先ず、西の尾根に向う。尾根入り口に小さな石宮。
ここからの稜線への急登の乗り上げは落ち葉の堆積で極めて困難。漸く
這い登ると其処からは伐採された尾根道が続くが、肝心の境界杭の類が
一切見受けられず不安になったが、右手には榛名が、左には御荷鉾が見え
その間に稜線は見えないのでこれが確かに藤岡・吉井境であると確信。
暫らく行くと早くも第1ピーク、多分655M峰で小梨山西ピークと
言われる物かもしれない。まるで錐の先のようなトップの手前から
左への迂回道を行くと、直ぐに2つ目のピーク、やや平坦な尾根道の
先の第3ピークから少し下り気味で四つ目ピーク越え。
一寸大きな第5ピークに来て吃驚仰天、先日小柏の近くの830M峰で
見たのと同じアンテナがある。一寸混乱して考え込むが良く見ると操作盤
ケースが木製だったので別物とわかって一安心。12.07
第6ピークからやや西北西に向き、第7ピークからは正面に摩利支天が
見えてくる。第8ピークを越えると岩だらけのヤセ尾根で第9ピークに
向う。長い登りを経て急登を過ぎると東北・西南尾根に東から合流。
12.57。
ここで再び吃驚、何と爺イの赤テープがあるではないか?どうやら以前
に大判地から来た時に北からきてこのピークを通過したのだ。吉井・
甘楽の境界線ではないので、その時はここで北から藤岡・吉井境腺に
到達した自覚がなかったのだ。
こうなつたら勝手知ったる稜線を西へ進み、摩利支天からの稜線に乗り
上げ、甘楽・吉井・藤岡分岐に到着。13.11。
直ぐに南下して甘楽線が西に曲る東南端の日溜りで昼食。
ここでの休憩は三回目。
暫らく休んで直ぐに亀穴を目指して出発。13.26。10分で
「新屋峠」に到着。
amano氏の地図の通り日野側に少し下って古標識の前にくる。
ここから小幡への峠道を西へ、道は稜線の下30㍍を平行に進み、11分
で稜線に合流。ここが亀穴峠と確信。従って「地図上の亀穴峠」とは
「亀穴峠」その物の事であり、俗に「亀穴峠」と言い慣らされていた
のが「新屋峠」というのが爺イの自己満足のための結論。一般に通用するか
どうかは疑問ではあるが。13.49
再び元に戻り、折角だから摩利支天に一登り。稜線の標高が高いので簡単に頂上。
14.18 工事用滑車がころがっていた。
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ここからの稜線への急登の乗り上げは落ち葉の堆積で極めて困難。漸く
這い登ると其処からは伐採された尾根道が続くが、肝心の境界杭の類が
一切見受けられず不安になったが、右手には榛名が、左には御荷鉾が見え
その間に稜線は見えないのでこれが確かに藤岡・吉井境であると確信。
暫らく行くと早くも第1ピーク、多分655M峰で小梨山西ピークと
言われる物かもしれない。まるで錐の先のようなトップの手前から
左への迂回道を行くと、直ぐに2つ目のピーク、やや平坦な尾根道の
先の第3ピークから少し下り気味で四つ目ピーク越え。
一寸大きな第5ピークに来て吃驚仰天、先日小柏の近くの830M峰で
見たのと同じアンテナがある。一寸混乱して考え込むが良く見ると操作盤
ケースが木製だったので別物とわかって一安心。12.07
第6ピークからやや西北西に向き、第7ピークからは正面に摩利支天が
見えてくる。第8ピークを越えると岩だらけのヤセ尾根で第9ピークに
向う。長い登りを経て急登を過ぎると東北・西南尾根に東から合流。
12.57。
ここで再び吃驚、何と爺イの赤テープがあるではないか?どうやら以前
に大判地から来た時に北からきてこのピークを通過したのだ。吉井・
甘楽の境界線ではないので、その時はここで北から藤岡・吉井境腺に
到達した自覚がなかったのだ。
こうなつたら勝手知ったる稜線を西へ進み、摩利支天からの稜線に乗り
上げ、甘楽・吉井・藤岡分岐に到着。13.11。
直ぐに南下して甘楽線が西に曲る東南端の日溜りで昼食。
ここでの休憩は三回目。
暫らく休んで直ぐに亀穴を目指して出発。13.26。10分で
「新屋峠」に到着。
amano氏の地図の通り日野側に少し下って古標識の前にくる。
ここから小幡への峠道を西へ、道は稜線の下30㍍を平行に進み、11分
で稜線に合流。ここが亀穴峠と確信。従って「地図上の亀穴峠」とは
「亀穴峠」その物の事であり、俗に「亀穴峠」と言い慣らされていた
のが「新屋峠」というのが爺イの自己満足のための結論。一般に通用するか
どうかは疑問ではあるが。13.49
再び元に戻り、折角だから摩利支天に一登り。稜線の標高が高いので簡単に頂上。
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