
(承前)
この馬の像も、特急バス「釧北号」などで通りかかるたびに気になっていました。
大楽毛駅前にあります。
わざわざこの像のためだけに大楽毛駅まで来るかというと、かなりビミョーなので、今回見に来られたのは良かったです。



ずんぐりむっくりした体つきは、サラブレッドとは全然違い、力が必要な農耕馬らしいたくましさを感じさせます。
日本全国の野外彫刻を見てまわっているブログ「かけらを集める(仮)」には
台座に取り付けられた碑文によると
製作:池田鎮男(釧路市 末広屋)
原型:田畑功(高岡市 日本彫刻会会員)
鋳造:守護健(高岡市 日本銅器株式会社)
台座:諸我秀夫(釧路市 諸我石材店)
とのこと。
さらに「日本釧路種立像由来」と題して、長文の説明が台座についています。
(ルビは筆者がふりました)
過去の関連記事へのリンク
田畑功「讃 偉業 清水清一氏」(オホーツク管内湧別町)
この馬の像も、特急バス「釧北号」などで通りかかるたびに気になっていました。
大楽毛駅前にあります。
わざわざこの像のためだけに大楽毛駅まで来るかというと、かなりビミョーなので、今回見に来られたのは良かったです。



ずんぐりむっくりした体つきは、サラブレッドとは全然違い、力が必要な農耕馬らしいたくましさを感じさせます。

日本全国の野外彫刻を見てまわっているブログ「かけらを集める(仮)」には
田畑功による銅像は全国に5000はくだらないと聞いたことがあるけれど、歴史的人物の肖像や裸婦・股間若衆のような芸術系(!?)だけでなく、さらに馬像まであるのか…とあります。
台座に取り付けられた碑文によると
製作:池田鎮男(釧路市 末広屋)
原型:田畑功(高岡市 日本彫刻会会員)
鋳造:守護健(高岡市 日本銅器株式会社)
台座:諸我秀夫(釧路市 諸我石材店)
とのこと。
さらに「日本釧路種立像由来」と題して、長文の説明が台座についています。
(ルビは筆者がふりました)
この場蔵は釧路馬産の歴史に輝く日本釧路種の典型像であります。
輓馬は交通網未整備な時代における国内運輸の主要な担い手であり、釧路は明治末期既にその主要な供給地の一つでありましたが、同時に馬産は夏季冷涼寡照という特殊気象条件下にある当地の農業経営にとって不可欠でもありました。このような背景から、その生涯を馬産振興一筋に生きた故神八三郎翁主導の下、明治二十七年から日本人の使役に適する体格の馬造りを目指し、在来の土産牝馬にトロッター種とペルシュロン種の交雑による優良種牝馬を配して得た産駒(農トロ)に小格ペルシュロン種を交配する事を一貫継続し、当地の気候風土によく適応しかつ輓馬として重要な四肢強健にして輓曳力強く活気と持久力に富む品種の作出に向け、四十有余年の歳月釧路馬産農家一体となって改良育種に務めた結果遂に昭和七年国産馬新品種として誕生したのが、この馬像にその典型をみる小格重輓馬日本釧路種であります。
この日本釧路種は一般産業用、農業用輓馬としての優れた特質から広く各地に歓迎され馬産王国釧路の名を全国に轟かしたのでありますが、昭和中期以降の急速な交通網の整備と農業機械化の進展にあって激減し、その純粋な姿は失われつつあります。しかしながらこの名馬が当地はもとより日本全国の産業発展に陰で果たした偉大な歴史的功績は消え去るものではありません。
平成時代初の午年にあたり、かつて我が国三大馬市場の一つとして盛時五千有余頭に及ぶ馬の集散拠点となったここ大楽毛駅前広場にその英姿を建立し、釧路馬産の輝かしい事績と先人の偉業をとこしえに伝えんとするものであります。
日本釧路種馬像建立期成会
過去の関連記事へのリンク
田畑功「讃 偉業 清水清一氏」(オホーツク管内湧別町)
(この項続く)