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読売新聞 令和6年8月16日(金)に掲載されました

2024年08月24日 13時11分38秒 | 我が家・親族

            戦地からの手紙 生きる力に ~ 新聞記事を読んで・・・。

     滋賀県の もりのぼたもち様より

     

   題が「戦地からの手紙 生きる力に」 「父の言葉 支え」です。
   幼いころだったため、父の記憶は、ほとんどなく、戦後、フィリピンのレイテ沖で亡くなられたと知らせが届き、母が泣き崩れていたのは覚えておられる。
   その後、母は再婚されて家を出ていかれ、祖父母、叔父家族と暮らされていました。
   両親がいない寂しさの中、戦地から送られてきた父からの手紙を見つけ、自分のことが必ず書かれていた手紙を読み、自分のことを大切に思ってくれる人がいた。
   と、涙しながら、その後、手紙は心の支えにされました。
   自分も嫁がれ、子育てなど生活に必死だったが、60歳ころに遺族会の慰霊事業でフィリピンのレイテ島を訪ねられました。
   父が戦死されたレイテ沖の海水(日本の12月初旬)を手で触れられたときは温かく、これなら父も寒くないだろう、と慰められました。

   そんな記事を読んで、私の亡き父のことを思い返しました。実は、似た境遇だったからです。

   ここからは、私の父のことです。
   父は、昭和9年生まれ。そして、3歳の昭和12年12月24日、自分の父親、私の祖父ですが、中国で戦死しました。
   もちろん父には、父親の記憶は全くありません。その後については、私が成人してから親戚の方から聞いて知ったことがありました。
   実は、父の母もokoさんの母と同様に家を出ていかれたとのこと。
   その時は、様々な事情があったのだと思いますが、幼い子供を残してなので、大変な心境だったと思います。
   そんなこともあり、父は父母がおらず、祖父に育てられ、その後は戦地から戻った、叔父と暮らしました。
   母親は再婚し、父が小学校の遠足で近くへ行った時には、こっそり訪ねて行ったらしいです。
   結局、父は55歳の時にがんで亡くなりましたが、父の口から母親のことは聞かされたことはありませんでした。
   自分を置いて再婚した母のことは、良く思っていなかったのだと思います。
   私は、祖母のことについては、父の病状がよくない状態になってから、親戚の方から聞かされ、
   そして、縁あって父の妹にあたる方とお会いし、祖母に会いに行ったことがありました。
   もちろん、先方にはご家族がおられるので、こっそりです。
   父の妹、私にとってはおばさんですが、今でも実はお付き合いをしています。
   父が危篤になったとき、母親は面会を希望されましたが、もちろん父は拒否。
   そして、意識がなくなってしまった状態の時に、母は病室に来られました。
   この対面の時の様子は、はっきりと覚えています。
   ただ、父は意識がありませんが。そして、その翌日に父は亡くなりました。
   それから、仏壇の中から祖父の手紙が出てきました。
   それは、中国の戦地から同じ集落の友達に送ってきたものです。
   字が昔の人の字でなかなか読めませんが、とにかく妻と子供たちのことをよろしく頼むと書かれていたようです。
   やはり、結局は家族のことを心配していたことがよく分かります。

   改めましてお父様・ご祖父様のご冥福をお祈り申し上げます。

以上は遠く滋賀県にお住いの大切な友人のご了解を頂きましたのでブログから転載して紹介させて頂きました。

           もりのぼたもちありがとうございました。

全国版と言うことに驚き、感謝を申し上げながらも、わが老人の姿に驚いております昨今です。
この度の事は今年、7月初めに千葉県遺族会の推薦を頂き、7月23日(火)に読売新聞の取材を頂く運びとなりました。
それまでの間、読売新聞社の記者のお方からの書類の準備に戸籍謄本、軍歴などを取り寄せ、父の写真、軍事郵便、戦死の公報
等の準備に敗れたところをコピー用紙で裏打ちをして補強しましたりして、改めて父を偲ぶことができました。
しかし、「母との別離時の気持ち」の質問時は小学校2年3学期のあの日を思いだし今になって涙があふれました。
母がいなくなったことに祖母からは「何を聞いても知ってもめそめそするなと、伯父さんたちへの恩返しは勉強を頑張ることだ」と
確かな記憶ですが、当時は泣くことも、後を追う気持ちもありませんでしたが、後に詠んだ歌です。
           
         父戦死(なき)後祖父母にさとされ嫁ぎたる母を恋ふ夜の頬の冷たく

おかげさまで節目節目に詠みました歌が結社の短歌大会、NHK短歌大会などに入賞・入選を頂いております。

         父の名を書きたし古稀を迎ふるに戦争遺児とふ呼び名は消えず   (古希を迎えて)

         喜寿となり戦争遺児ゆゑの苦かりし想ひも今やそよ風のやう    (喜寿を迎えて)

         遺児といふ偏見背負ひて生き来しもいま掌の皺は「幸」の草書文字 (傘寿を迎えて) 

私ごとにこの度の掲載は?と考えておりましたが、上記の滋賀県のお方をはじめ遠く青森県・新潟県・岐阜県・岡山県他、多くの皆様方の
ご厚意に感謝を申し上げて以下に紹介させて頂きまして御礼とさせていただきます。

            
             岐阜県の 
つきみそうより「読売新聞8/16朝刊より」と、滋賀県の記事の写真と違う事に驚いております。
                         つきみそうありがとうございました。

                         
            岡山県「しろみ茂平の話」様より

            読売新聞を自宅で購読していないので昨日、笠岡市図書館に行き「読売新聞」2024年8月16日をひろげました。

             〈三歳のモノクロ写真を胸に抱き父の果てしか南の海に〉
             〈南海に眠れる父へわが手以て白米おにぎり一つを捧ぐ〉

            読みながら涙があふれました。書いている今もです。
            戦死の父上様、
            戦争未亡人となられた母上様、
            戦争遺児のOKO様、
            自分の人生を自分で選択できない時代背景の中で、
            目の前に起きた現実に、対応しながら、背負いながらの人生。
            このことは、どんなに話しても、ご遺族でないと理解できない悲しみと感じました。
            記事で、
            「今がいちばん幸せです」の言葉で、読者として、気持ちがいくらか落ちつきました。

            岡山県しろみ茂平の話様、遠方からありがとうございました。

              

            東京都の 日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信) 様より 
      
            毎日暑い日が続きます。
            本日は貴重な新聞記事、「お父さんの手紙が支え、」をメール送付の件ありがとうございました。
            拝読しました。感謝いたします。
            いろいろ勉強になりました。
            okoさんのお父様を思う気持ちが、ひしひしと伝わってきました。
            お礼申し上げます。
            後日封書にて。

            「ある日のコメントに」

            素晴しき出来事であったことでしょう。
            不断のたゆまざる実績が功を奏したものとお見受けしました。
            生涯でも思い出に残る出来事であったことと思います。
            お父さんも南方にて通信兵として戦死しましたが、~キット浮かばれたことでしょう。
            御疲れさんでした。

               「ある日のコメントに」

            わがブログに示してもらった歌。

            「クレデマツ」の最後の電報色あせて
                   母の遺品の中より出でぬ

            奥深く、してジックリ味会わせてもらいました。
            「クレデマツ」 色あせて~~~ に感銘しました。

              日々是好日・スローライフ

               ご丁寧にお手紙を頂きましてありがとうございました。  
               たびたび感想をお寄せいただきましたことに心から御礼を申し上げます。

            この度の記事を編集下さいました読売新聞の記者の方からのお言葉            

               度重なる取材にも嫌な顔一つせずに応じてくださり、誠にありがとうございました。
            石橋様の幼少期のお話をうかがいながら、こちらも泣きそうになってしまいました……。
            同時に「今は誰も恨んでいない。今が一番幸せ」という力強いお言葉に、感銘を受けました。
            ところで、記事を見た上司から「良いお話だから、何通か、手紙の全文をネットに掲載できないか」
            と話がありました。大変お手数ではありますが、何通か、特に石橋様の思い入れの強いお手紙の
            お写真をお送りいただくことは可能でしょうか?かなりのお手間かと思いますので、可能な範囲で
            構いません。ご検討よろしくお願いします。以上
            以上のようにご丁寧にご挨拶を頂きましたが、大変な宿題も頂き、少々戸惑っております。
            ご親切にお言葉を頂きましたので頑張りたく思っております。

短歌をご指導いただいております 鶴岡 美代子先生 に新聞をお届けしてご指導を頂いておりますことに御礼を申し上げましたところ、
「短歌を学んでおりましても、あなたのように活用できる人はそうはいないので良かったわね。記事もとてもよかったです。」
とお言葉を頂きました。

この度にことに洋上慰霊にご一緒した方、レイテ島に慰霊巡拝をご一緒した方、歴史倶楽部の友人、遺族会他多くの皆様から
お電話、メールなどを頂きましたがご紹介しきれません。あしからずお許し頂きたく存じます。
心から御礼を申し上げております。ありがとうございました。

               
             天皇・皇后両陛下ペリリュー島慰霊の旅に感謝  2015年04月11日                                               

 ペリリュー島へ慰霊に訪問されました平成天皇、皇后両陛下をお迎えするために、両国の国旗1800本を持参されました
    九段短歌の歌友、青森県の田中 恭子様が読売新聞に大きく掲載されました記事を上記に紹介させて頂きます。

 

 

今年は戦後79年、戦争を知らない国民も多くなりましたことをニュースで見聞きします度に戦争が遠い過去の事となりました。
しかし、日本において哀しい戦争がありましたことは事実です。
戦争で得るものは何もありません。戦争を行っております国の皆様に何とか悲劇を止めて欲しい!と願わずにはおられません
戦争で被害を受けられました多くの皆様方には言葉に言い尽くせない年月を過ごされました事と思います。
この度は遺児の一人として紹介を頂きましたが、戦後の食糧難にも飢えもせず、多くの皆様方のご厚意に甘え、人並みに過ごして
参りましたことに苦労などと甘えるな!と、お叱りを覚悟しております。

この度の事に毎日多くの皆様にお訪ねただいておりますことに御礼を申し上げまして保存させていただきました。   

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