静岡県立漁業高等学園は、創立50年。一流の漁師になる近道です。

漁師をめざして、がんばっている生徒たち。
30歳までの若者が全国から漁業の街、焼津に集っています。

「遊びの什(じゅう)」 会津藩童子訓

2012年12月07日 10時14分53秒 | 所感
11月26日のブログで、会津藩が藩士の子供(6歳から9歳)を育ててきた「什の掟」を紹介しました。
この時期は、基本的に家族を中心にしながらも近隣で遊ぶようになり、自主性や初期の道徳を育み、自己評価するようになります。

この童子期にどのように遊ばせていたか知ることは、いじめや不登校など様々な教育問題を抱える現代をふり返るキッカケとなるかもしれません。 
会津藩の「日新館童子訓」から「遊びの什」を抜粋して紹介したいと思います。

 日新館入学前の子弟は、昼食後は晴雨にかかわらず各グループごとに仲間の家に集まりました。
 班に編入されるのは6歳が普通でした。

 同じ町内に住む藩士の子弟が班を作り、単独で遊ぶことは絶対に許されませんでした。
 親は子に「遊びを怠ってはならない」「遊びに励みなさい」と教え、「遊びの什」に積極的に参加させたのです。 

 各家庭では順番に、子供のために一室を提供し、集会の場としました。
 夏は水、冬はお湯だけで、菓子や果物などを出すことは禁じられていました。

 全員が集合すると、父兄の身分に関係なく年齢順に座りました。
 什長(一番年上)が「什の掟」を述べます。
 これを「お話の什」と言って大切な心構えの研修でした。

 「お話」が済んで集会を終えると、よほどの悪天候でない限り外で日没まで遊びました。
 年長者が解散を宣告する前は、勝手に家に帰ることは許されませんでした。


 




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1 コメント

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質問です (ゆう)
2021-09-06 17:10:57
「よみがえる 日新館童子訓」の「遊びの什」に関する内容は、上書の何ページ中の引用でしょうか。
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