平成30年10月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
今号もお若いお方の遺書ですが「我々兄弟三人が、目出度く凱旋の日をお待ちください。」に、どうぞ全員が戦死ではないことを祈りつつ拝見致しました。
戦後70年、日本は戦争を繰り返すことの無き平和を守ってまいりましたが、世界の一部の紛争の放映に心が痛みます。
戦争の悲劇は永遠です。世界の恒久平和を祈って止みません。
今号の九段短歌の紹介に選者 安元 百合子先生から「里の秋」の歌について説明を頂きましたのでご紹介させて頂きます。
今号は様々な視点の歌が届きました。
「里の秋」は昭和16年に戦地の父への慰問文として作詞され、題名は「星月夜」で曲はなかったそうです。
1番と2番の歌詞は現在と同じですが、戦争が拡大したころ、3番は「椰子の島、武運を祈る」4番は「兵隊になり国を護る」という内容に変わりました。
終戦後NHKラジオで放送するに当たり、題名を「里の秋」3番の歌詞を「さよなら さよなら椰子の島」と変えたそうです。
まさに歌に歴史ありです。
戦後の遺児の生活の悲しさ、苦しさ、悔しさに憤りを覚えました。と頂きました。
次に「里の秋」の歌をお詠みになられましたお方から掲載順に10名の方の鎮魂の歌をご紹介させて頂きます。
「里の秋」歌の真実聞かされて平和の今をあらためて知る 甲州市 遺児男性
ささやかな吾が思ひなり献じたる「みたま祭り」の一灯に足らふ 鳥栖市 遺児女性
白菊を手に持ち進む中学生世代をつなぐ慰霊のきずな 佐世保市 田中暁様元「鳥海」艦長子息
大方は餓死とふ南の島青く兵らは永久にここに眠る 富士吉田市 遺児男性
戦死せし父のみ位牌葬列にしかと持ちたり五つのわれは 青森県 田中恭子様
父の顔知らねど吾に父ありと軍服の写真に父上と呼ぶ 長野市 遺児男性
五歳から戦争遺児の境遇はがまん我慢の七十余年 名古屋市 遺児女性
国策とて父なき人は不採用戦争遺児の悲しき思い出 京都府 遺児男性
沖縄の慰霊の式に中学生朗読せし詩「生きる」に泣けり 千葉市 遺児 私
終戦日遺影に語る母の背の細き姿やあをぐ夏空 相馬市 遺児女性
この度の「里の秋」の歌について徳さん先生から大切なお言葉を頂きましたのでご紹介させて頂きます。
この歌は今の千葉県山武市成東で出来たものです。
斉藤信夫さんという学校の先生が作詞をしました。
千葉市の院内小学校の先生もした人です。
戦後、海沼実さんが作曲して世に知れ渡るようになりました。
戦時中には歌詞は4番までありました。
「大きく大きく なったなら 兵隊さんだよ 嬉しいな ねえ 母さんよ 僕だって 必ず お国を 護ります。」という歌詞でした。
全く秋とは関係ない詩ですね。
戦後引き上げ船が舞鶴などに着くたびにこのメロデーが流れたので全国にこの歌が知れ渡りました。
でもこの歌が千葉県成東で出来た歌だと知る人は少ないですね。
徳さんさま貴重なお話をありがとうございました。
千葉県から誕生しました素晴らしい童謡に町内カラオケ同好会に皆で歌いたいと思います。