今日は鬢櫛山を北に乗り越えて「ヤガタ」なる山を訪ねる。
聞いた事の無い山名だが、切っ掛けは去年の12月に見た下の地形図。
つい先日まで、この山は鬢櫛山西北の1236m峰と決め込んでいたが
「ミヤコザサ」さんが鬢櫛の北北西にある無名の独立峰であることを教えて
呉れたので早速尋ねる事に。ヤブ山爺イにはうってつけの無名峰だ。
R-126で沿線の満開の桜を眺めながら榛名湖へ。湖畔周回道路で
榛名湖探勝林看板近くに駐車。(10.20)ここは鬢櫛への西寄りの登山口。
路傍に車が多く止められているが、どうやら釣り人のものらしい。
湿った落ち葉の登山道はやや荒れ気味、老朽木橋も壊れたままで未だ修復され
て居ない。
丸太組みの堰堤手前の分岐のから普段は使わない左の道に入るが、
結局は大きく湾曲して本来の登山道。だが、道だか水路だか判らない
ような荒れ方。
途中から左への分岐で峠を通らずのショートカット道。踏み跡が不明瞭になった
ので登山道に復帰。目の前に白リボンマークがあつた。位置はベンチのある
峠から鬢櫛方向に150m進んだところ。(10.55)
既にやや登りの始まっている登山道。
久し振りの鬢櫛は登りがキツイ。かってはもう少し楽に登れたのにとボヤキも
出る。やがて目印の大岩左を抜けて稜線に到着。(11.12)ここまで来れば熊笹道を
残り約200mで鬢櫛の山頂台地だ。
暫くの平坦道を経ると再び登りがきつくなり息継ぎ休止多数。後ろを見れば
烏帽子の巨体、左(南)には二つ岳・相馬山・榛名富士が見え始め、下には
榛名湖も。
漸く鬢櫛頂上台地の北端に到着、あと数十メートルで標識のある南端だが
それは後回しでこの目印のところから北への稜線を探る。標高1350m地点。
見た所、熊笹の幅広の下り稜線、と云うよりつつじ科の小枝が煩そうな、
だだっ広い笹原という感じ。右よりの樹幹にこんな古リボン、赤ペンキは
ずっと続いている。
前方に見える筈の「ヤガタ」を探すがここより100mも低いので他の山塊に
同化してしまって良く判別は出来ない。間もなく大きい尾根分岐、左に行けば
1236m峰のある稜線なので右へ。北北西への長い下りは傾斜は緩いが
殆どヤブと云える位の小枝を払いのけるのに苦労する。目標まで750m位。
尾根の左右は切り立つた崖だが特に右側(東側)の岸壁は凄い。
途中にはこんな綺麗な道も現れるが、湿った落ち葉が堆積し猪の餌場なのか?
鼻で掘り返した跡がハッキリしている。
やがて鞍部への急降の始まるコブの上、やっと目標の「ヤガタ」が姿を表す。
これはコレハ立派なトンガリ山だ。さては「ヤガタ」とは「矢形」とか
「輻形」でこの山の形から来ているのかもしれない。
一気に鞍部に下りる。ここまで鬢櫛から等高線15本を降ってきたが、今度は5本の
登り。従って1350mの鬢櫛から150mくだつて50m登る事になる。其の差は
100mだから「ヤガタ」の標高は推定で1250m近辺。直線距離166m。
登りに入ると見た目のトンガリとは違って傾斜は意外に緩い。流石に頂上直下は
殆ど四つん這いを強いられたが僅かで頂上台地。台地の長さは南北約23m。(12.32)
ゆっくりと休憩して昼食。本日の爺イはやや疲れ気味。付近に不気味な大きな円形の
凹み。かつて青山山途中で熊に遭遇したときにも、こんな凹みがあつた。
南西の方角を見ると1236mがその穏やかな山容を見せている。大沢を挟んで
推定400mの距離。
到着の印に赤テープを残して下山に掛かる。(13.00)
「ヤガタ」から急降して鞍部に戻り、大きなコブへの挑戦が始まりウンザリ。
何とか稜線に乗って暫く行くと再び前方にコブ。但し、此処さえ乗り切れば
後は緩斜面なので一踏ん張り。
小枝を払いのけ払いのけして漸く熊笹の斜面に到着(13.45)。
一呼吸おいて鬢櫛に到着。(14.00)
爺イのも含めて標識は二枚残っていた。
無くなった古い標識は次の二枚。
樹間から近辺の山。余り格好の良くない烏帽子ヶ岳。
二つ岳と相馬山、小さい頭は水沢か?
再び大休憩して足を休めて下山開始。今度はちゃんとベンチの峠。(14.25)
ここからは適当にあちこちの脇道を試しながら湖畔着。(14.53)
観光客や相変わらずの釣り人などでやや賑わっている。湖畔から見る山は鮮やか。
帰路は同じR-126で帰宅。往復走行距離53K。
祝 ! 巨人軍五連勝
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聞いた事の無い山名だが、切っ掛けは去年の12月に見た下の地形図。
つい先日まで、この山は鬢櫛山西北の1236m峰と決め込んでいたが
「ミヤコザサ」さんが鬢櫛の北北西にある無名の独立峰であることを教えて
呉れたので早速尋ねる事に。ヤブ山爺イにはうってつけの無名峰だ。
R-126で沿線の満開の桜を眺めながら榛名湖へ。湖畔周回道路で
榛名湖探勝林看板近くに駐車。(10.20)ここは鬢櫛への西寄りの登山口。
路傍に車が多く止められているが、どうやら釣り人のものらしい。
湿った落ち葉の登山道はやや荒れ気味、老朽木橋も壊れたままで未だ修復され
て居ない。
丸太組みの堰堤手前の分岐のから普段は使わない左の道に入るが、
結局は大きく湾曲して本来の登山道。だが、道だか水路だか判らない
ような荒れ方。
途中から左への分岐で峠を通らずのショートカット道。踏み跡が不明瞭になった
ので登山道に復帰。目の前に白リボンマークがあつた。位置はベンチのある
峠から鬢櫛方向に150m進んだところ。(10.55)
既にやや登りの始まっている登山道。
久し振りの鬢櫛は登りがキツイ。かってはもう少し楽に登れたのにとボヤキも
出る。やがて目印の大岩左を抜けて稜線に到着。(11.12)ここまで来れば熊笹道を
残り約200mで鬢櫛の山頂台地だ。
暫くの平坦道を経ると再び登りがきつくなり息継ぎ休止多数。後ろを見れば
烏帽子の巨体、左(南)には二つ岳・相馬山・榛名富士が見え始め、下には
榛名湖も。
漸く鬢櫛頂上台地の北端に到着、あと数十メートルで標識のある南端だが
それは後回しでこの目印のところから北への稜線を探る。標高1350m地点。
見た所、熊笹の幅広の下り稜線、と云うよりつつじ科の小枝が煩そうな、
だだっ広い笹原という感じ。右よりの樹幹にこんな古リボン、赤ペンキは
ずっと続いている。
前方に見える筈の「ヤガタ」を探すがここより100mも低いので他の山塊に
同化してしまって良く判別は出来ない。間もなく大きい尾根分岐、左に行けば
1236m峰のある稜線なので右へ。北北西への長い下りは傾斜は緩いが
殆どヤブと云える位の小枝を払いのけるのに苦労する。目標まで750m位。
尾根の左右は切り立つた崖だが特に右側(東側)の岸壁は凄い。
途中にはこんな綺麗な道も現れるが、湿った落ち葉が堆積し猪の餌場なのか?
鼻で掘り返した跡がハッキリしている。
やがて鞍部への急降の始まるコブの上、やっと目標の「ヤガタ」が姿を表す。
これはコレハ立派なトンガリ山だ。さては「ヤガタ」とは「矢形」とか
「輻形」でこの山の形から来ているのかもしれない。
一気に鞍部に下りる。ここまで鬢櫛から等高線15本を降ってきたが、今度は5本の
登り。従って1350mの鬢櫛から150mくだつて50m登る事になる。其の差は
100mだから「ヤガタ」の標高は推定で1250m近辺。直線距離166m。
登りに入ると見た目のトンガリとは違って傾斜は意外に緩い。流石に頂上直下は
殆ど四つん這いを強いられたが僅かで頂上台地。台地の長さは南北約23m。(12.32)
ゆっくりと休憩して昼食。本日の爺イはやや疲れ気味。付近に不気味な大きな円形の
凹み。かつて青山山途中で熊に遭遇したときにも、こんな凹みがあつた。
南西の方角を見ると1236mがその穏やかな山容を見せている。大沢を挟んで
推定400mの距離。
到着の印に赤テープを残して下山に掛かる。(13.00)
「ヤガタ」から急降して鞍部に戻り、大きなコブへの挑戦が始まりウンザリ。
何とか稜線に乗って暫く行くと再び前方にコブ。但し、此処さえ乗り切れば
後は緩斜面なので一踏ん張り。
小枝を払いのけ払いのけして漸く熊笹の斜面に到着(13.45)。
一呼吸おいて鬢櫛に到着。(14.00)
爺イのも含めて標識は二枚残っていた。
無くなった古い標識は次の二枚。
樹間から近辺の山。余り格好の良くない烏帽子ヶ岳。
二つ岳と相馬山、小さい頭は水沢か?
再び大休憩して足を休めて下山開始。今度はちゃんとベンチの峠。(14.25)
ここからは適当にあちこちの脇道を試しながら湖畔着。(14.53)
観光客や相変わらずの釣り人などでやや賑わっている。湖畔から見る山は鮮やか。
帰路は同じR-126で帰宅。往復走行距離53K。
祝 ! 巨人軍五連勝
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原生林には必ず開けた穏やかな桃源郷がありますが、今回も堪能しました。
体力の衰えを自覚しながら、山遊びの為に節制に
に努めたいと誓うこの頃です。
ご無沙汰しております。長倉山を遂にやりましたか?
半年ぐらい前でしたか、長倉の事がプログに出たのは? それにしても
未だに貴兄の辿ったコースが判りません。実は爺イもかって五輪尾根を歩いた時に薬師の手前の野坂峠で「沼田まで20k」の道標をみて、本当に沼田まで続いているのか各記録を調べた事があります。この峠から船ヶ鼻山を通って大峰山を越えると確かに沼田だと確認しましたが、其の途中の派生尾根の先に鷲巣山1370mや長倉1400mがあるとは認識しておりました。しかし、手前の鷲巣は派生尾根が厳しそうだし尾根の簡単そうな長倉は途中に崩落などがあるとの事ですっかり諦めています。
あれを南から攻めたのでしょうか? 壁岩の塊のような処ですね。
樵道も無く、頼りは獣道だけです。
長年長倉山へのルートを探しておりましたが、今回目的を遂げることが出来ました。ブログの写真を拡大して雰囲気を感じて戴ければ幸いです。但し未だ横断ルートが残っており、今年の冒険が楽しみです。
熊は追い払っておきましたので もう 大丈夫です(笑)
樹木の新芽が出始めてますから 歩くには今がチャンスかも知れません。
869点を探し当てることができずに 今 仙人の滝の分岐で 一休みしているところです。
私は静岡県を中心に三角点巡りをしています。同好者のサイトがどのくらいあるのか興味を持ち、「三角点探訪ネットワーク」として公開しています。貴ブログもリンクさせてもらいましたが、不都合があれば削除しますので、お手数ですがご連絡ください。
古界名の親子熊の追い払いアリガト。
今日は吾妻の1227m峰に行っていました。地元では「石畦山」、古地図では
「牛越」とされている不人気山です。
明日から雨模様、今度晴れたらいよいよ、古界名北の1210mに行って三角点
「焼止」にタッチしてきます。
リンクは一向に構いません。皆様の
お仲間に入れていただき光栄です。
但し、当方は皆様のように三角点に
徹底している訳でもなく、冬場の
暇つぶし程度なので其の点、ご高察
下さい。
め山の特定に手間取りました。その前に登った石畦山には爺イ様の標識がしっかりと掛かっていました。遅くなりましたけど藤岡市の三角点のご指摘では有難うございました。
ご活躍の様子で何よりです。当方、既に
87歳に達しましたが分相応の範囲で
山裾徘徊をしています。思い出すと
ずっと以前、貴兄のリボンを裏返しで
写して「これ分からない!」と記事にしたのが
知合ったきっかけでしたね。
今でも時々山頂でリボンに出会って
懐かしく思っています。益々お元気で。
独ソ戦はスターリンが初戦で不意打ちを食ったのはよくわかりましたがなぜモスクワ全面で食い止めることができたのかがよくわかりません。独ソ戦といえば初戦のモスクワ攻防戦がすべてといっていいほどでなぜドイツはあそこで敗れ去ったのかその原因がよくわかりません。ヒトラーが戦略,経済上の理由で将軍の反対を押切モスクワを一時棚上げして他を攻めたのがいけなかったのか?それとも冬将軍の到来が早すぎたのか,泥濘のせいなのか,ドイツ国防軍の兵站が伸びきっていて限界だったのか?ソ連軍としては初戦あれだけの捕虜を出しながら予備兵力が残っていたのか,残っていたのならどこから補充したのか?シベリヤ極東軍を戻したのか,(関東軍を警戒して極東シベリヤ軍を温存したという説もある?)前線がモスクワに近ずくにつれ交通網などソ連軍にとって兵站が有利になったのが幸いしたのか?不足していた武器弾薬などの物資はどう調達したのか?結局ソ連は領土にものをいわせて時間と空間を稼いだのか?ゲーリングが言っているように上の歯と下の歯で噛んだはいいがでかすぎて噛み切れなかったのか?諸説いろいろ言われていますが本当のところどうなんでしょう?