汽水空間 ~言葉と次元の力学系へ~

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みやすけの散文詩 摂理

2010年09月11日 | 散文詩
 言葉を授けよ 執着心など捨てて 臆病な人間ほど、けたたましい音を立てて逃げ出すものだ。そして欲望でさえ今生に置いて赦される事の無い永遠の羞恥なのだとしたら、それはお前にとって血に飢えた猛獣よろしく、その渇きを癒す事は出来ないであろう。悪魔はその微笑みで、美女を誘惑し、その魂の奥の先まで、まるで骨にしゃぶりつくぶ男のように、その醜面を晒しながら息を喘がせているのだ。それは、一時の逃避にも見える。それぞれがただ等しいくらいに時の中で跪いているのなら、それに魂を乗っ取られてしまうがいい。この消印に、更なる後光の調べを感じたいのなら、その両手に垂れさがっている、真珠で出来た十字架を、この私の手の中で、粉々にする事だ。それが出来なければ、それこそお前にとって何が羞恥なのか、一目瞭然といった所だ。しかし、世の中は上手く出来過ぎている。そう思うのは、この私が、何も知らないという所為によるものか。それは、この天空に花開く一輪の星のように、それ自身が、何処か特異点じみた、ある種の幻想に、毎夜訪れる精霊に祝礼の接吻を施す悪戯なのかもしれない。お前は、一体何を望んで、この世界を闊歩しているのだ。諺に描かれている、こうした幻想は、いつの世にも、こなれた躍動でしかないのだから。いてして私は願おうじゃないか。この世界に賞讃の竜巻が起こるように、この世界に意図としない何か巨大な、それこそ、悪の大魔王のような、そんな幼稚な飯事に終始するような、そんな途方もない女の狂気、はたまたは、男が犯した世紀末の大惨事に置いて確立されている、豪奢な繕いの数々を、お前は、この眼で見ておいた方がいいだろう。この世とは破廉恥きわまる一現象である。それは絶えず犠牲者を伴いながら、その流された血で、次々に可憐なる生命を孵化していくのである。それが真理。それが神が授けた自然の摂理。だから私達は毎日を怯えて過ごしている。いつとも知れない死と、孤独を恐れるあまり、長は閉塞を起こし、太陽はこの生物を焼き焦がそうと、日に日にその熱を籠める次第である。
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