まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

野も山も はや一月が 暮れかかる

2014年01月27日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は-1度から5度、湿度は78%から63%。風は2mで北東の風がときおり・・・。明日の28日は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方からは雲が広がり、夜には雨の降る所がある見込みとか。

 

 今日は天気がいいものだからと、ドライブに出てみた。かと云って、そんなにアテがあるわけでもないので、とりあえずは四国霊場87番札所の「長尾寺」さんに行って・・。境内をぐるりと歩いてみて、特に変わったこともないので、そのまま、88番札所の「大窪寺」に向かった。紺屋の白袴、医者の不養生、歯科医の虫歯、坊主の不信心・・・。

  

 で、向かったのがここ。さぬき市前山という地区にある「おへんろ交流サロン」という建物。

 

 正式には「前山地区活性化センター」と言い、四国八十八か所結願までのへんろ道沿いにある。ここを一般的に、「おへんろ交流サロン」ということで、江戸時代からの納札や納経帳など遍路に関する多種多様な資料を展示した「へんろ資料展示室」とおへんろさんの憩いの場である「交流サロン」がある。

 

 玄関を入った正面には、大きな四国の模型があって、四国霊場八十八カ所のランプが付いて知らせてくれる装置になっている。これを見ると、四国霊場の多くが四国の海岸線近くにあることがわかる。ここから「辺地(へち)」と呼ばれるようになり、それが後世になって「辺路」となり、「遍路」になったとされている・・・らしい。

 

 これは最近の納経帳。74番札所の「甲山寺」と75番札所の「善通寺」のもの。こうした、おへんろに関する資料がたくさん集められ、展示してある。

 

 お遍路文化・・・、お遍路の社会学、お遍路の民俗学的文化・・・というものを側面から調べてみたいと思っている昨今である。「お四国大学」とか「お四国病院」とかと呼ばれる「お遍路文化」。そういうものに興味が湧いてきたところである。

 

 ここからが最後の正念場。いくつもの峠を越えて、結願(けちがん)所を目指す「結願の道」である。昔は踏み分け道のような道なき道を踏みしめて歩いたもの。だから、沿道沿いには多くの遍路墓が建てられている。

 

 そんな命がけの「遍路」に駆り立てたものは何だったのだろうか・・・。病気だろうか、生活苦だろうか、対人関係だっただろうか。あるいは村を追われ、人をあやめ、または、不治の病に冒されて、死出の旅に出たものも多かったに違いない・・・。

 

 それはそれとして、今日のお昼はここになった。

 

 さぬき市兼割にある「八十八(やそば)庵」という一般店。お店の半分はおみやげ物屋さんで、あとの半分がうどん屋さん。裏手には宴会場までもあって、団体さんのお昼などにも利用されている。

 

 で、ここの名物の「打ち込みうどん」で800円というからお安くはないお値段。このままでは食べにくいから、おわんに移してお箸でたべる。

 

 お出汁もおたまですくっておわんに入れて食べるとおいしい・・。寒いときにはこれでこころまで暖まる・・・。

 

 午後からは、まだ、デスクトップPC・ガンダム号の修正作業をやっていた。ようやくにOffce 2010のインストールまでこぎ着けた。これでパワーポイントも使えるようになった。

 

 節分前ということで、今日も鬼に関する掲示板。「鬼というそろしきものはどこにある 邪見の人の胸に澄むなり」という一休禅師の言葉らしい。鬼は地獄に住むものと考えがちだが、その地獄なり鬼なりはどこにあるかといえば、みな、わが身、わが心の中にあるというのである。「邪見」はまちがった人生観や世界観のこと。身びいきや身勝手なエゴイスティックな人生観や世界観が地獄の世界であり、鬼の住むところというのである。
(松原泰道『一休さんの幸福論』より)

 

じゃぁ、また、明日、あえるといいね。


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