静岡県立漁業高等学園は、創立50年。一流の漁師になる近道です。

漁師をめざして、がんばっている生徒たち。
30歳までの若者が全国から漁業の街、焼津に集っています。

新島八重 84歳の書 (歴史散歩)

2013年04月01日 15時25分38秒 | その他
京都御所の東側、約2kmの高台に会津藩主・松平容保が京都守護職の本陣とした金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
この金戒光明寺に、新島八重が昭和3年、84歳の時に書いた直筆の書2点が展示されています。

明日の夜は 何国(いずこ)のだれか ながむらん なれし御城に 残す月かげ
八重24歳の時、戊辰戦争で落城した鶴ヶ城の壁に自らの笄(こうがい)で刻んだ和歌といわれています。
自分の思いをみごとに和歌や書にすることができる昔の人はすごいと思います。

いくとせか みねにかかれる むらくもの はれてうれしき ひかりをぞみる
容保の四男恒雄の長女、勢津子(節子)嬢が昭和3年に、秩父宮妃殿下になったときの喜びを詠ったものです。
戊辰戦争で賊軍とされた会津の人たちの汚名を晴らすできごとに、万感の思いで詠んだものと思われます。
(八重は、その4年後の昭和7年6月14日に88歳で、その生涯を閉じています。)

秩父宮殿下と勢津子妃殿下は、御殿場市にある御別邸で昭和16年から約10年間を過ごされ、静岡県とも大変深い関わりがあります。
殿下は、毎日富士山をご覧になり、春の雪をいただいた富士山が一番好きだったとのことです。 (秩父宮記念公園ホームページ)
現在、御別邸は、秩父宮記念公園内にあり、勢津子妃殿下のゆかりの品々を見ることができます。

写真は、私が正月に参拝した熊野本宮大社の社報「みくまの」ですが、題字を秩父宮妃殿下が御筆されていました。


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