大断層が近隣に無いので
その点だけはマシなのかも。南海トラフが
来たら、又は、芸予・周防灘地震が来たら
そんなの関係無いんじゃありますが。
備えるくらいしか出来ないのですね。
歩兵隊の方々が多いとおもわれ沢山のお骨が見つかると思います。
島の方たちと厚労省関係者が作業しており持参した供物などあちこちに差し上げました。
いつかはグアム乗り換えがなく直行便がでるでしょうがいまはコロールでどうしても一泊しなければペリリューに行けません。
ペリリューには丸二日,満足しています。
ありがとうございます。
「お正月の地震は。あれは本当に酷かった。」↑ですね。
一番寒い時期に避難を余儀なくされました多くの住民の皆様のご健康を案じておりました。
この度のご紹介が「 能登半島 間垣の里」でしたので被害は?にネットで調べてみました。
国の重文「間垣の里」も大きく被害を受けておりましたので10年余前の写真の
姿に戻るのは?と友人が撮られた写真を保存したく存じます。
島の皆様のご厚意をいつもお伺いしておりますが有り難いことですね。
この度、田中さまが慰霊に訪問されましたことにお父様もお喜びに良い新年をお迎えになられますことと存じます。
お身体をどうぞお大事になさってくださいませね。
(新聞掲載されたもの)
元日に能登半島を襲った大地震。
被災地から生の声が、全国から励ましの声が届いた。
和幸さん、揺らぐ地から天を仰げば、オリオン座が天に堂々と。
無上の夜に不変の星の光!!星の光が無情に頼もしい・・・。
あれから1年、新聞や TVで情報を知る。
テレビに映し出される災禍に胸いため、寒さに耐えて人思う。
間違いました、訂正です。
地震や洪水でいたましいニュースにこころが痛みます。
今年のお正月の地震はこちらも相当揺れましたので
まだ記憶も生々しいです。
復興をお祈りしています。
山ちゃんのご冥福を祈ります。
寒さの中でのお過ごしはどんなにか大変だった事と存じましたが、なすすべなしでした。
偶然にも国の重文「間垣の里」の紹介を思いだし、偲んでみました。
今年も未熟なブログをお訪ね頂きましてお心をよせていただきましたことに御礼を申し上げております。
ありがとうございました。