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秋の夜長に「聖断」を拝読いたしました

2017年09月10日 14時29分34秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会・同好会を含む)

                  
歴史倶楽部でお世話になりました元会長様の永井様からご紹介を頂き、早速求めて学ぶことができました。

千葉県の偉人鈴木貫太郎氏と言えば、終戦時の総理大臣だった事。そんな鈴木貫太郎氏が、元海軍の大将であり、昭和天皇の侍従長までも勤めていた事実。
彼は『奉公十則』の精神を海軍、侍従長そして首相になっても貫き通しました。
その実直な精神は、彼の周囲の人ばかりでなく、時には敵対する人にまで影響を与え。人々の心を軟化させる力を持っていました

日本の憲政で、鈴木貫太郎氏ほど「もっと知られて良い人」ではないかと思いました。
日露戦争での大活躍、2.26事件での強運、奥様のたか様と昭和天皇とのつながり、そして昭和天皇の「ご聖断」を引き出した決断力。

総理大臣への就任にあたって昭和天皇に「お願い」をされた政治家は鈴木貫太郎氏他には存在しません。
高齢ながらその「お願い」を見事に実現された鈴木貫太郎氏、今の時代に鈴木貫太郎氏のような知性と決断力と人柄を兼ね備えた人材はどれほどいるだろうか。

本書の中で多く語られております昭和天皇と鈴木貫太郎氏との信頼感は読んでいて本当に感動致します。
その他にも、昭和天皇と白川大将との絆、鈴木貫太郎と阿南陸相との絆、極限の状況の中で、これほどお互いを信じられるのか…と、感動致しました。

本当にすばらしい本に巡り会うことができました。永井様有り難うございました。

過日、歴史秘話ヒストリー放映「天皇のそばにいた男」と題して千葉県郷土の偉人・鈴木貫太郎氏を学ぶ機会を頂きました。
千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成20年 9月定例会で見学致しました記念館内部の遺品・白川一郎画伯が描いた「最後の御前会議」の油絵等々が放映され、
千葉県の偉人鈴木貫太郎氏を偲ぶことが出来ました。

    歴史秘話ヒストリア 2015年8月5日 150805 【天皇のそばにいた男・鈴木貫太郎 太平洋戦争最後の首相】    
                   http://www.dailymotion.com/video/x3gf3ow  

昭和史研究の第一人者・半藤一利の傑作ノンフィクション「日本のいちばん長い日 決定版」を、「クライマーズ・ハイ」「わが母の記」の原田眞人監督が映画化。
1945年8月15日に玉音放送で戦争降伏が国民に知らされるまでに何があったのか、歴史の舞台裏を描く。
太平洋戦争末期の45年7月、連合国軍にポツダム宣言受諾を要求された日本は降伏か本土決戦かに揺れ、連日連夜の閣議で議論は紛糾。
結論の出ないまま広島、長崎に相次いで原子爆弾が投下される。
一億玉砕論も渦巻く中、阿南惟幾陸軍大臣や鈴木貫太郎首相、そして昭和天皇は決断に苦悩する。(HPより)

映画『日本のいちばん長い日』も鑑賞しましたので、本書読解の一助になりました。

    映画「昭和天皇の御聖断シーン」の映像がありましたのでご紹介させて頂きます。
                  https://www.youtube.com/watch?v=KAvsx0Hruws


        鈴木貫太郎記念館玄関             鈴木貫太郎のお墓                鈴木貫太郎略年譜 
                    ↑ 
上記3枚の写真は平成20年9月歴史倶楽部参加の折りに撮影したものです。
近能様から頂きましたメールのご紹介
相変わらず各方面でご活躍のこと嬉しく思います。
この度は近世史に真正面から取り組まれ、素晴らしいブログをご紹介頂き感謝申し上げます。
少なくとも私は、終戦前後の忌まわしい戦争に導いた人達とそれを阻止しようと努めた人々との葛藤は、自分なりの解釈で生々しく記憶に留めており、
そのことに触れるのを意識的に避けて来ました。
oko
様にお前は今どう考えているのかと正面から問われ、もう戦後70数年を経たのにやっと気が付き、避けていた近世史を紐解こうかな・・と考えています。
有難うございました。

コメント (2)
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