二日目 会津市内観光
(1) 会津藩主松平家墓所
墓所入口 二代藩主 保科正経の墓 ↑
院内御廟 奥から7代、6代、5代の碑石 会長さんに伴われて下山する会員
院内御廟 (いんないごびょう)
2代藩主以降の墓は、正之の死より前の1657年(明暦3年)に、正之の次男保科正頼が死去した際、正之が若松城下の院内山を墓所として定めたことからはじまる。
2代藩主保科正経は仏式により葬られ、3代藩主松平正容から9代藩主松平容保までが神式によって葬られた。
神式の墓は、亀形石を台座とした「碑石(ひせき)」が前面にあり、その奥の一段高い場所に灯篭が対に並びその奥に表石、さらに奥に小高い墳丘を造りその上に八角形石組
の「鎮石(ちんせき)」が置かれている。御廟には歴代藩主のほかに家族や子孫の墓、拝殿がある。
土津 (はにつ) 神社
初代正之の墓所は、遺言により自ら選定した猪苗代湖を望む磐梯山山麓の美祢山 (みねやま)に、死去の翌1673年(延宝元年)神式によって造られ、葬られた。
後に 土津神社 が建立された
(2) 飯盛山 「白虎隊十九士の墓」
白虎隊は戊辰戦争で戦った16~17歳の少年たいで、墓は鶴ヶ城の北東飯盛山の中腹にあります。火に包まれた城下を望みながら少年たちは若い命を散らしました。
本来は、藩主の警護にあたった予備兵力でしたが、全線から救援の要請があり、急遽、藩主の命令で滝沢本陣を出陣したものです。
エスカレーターで飯盛山へ 白虎隊十九士のお墓
鶴ヶ城を仰ぎ見る少年の像 飯盛山から城下を臨む
(3) 会津さざえ堂
飯盛山に建つ旧正宗寺の円通三匝 (えんつうさんそう) 堂
正宗寺の僧郁堂が1796 (嘉慶元) 年に建立した奇想天外の建物で 国の重要文化財。
高さ16.5mの円柱状のお堂ですが、よくみると六角形という不思議なもの。
内部には階段がなく、右回りの螺旋状のスロープを上ると頂上に太鼓橋があり、橋を渡ると今度は左回りの下り坂で背面の出口に出る。
つまり通路しかないというもので、昇降を通じて建物を3度回ることから三匝堂 [仏教の礼法である右繞三匝 (うにょうさんぞう) に基づいて、右回りに三回匝る (めぐる) ことで参拝できるようになっている] の名がある。
中心部には 「本朝二十四孝」 の額が取り付けられていますが、その昔は西国札所の三十三観音像が祀られ、一度入ると巡礼を終えたことになるわけで、江戸時代、会津から西国三十三観音参りに行くのは大変で、もっと廻りやすいお参りというわけで、町廻り三十三観音ができ、もっと簡単にというわけで 「さざえ堂」 ができたということです。
白虎隊が通り抜けたと言う説明(洞穴は看板の後方) 用水路の説明を聞く
(4) 旧滝沢本陣
参勤交代や領内巡視の際の殿様の休息所。戊辰戦争では新政府軍の急な進撃に対して、藩主松平容保が自ら本陣に出向き指揮をとりました。
本陣は戦場にもなったので、西軍が侵攻してきた際に残された弾や刀傷がいまも生々しくいたるところに残っていました。
(5) 鶴ヶ城 : 国指定史跡
天守閣から望む 干飯櫓・南走長屋 会津盆地
(6)猪苗代磐梯高原
素晴らしい紅葉に彩られた猪苗代磐梯高原に目を移しながら最後の昼食に舌鼓をうち、旅の終わりを惜しみなく語り合いました。
46名の参加者は、会長様を初め、多くの役員の皆様、そして安全ドライバーさんのおかげを持ちまして楽しい2日間の“会津の旅”を堪能する事が出来ました。
又、自己流の未熟なブログですが、会長様が作成いただきました貴重な資料のおかげで、私自身の思い出が綴れますことも大きな喜びでございます。
誠に有り難うございました。
朝夕は大分お寒くなりました。
会長様を初め、役員、会員の皆様、そして毎日お訪ね下さいます多くの皆様方のご健勝をお祈り申し上げております。
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okoさま
会津藩は藩主以下京都守護職として、新撰組と共に、幕末の京都の治安を守って頂きました。
黒谷金戒光明寺にはその時に亡くなった藩士のお墓が並んでいます。
藩主、松平容保の誠実なお人柄によるものです。
今回、会津について丁寧な記事を拝見して、とても嬉しくなり、コメントさせて頂きました。
この歴史倶楽部は会長様を初め役員の皆様のおかげで、
いろいろと学ぶことが多く大切な旅と感謝しております。
暖かな良いお天気に恵まれた、会津盆地
の散策は素晴らしい~~
大勢の参加ですね。
紅葉が綺麗に撮れていますね。
宿泊旅行は会員同士の親睦が深められ、秋が楽しさを倍増させてくれました。
は不勉強ですので恥ずかしいです。
作品ではなく単なる記録としてお許し下さい。
お互いに若くありません。
体調管理に努めましょうね。
御心配をおかけ致しました。
今は痛みもなく無事にほっとしております。
12月13日楽しい同窓会に致しましょうね。