令和元年10月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
お父様の切ないお言葉に胸が痛みます。お子様は何人でしたでしょうか。お子様方は立派に成人され、世の中のためにご尽力いただきました事と存じます。
戦死されました漢口は=かつて中華民国時代に行政院に直轄された院轄市で、現在の中華人民共和国湖北省武漢市の一部に当たる。
現在、「漢口」という自治体が存在しないが、現地の慣習上では旧漢口院轄市に因んで、武漢市の長江・漢江以北(左岸)の江岸区、江漢区、礄口区を漢口と総称し、都市化の進行に伴い、以上3区に隣接する郊外的地域であった東西湖区をも漢口の一部と見なすこともある。
この度の田中 暁様のお歌は「鳥海」が最後に呉を出港されました時の様子と存じます。
「艦長ひとり副長ひとり・・・」は艦長の田中様のお父上様と副艦長の神川様のお父上様をお偲びさせて頂きました。
田中艦長様のご子息様とは1回目の洋上慰霊に、神川副艦長様のご子息様とは2回目の洋上慰霊の折にお目にかかり、960名の戦友のただ一人の娘として親しくご厚誼を頂いております幸せに感謝を申し上げております。
私の歌は、沖縄の慰霊祭に糸満市立兼城小学校6年の山内玲奈さん(11)が詩の部門、応募総数1097件から選ばれて朗読しました平和の詩「本当の幸せ」の素晴らしさに感銘をいたし詠みました歌です。
日本遺族通信に初めての掲載を頂きました歌は平成16年10月15日号に「過ぎし日のありて今在る幸を思ひつつ八月武道館にあり」でした。
そして令和元年10月15日は投稿から15年目を迎えることができました。
この間、選者の先生お二方様のご逝去に2年3か月の休載がありましたが、記念すべき15年目の10月15日号に132首目の掲載を頂き、今後に大きな励みを頂きました。