まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

こおろぎの 顔遠くなる 日暮れかな

2016年09月13日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇りや雨となり、雷を伴って激しく降っている所があった。気温は24.0度から28.2度、午前9時台の降雨量は5mm/hで雷鳴が轟く土砂降りだった。湿度は99%から80%、風は1mから3mの北の風が一時強かった。明日の14日は、引き続き前線や湿った空気の影響で概ね雨となり、雷を伴う所があるらしい。

 

 今日は恒例の火曜日出勤の日。激しい雨の隙間をついてさぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」にやってきた。こんな日にも歩き遍路さんが休憩をしていた。

 

 ここ、おへんろ交流サロンは、お遍路さんたちの情報交換や地域住民との交流の場になっており、また、交流サロン内にある「へんろ資料展示室」には、江戸時代の紀行本や古地図、また接待を受けたお遍路が残した江戸中期からの納札や古い納経帳、手形など、四国遍路の歴史を感じさせる貴重な資料となる品々が展示されている。

 

 で、ここで、私たちは「俵札調査」ということを平成25年からやっており、寒川家、飯田家、田淵家の屋根裏から発見された俵に押し込まれていた紙くずを調べているという訳である。現在は寒川家の俵から発見された紙くずを丹念に調べている。

 

 これなどは、まだ、マシなほうの紙くず。これの分類名は「六十六部」となっている。 「六十六部」は六部ともいわれ、六十六部廻国聖のことを指している。これは、日本全国66カ国を巡礼し、1国1カ所の霊場に法華経を1部ずつ納める宗教者である。中世には専業宗教者が一般的だったが、山伏などと区別のつかない場合も少なくなかった。また、近世には俗人が行う廻国巡礼も見られたという。 なお、奉納経典66部のことを指して六十六部という場合もあった。

 

 六十六部廻国巡礼の風習がいつ、どのように始まったのかは、はっきりしない。縁起としてよく知られているのは、『太平記』巻第五「時政参籠榎嶋事」である。北条時政の前世は法華経66部を66カ国の霊地に奉納した箱根法師で、その善根により再び生を受けたと説くのだった。また、中世後期から近世にかけて、 源頼朝、北条時政、梶原景時など、鎌倉幕府成立期の有力者の前世を六十六部廻国聖とする伝承が定着していた。これらは、六十六部廻国巡礼の起源が関東にある可能性を示唆している。

 

 六十六部廻国聖による納経は、その名の由来どおり1国1カ所が原則的だったが、なかには1国内で66カ所をめぐった簡略形もあったし、逆に1国66カ所を66カ国分納経した例もあったという。いずれにせよ、固定された納経霊場がないのが特徴だった。

 

 それが終わると、「神符」の整理に入った。神符というのは神社などが発行する護符・お札・お守りなどのたぐいである。

 

 神札を守札、神符と呼ぶ神社もある。下賜されるものは他に「御守」(「お守り」「守札」)、「撤饌」(「おさがり」) があるが、撤饌は一般にはおふだとおまもりを除き、また神様に供えた供物(食物)を指すことが多い。神札は紙製であることが多いが、神社によっては木製、 金属製のものもある。また紙1枚のものもあれば、和紙に折りたたんで中に神札を封印してあるものあるが、この場合は開封は厳禁とされている。表面には神社名や祭神名が書かれている。

 

 今日もいつものメンバーでの作業となった。男性陣は区分けされたものを整理しながら「ナンバリング(一連番号付与)」をしながら、年号や氏名などを確認し記録していく。女性陣は紙くずのしわ伸ばし・・・。

 

 お医者さんもいない、薬屋さんもない、農業試験場もない時代に、人びとがすがったのが神さんや佛さんだったのだろう。今だって受検シーズになると天神さんにお参りして絵馬を奉納したり、入学祈願でJRの学駅の入場券を買ったり、蒸気機関車の滑り止めの砂を買い求めたりするのだから・・・。

 

 これの分類がわからないのだが、こんぴらさんの絵地図にはなっているが、単なる観光案内地図ではなさそう。ちゃんとご朱印が押してあるのだから。

 

 今月の20日あたりから、島の家にお客さんが遊びに来るというので、明日から草刈りやら室内のお掃除に行くのだが、明日も激しい雨が降る予想。「さあて、どうしたもんじゃろうかいのぉ~」。あさっての15日には晴れそうだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。全く、今日の日記とは関係ないのだけれど、「失敗はありがたい 失敗して自分を知る 他人を知る 人生を知る」というもの。「失敗もおかげである 失敗して自分を知る 他人を知る 人生を知る みんなありがたい」という倉科良俊さんの言葉からのようである。しかしながら、その倉科良俊さんがどのような人なのかは分からなかった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



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