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日本遺族通信 令和4年6月15日号 遺書とテニアン島の遺骨収容の件(九段短歌は休載)

2022年06月22日 20時08分27秒 | 日本遺族通信


                                         令和4年6月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌                          上記の件、残念です

この度ご紹介の齊藤 大五郎様は激戦地の硫黄島にて激しい戦いの中に戦死されました。
「身体だけは無事にて・・・」 ↑ のお手紙はいつお書きになられたのでしょうか?
奥様への安心のお届けのお手紙が最後になりました。残念!合掌

【テニアン島の日本統治時代】
1900年代に入ると第一次世界大戦が終結するほんの短い期間ですが日本はアメリカ合衆国、大英帝国、フランスと同盟を結び、太平洋統治機関としての称号を得ました。
第一次世界大戦終結と共に国際連盟の元でマリアナ諸島は日本の委任統治領となりました。
事実上マリアナ諸島が日本に併合された後、1935年に日本は国際連盟を脱退しました。
当時の産業は製糖と漁業でした。人口はサイパン島で約3000人だったのが、日本からの入植もすすみ約24000人にも増えました。
第二次世界大戦の暗雲が立ち込め始めた頃、日本軍人だけで約30000人いたと言われています。

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