恒 久 平 和 の 誓 い 新 た に
千 葉 市 戦 没 者 追 悼 式
日 時 平成30年10月19日(金)14:00開式
会 場 千葉市文化センター アートホール
対 象 者 戦争・戦災死没者遺族
先の大戦において尊い命が犠牲になりました4200余柱のご冥福を祈る千葉市戦没者追悼式が挙行されました。
式典には、千葉市 熊谷俊人市長様 をはじめ、市議、県議、国会議員、母子推進委員、民生委員等のご来賓の皆様、遺族関係者約400名が参列いたしました。
式典は14:00開式。式次第に添って厳かに執り行われました。 合掌
式次第 千葉市戦没者追悼式斎場
「思い出のことば」 遺族代表 I 様 「献 花」 中学生・来賓・遺族代表らにより行われました
「思い出のことば」を奉読されました I 様が「遺族会だより」に寄せられました一文よりご紹介させて頂きます。
毎年思い出します。母子3人は父親の実家(滋賀県東近江市)へ疎開していました。
真夏日でした。愛知川へ勤労奉仕に出ていた所へ父の戦死広報が届きました。
母の号泣姿が忘れられないのです。
父は38歳、私は就学前でしたが、鮮明な記憶です。
78歳になりましたが、あの戦争は何だったのか?問い続けたいのです。
母は10年前に91歳で父のもとへいきました。
戦地のフィリピン・ルソン島バギオへ報告に行ってきました。大きな慰霊塔を前に、自分の報告をしてまいりました。
世代は変わっても、あの昭和の大戦を風化させてはなりません。
一言、投稿させて頂きました。(以上、ご紹介より)
「献 花」 女性遺族代表者 「御礼の言葉」 千葉市遺族会副会長 T 様
「思い出のことば」を奉読されましたI 様は「お父様との思い出がないから悲しい」と壇上で絶句されました。
参列者も年々高齢化がすすみ、杖をつきましたり、ご家族に支えられながらの参加者が多くなりました。
幸いにも の予報が外れて足元の心配がなかったことに安堵いたしました。
しかし、今年も地元の放送局のお姿がなく、新聞記事も見当たりませんことに一抹の淋しさを覚えます。
私たち遺族は生ある限り悲しみが癒えることはありません。
世界の恒久平和を心からご祈念申し上げ、千葉市戦没者追悼式に参列させて頂きました。
追悼式を執り行ってくださいました千葉市の関係者の皆様に感謝と御礼を申し上げます。