ゴルフ週間が終わったら途端に天候が思わしくない。仕方なく足慣らし程度の
積りで久し振りに三角点の探訪。但し、午後は民主党・代表選を見たいので
午前中だけ。吉井・榛東・吉岡の三角点は全てタッチが終わっているが
松井田と合併した安中は未だ12 / 76、そして肝心の高崎は箕郷町・新町・群馬町・
榛名町・倉渕村が合併しているが99 / 120 とあと21までに来ている。
そこで旧榛名町と旧倉渕を一つづつ。
(1)三等 點名・明神 高崎市上室田町
ここは国土院記録では高崎市120ヶ所の内の唯一の「亡失」扱い。当然、現物は
見られないが亡失の現場がどんな所かを確認に行く。
室田四つ角からR-211で北上、榛名神社一の鳥居前。
ここから僅かで大きな四つ角、直進すれば勿論、R-33と合流して渋川・松井田線と
なって榛名神社方面、右折はKGカントリー。ここを左折して「新牛王橋」を渡る。
この道は道標によると「榛名フルーツライン」、行き先は榛名神社となっているので
何処かでR-33に合わさるのだろう。新牛王橋を渡りきると再び四つ角、ここを左折。
亡失の現場はこんな所で、新しく農地が造成された感じ。
近くに破砕された石柱風のものもあつたが、三角点石柱の一部かは判らない。
(2)四等 點名・猿谷 498.0m 大字三ノ倉字上谷津 N-36-24-43-5 E-138-49-17-9
四つ角に戻って700m程西進すると丁字路、ここは左折。丁度「明神平」バス停がある。
今度の道標は「うぐいす通り」。
「後大石」バス停近くの小さな四つ角を右折して道なりに進むと榛名川に突き当たり、
車一台漸くの幅しかない「猿谷橋」を渡ると車道は此処まで。最後の民家脇に駐車。
ここから山手に入り等高線6本ほどの登りに入る。道はどうやら東電の鉄塔管理道らしく
直ぐに黄色のポール。
やがて道か、水路か判らないような荒れ方で両側が崩れている。霧積から鼻曲山への
取り付きにもこんな感じのところがあったな。
更に進むと再び東電の標柱、
ここを左折すると直ぐに国土院の白ポール。だが三角点が無い。背後が大きく
掘られていてその残土でポールも少し埋まっていたので、付近を掘って探すも
見つからず。諦めて下山。
(3)四等 點名・雨堤 433.75m 大字上室田字雨堤 N-36-23-48.4 E-138-49-35-2
後大石に戻って南進するとこんな看板の所で大きな道にぶつかり左折。
やがて「雨堤」バス停先の変則四つ角。
ここは石仏の宝庫、かつては「野仏たちの安住の地」と言われた。
中程に双神道祖神、男神が女神の右手を抑えて、互いに肩に手を回している。
弥勒・文字道祖神・庚申搭などに混じって「道しるべ」。「右高崎道」ははっきり
判るが左は「はるなみち」の筈だが変体仮名なのか? よく読み取れない。
車を榛名神社に回す。この神社はその名の通り分社、上記の道しるべもこの
関連か?
角に丸石の道しるべ、「左めうぎ」「大戸通・信州善光寺」と読める。
その反対側に大きな石碑、「一碑百庚申」。
神社脇に駐車して右手の稜線を見ながら南に進んだら間に沢があって稜線に
近づけない。元に戻って車道を西へ100m程、この一本のポールに
三個のミラーという変わったカーブミラーから南進のやり直し。
但し通り抜け出来ませんの表示。
舗装の切れるところにある墓地裏から山の斜面を登りだすが、踏み跡らしき
ものも見られる。等高線二本ぐらいで簡単に稜線着。南進の道はこんな藪っぽい所。
やがて稜線上の台地にくると林の中に三角点発見(12.16)。
やれやれ、正午も過ぎて漸く一点のゲット。やや雨模様なので早々に引き上げ。
神社前の道を南進すると落合信号の僅か東側の蕎麦屋脇でR-406に出た。
帰宅したら丁度代表選実況に間に合ったが期待した岡田氏が負けて残念。
積りで久し振りに三角点の探訪。但し、午後は民主党・代表選を見たいので
午前中だけ。吉井・榛東・吉岡の三角点は全てタッチが終わっているが
松井田と合併した安中は未だ12 / 76、そして肝心の高崎は箕郷町・新町・群馬町・
榛名町・倉渕村が合併しているが99 / 120 とあと21までに来ている。
そこで旧榛名町と旧倉渕を一つづつ。
(1)三等 點名・明神 高崎市上室田町
ここは国土院記録では高崎市120ヶ所の内の唯一の「亡失」扱い。当然、現物は
見られないが亡失の現場がどんな所かを確認に行く。
室田四つ角からR-211で北上、榛名神社一の鳥居前。
ここから僅かで大きな四つ角、直進すれば勿論、R-33と合流して渋川・松井田線と
なって榛名神社方面、右折はKGカントリー。ここを左折して「新牛王橋」を渡る。
この道は道標によると「榛名フルーツライン」、行き先は榛名神社となっているので
何処かでR-33に合わさるのだろう。新牛王橋を渡りきると再び四つ角、ここを左折。
亡失の現場はこんな所で、新しく農地が造成された感じ。
近くに破砕された石柱風のものもあつたが、三角点石柱の一部かは判らない。
(2)四等 點名・猿谷 498.0m 大字三ノ倉字上谷津 N-36-24-43-5 E-138-49-17-9
四つ角に戻って700m程西進すると丁字路、ここは左折。丁度「明神平」バス停がある。
今度の道標は「うぐいす通り」。
「後大石」バス停近くの小さな四つ角を右折して道なりに進むと榛名川に突き当たり、
車一台漸くの幅しかない「猿谷橋」を渡ると車道は此処まで。最後の民家脇に駐車。
ここから山手に入り等高線6本ほどの登りに入る。道はどうやら東電の鉄塔管理道らしく
直ぐに黄色のポール。
やがて道か、水路か判らないような荒れ方で両側が崩れている。霧積から鼻曲山への
取り付きにもこんな感じのところがあったな。
更に進むと再び東電の標柱、
ここを左折すると直ぐに国土院の白ポール。だが三角点が無い。背後が大きく
掘られていてその残土でポールも少し埋まっていたので、付近を掘って探すも
見つからず。諦めて下山。
(3)四等 點名・雨堤 433.75m 大字上室田字雨堤 N-36-23-48.4 E-138-49-35-2
後大石に戻って南進するとこんな看板の所で大きな道にぶつかり左折。
やがて「雨堤」バス停先の変則四つ角。
ここは石仏の宝庫、かつては「野仏たちの安住の地」と言われた。
中程に双神道祖神、男神が女神の右手を抑えて、互いに肩に手を回している。
弥勒・文字道祖神・庚申搭などに混じって「道しるべ」。「右高崎道」ははっきり
判るが左は「はるなみち」の筈だが変体仮名なのか? よく読み取れない。
車を榛名神社に回す。この神社はその名の通り分社、上記の道しるべもこの
関連か?
角に丸石の道しるべ、「左めうぎ」「大戸通・信州善光寺」と読める。
その反対側に大きな石碑、「一碑百庚申」。
神社脇に駐車して右手の稜線を見ながら南に進んだら間に沢があって稜線に
近づけない。元に戻って車道を西へ100m程、この一本のポールに
三個のミラーという変わったカーブミラーから南進のやり直し。
但し通り抜け出来ませんの表示。
舗装の切れるところにある墓地裏から山の斜面を登りだすが、踏み跡らしき
ものも見られる。等高線二本ぐらいで簡単に稜線着。南進の道はこんな藪っぽい所。
やがて稜線上の台地にくると林の中に三角点発見(12.16)。
やれやれ、正午も過ぎて漸く一点のゲット。やや雨模様なので早々に引き上げ。
神社前の道を南進すると落合信号の僅か東側の蕎麦屋脇でR-406に出た。
帰宅したら丁度代表選実況に間に合ったが期待した岡田氏が負けて残念。
地図の見方と共に勉強を痛感しました。いよいよ原生林の奥地を極める意欲が湧いてきました。
但し、体力は反比例してきました。
正に深山ですね。薬師岳から船ヶ鼻山へのルートからと思っていましたが
ふれあいの道方面からでしたか。
かって赤城村から鈴ヶ岳を周回したとき、確かに二度ほど林道の合流があり
其のうちの一つが大沼へのふれあいの道だったと記憶しています。
薬師からのルートで上からの鷲巣は断崖の連続で近づけないと感じますが、1460M峰まで辿る事が出来たら長倉山の方が見込みがあるかもと思っています。が、なだらかな尾根道ではないでしょうから結局は爺イのテリトリーの外。
霧が晴れるように少しづつ分かってきましたので、安全なルートの地図を作成したいと思います。
今では手付かずの原生林ですが、地形図に無い谷が在るので迷っております。
見方が未熟なのでしょう。勉強します。