まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ロウバイに 昔のことを 促され

2014年01月13日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置が次第に緩んできており、概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で夜には、雲が広がってきた。気温は2度から5度と気温はさほど上がらなかった。湿度は63%から68%。西北西の風が少し・・・。明日の14日は、引き続き気圧の谷の影響で雲が広がる見込みらしい。

 

 昨夜も娘家族と過ごしたために、今朝は八時過ぎまで寝てしまっていた。で、朝食を食べて終わると、一家は帰ってしまった。

 

 さて、今日は、あの咸臨丸が品川港を出て、アメリカ・サンフランシスコに向かって出航した日とされていることから。1月13日は咸臨丸出航記念日となっている。万延元年(1860)年のこの日、勝麟太郎・福澤諭吉・ジョン万次郎ら江戸幕府の遣米使節を乗せた軍艦「咸臨丸」が日米修好通商条約の批准書を交換するため品川沖を出航した。一行は旧暦2月26日(太陽暦3月17日)にサンフランシスコに入港した。

  

 万延元年(1860)、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行がアメリカ軍艦ポーハタン号に乗って太平洋を横断。咸臨丸はポーハタン号の別船として、旧暦1月13日に品川を出帆、旧暦1月19日に浦賀をを出港、旧暦2月26日(太陽暦3月17日)にサンフランシスコに入港。艦長は勝麟太郎(正確には勝は「軍艦操練所教授方頭取」、木村摂津守は「軍艦奉行」であったが、中浜万次郎は勝が艦長、木村が提督との説明で押し通した。)。万次郎以外の船員は大半が船酔いで、技術アドバイザーとして乗船していたジョン・ブルック大尉他、アメリカ人乗員の助けを借りての航海であった。

  

 ということで、今日も昨日に引き続いて、おへんろつかさの資料整理・・・。資料も大きさがバラバラだし、縦書き・横書きもあれば・・右綴じ・左綴じもあって・・・その調整に手間取ってしまう・・・。

 

 そんなこんなで、今日は「木村食堂」での、奥方の手作りうどんになった。テーブル・マークの冷凍うどんでの月見うどんだろうか。けいこばぁのおうどんはとにかく熱いのが玉にきずだ。熱くすればいいというものではない。

 

 先日の「おへんろつかさ養成講座」で印象に残ったのが、「お遍路というのはすばらしいこと」という風潮が多いけれど、その裏にある「陰の部分」は語られることがない。そういうものを記録し、伝えていかねばならない」ということばだった。

 

 確かに、私らが子供の頃、50年ほど昔には、「おへんどさん」という人たちがいた。放浪の家族連れとか病気持ちの人たちだった。神社の軒下や地蔵堂に泊まったり、門付けをして賽銭や米や野菜をもらって歩いていた。戦後の混乱期だったのだろうか、人口増加などで街にあぶれた人たちがお四国さんに混じって行乞をしていたものだったのだろうか。

 

 ハンセン病とか肺結核の病人たちもいたらしい。そんな人たちが我が家の横の山道を登っていく様は異様な風景だった。そんな「陰のお四国さん」も、まとめておきたいものだと思った。小さい女のこどもや少年もいた。私らは、正式のへんろ道でない我が家の横の山道を登っていく姿を、ものかげに隠れて、その人たちが通り過ぎて行くのをながめていた・・・。

 

 彼らは、空き家や通夜堂とかで寝泊まりして旅をしていたという。さすがに、昭和の四十年代になると、そういう人たちは見なくなった。たまにリヤカーとか自転車に荷物を満載にして歩いているお遍路風の人を見掛ける程度になった。生活が落ち着いたのか、そういうお遍路を取り締まる法律ができたのかも知れなかった。

 

 そんな、お遍路さんの「陰の部分」を、各種の資料から抜き出して電子化してゆく作業を黙々としてやっていた。たぶん、明日もお天気次第ではそうなるのだろう。

 

 四国霊場86番札所志度寺から87番札所長尾寺に至る遍路道、長尾寺から88番札所大窪寺に至る遍路道沿いに並ぶおびただしいお遍路墓は、疲労や過労、餓死、病気で倒れて行き倒れたお遍路さんのお墓である。故あって故郷を捨てた人、過ちをおかして故国にいられなくなった人たち、治らないと宣告された病気の人たちは、四国を回って回って・・・行き倒れるしかなかったのである。

 

 そんな人たちのことを、今年一年をかけてまとめてみたいと思ったことだった。今は観光が主流となり、あるいは自分探しのお遍路ということに注目されるのだけれど、どうしても、お遍路に出掛けねばならなかった人たちのことを考え続けている毎日である。

 

 今日の掲示板はこれ。「倍返し どうせするなら 恩返しで」というもの。浄土真宗本願寺派、慈光寺さんの掲示板らしい。お釈迦様のお言葉にも「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない」『ダンマパダ』(『真理の言葉・感興のことば』岩波文庫P-10)より。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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