終わらない戦争(2) “生きていることが疎ましい” 知られざる戦渦の中絶
初回放送日:2024年8月28日
旧満州などで性暴力に遭い引き揚げた女性たちは、国立病院などで中絶手術を受けた。
今回、関係者70人以上を取材。
人道目的で自発的に始まった手術を国が組織化し、「外国人の血は本土に入れまい」と「混血児の出生を防ぐ水際対策」になっていた。
「身も心もきれいになった」とされた当事者たち。
実際には「生きていることが疎ましかった」と職も故郷も捨て、壮絶な戦後を送った女性が。
戦争と性暴力、顧みられなかった実相に迫る
終戦の翌年、外地にいた民間人の引き揚げ事業が本格化。性暴力を受け、妊娠した女性たちへの中絶手術が始まっていきました。
未公開の音声記録
取材のきっかけは、医師がのこした未公開の音声記録の存在を知ったことでした。
昇医師は語る「惨めな服装で。みんな、ソ連軍を恐れて丸坊主になったんだ。
うなだれて、ただ促されてトラックに乗って病院に来た。
もう次から次へ運ばれてくるもんですからね、何も言えない悲惨な状況」
2019年に亡くなった産婦人科医・昇勇夫さん(享年102)
終戦後、九州帝国大学医学部の指示で、国立佐賀療養所(現・東佐賀療養所)に派遣されました。
療養所に運ばれてきた女性たちは、旧占領地でソ連兵や中国人などからの性被害を恐れ、自ら髪を切り、顔にすすを塗った姿だったといいます。
昇医師は妊娠した女性に対し、当時は原則違法だった中絶手術を行います。
昇医師「ああいう現実にあった人を助ける。だから、そういう意味ではやっぱり法律も度外視して助けなくちゃいけないっちゅう気持ちがみんなあった」
当時、満州などには国策として開拓団が送り込まれ、300万人以上の民間人が暮らしていました。
しかし、終戦直前に旧ソ連軍が侵攻。女性たちへの性暴力が相次いだのです。
ある夜 逃げ遅れた女性が三人組におそわれた
悲鳴を聞きながら敗戦の惨めさをいやというほど味わった
旧満州 引き揚げ者 大塚文代さんの手記より
引き揚げ女性が数名入院していた
麻酔なしの手術で悲鳴があがった
胎児は古布に包まれ
手術室の片隅に放置されていた
遺体を入れた木箱をリヤカーに乗せて運んだ
余りにもあわれな姿に落涙
元事務員からの手紙
「なんとか、こういう人たちを助けなきゃだめだって。人道愛だよ。思いやり。何とかしなくちゃって思うじゃない」
翌年、広島の国立病院の産婦人科医になった相馬さん。みずからも、妊娠後期の女性への手術を行いました。
「もう満期ですよ。赤ちゃん育つのに、(女性に)頼まれて。今でも忘れないよ。赤ちゃん生まれてくる。もう育っているんだよ。それを中絶するって、どうするか。でも、やったの」と語りました。
親御さんが「汚らわしい!そばに寄るないでって」と言われたと証言されましたお方はどのように生きてこられたのでしょうか?あまりにも悲しい!証言に載せることができませんでした。
戦争の悲劇は永遠です。世界の争いごとに胸が痛みます。一日も早い世界の平和を願ってやみません。大切な事柄ですのに未熟な紹介に失礼いたしました。
毎日多くの皆様にお訪ね頂きましたことに御礼を申し上げまして保存させて頂きました。