まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

やさしさが にじみ出ている やぶ椿

2014年01月16日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は1度から10度、湿度は78%から56%。風邪は1mから5mの北北西の風だった。今日、高松市でひばりの初鳴きが観測されたそうだ。平年より26日早く、昨年より22日早いのだそうだ。明日の17日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 迷犬ごんの散歩をさせれば、もう、9時だ。最近は朝、眼が覚めるのが遅くなってきているし、外に出かけるのにも時間がかかるようになった。

 

 さてだ・・・。例のさぬき市の光化工事の、今日は我が家の最終試験の日だという。ところが、待てど暮らせどやってこない。その間は出かけるわけにもいかなくて・・・。結局の薬局で、お昼のおうどんも食べずに待っていたら、やってきたのはお昼過ぎだった。

 

 それまでの間、仕方がないから、またしても、「四国遍路の歴史」というものをまとめていた。

 

 これは、行李(こうり)に入れて持ち歩いていた手製の納経帳と納札。どんな想いでお遍路を始めたんだろうかね。

 

 初期のバスに乗ってお遍路をした人たちもいたし、多くは徒歩で歩くしかなかった時代が長かった。

 

 お昼のさぬき市のCATVでは、こんな放送をやっていた。誰が誰だとは言わないけれど・・・。

 

 14時過ぎになって、ようやくV試験というか、テレビ回線やインターネット回線、光電話回線の試験が終わった。これで正式に、我が家の光化工事が終わったことになる。そして、今日からはNTTさんとはお別れ。安堵と同時に、一抹の寂しさも覚えたことだった。

 

 十八歳で神戸の電話局に入社してから四十二年間の電気通信の世界に身を置いて、六十歳で定年退職。それから・・・5年。永いようで短かった人生だったなぁと思った。

 

 ということで、丸亀市の丸亀港までやってきた。明日の午前中に行われる「イギリス士官レキ研究会」に参加するための「前泊」である。会合は10時10分から始まるので、最低、9時半のフェリーに乗らねばならない。でも、最近は朝寝坊のため、我が家を8時前に出るのは至難の業。だから、前泊でやってきたもの。

 

 で、ニュービサンという高速艇に乗ってしわく広島に戻ってきた。やれやれだ・・・。

 

 ということで、広島の家でのんびりとしようとしたらば・・・。

 

 この、島のテレビが壊れてしまって、またまた、アクシデント。またまた。出費がかさむ。

 

 今日は満月、「望」の日らしい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「いただいて足りて 一人の箸をおく」という山頭火の言葉というか自由律俳句。なるほどなるほど、と思うが、何となく山頭火らしくない風情である。いかにも行儀の良いかしこまった僧の生活という風情である。山頭火なりの自由奔放さが見えないように思った。山頭火の中にある理想的な自分の姿を投影した句かもしれない。その意味では山頭火の句である、ということはできる。そして、実際にこのような心境になった時もあるだろう。人間存在は幅広いのであるから・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


遍路道 無心無心と 霜の朝

2014年01月15日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、ときおり、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がってきた時もあった。気温は1度から9度、湿度は78%から57%。風は2mから4mの西北西の風が少し・・・。明日の16日は、東シナ海に中心を持つ高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は奥方がお泊まり勤務だったもので、BS放送なんぞを楽しみながら、ちびりちびり・・・とやっていたら23時を大きく回ってしまっていた。おかげで、今朝は8時過ぎ起き。かと云って、別に予定もアテもあるわけではないので全く支障はない。犬のごん様が散歩に行きたくてうずうずしているくらいなものである。

 

 ということで、午前中は、スキャナーで読み込んだ資料の校正作業というか修正作業というか・・・。やはり、機械で読み込んだ文章には読み間違いが幾つもある。うちの場合、「は」と「ほ」との区別ができていないし、カッコの(「」、『』、【】)が認識できていない。漢字も複雑なものは認識しないので、そういうものを修正していかねばならない。

 

 それに、一番、面倒なのが「ルビ」。「ロロロロロロロロロロロロへんろ」などという記号があるので、それらは削除しないと文面がおかしくなってしまう。だから・・「邊路(へんろ)」などのように書き直す作業も入る。

 

 今日のお昼はさぬき市役所に用事があったもので、さぬき市志度にある、このお店に入った。ここもプチセルフのお店で、「こがね製麺所・志度店」。

 

 で、注文したのは「しっぽくうどんの小」で480円だったか。ここは白味噌仕立てなので、見栄えも味も少しばかり違う。白味噌のおかげなのか、味はマイルドで食べやすいなぁと思った。

 

 これは先日の「おへんろつかさ」の閉講式の写真。大山市長が閉講の挨拶をしているところ。このゴマシオ頭のおじさんが私。そろそろ髪を切らないといけないぞ。

 

 これは、修了証書を授与されているところ。このごましお叔父さんの頭が邪魔やね・・・。

 

 これが、修了生と講師・市長さんらとの記念撮影風景。修了生は18名やね。前列左から三人が講師、そして市長。最後部の高い所にいるのが会長。こうしてみると、本当におじいさんになったねぇ~。私は市長さんの後ろにいたつもりなんだけれど。

 

 午後からも、ワード文書になったもののチェック。さすがに連日ともなると、眼が乾いてしまう「ドライ・アイ」現象なのか、文字が見えづらくなってくる。

 

 これもお遍路さんが行き倒れて、地元の人がお墓を建てたものらしい。こういうお墓が建ててもらえるのも、路銀をいくらばかりだか持っていた人。お金のない人は形ばかりに埋められて、お墓の代わりに菅笠を載せ、杖を墓標代わりに立てておしまいになった。

 

 お花は自然に咲く野の花で、お水は天からのもらい水だった。そんなお墓が、このあたりにはおびただしい数で残されている。

 

 ということで、明日からはまた、しわく広島に行くのだけれど、光化工事の最終試験も明日だという。早くに最終試験が終わって、しわく広島に向かいたいものである。

 

 今日の掲示板はこれ。「財布を忘れたらびっくりするけど 自分を忘れてもびっくりしない」というもの。確かに財布や携帯電話を忘れたら身動きできないくらいになっている昨今、びっくりするだけじゃなくと、どうにもこうにも動きがとれなくなってしまっている現代。そんな中にあって、夢中になって自分を忘れる、ぼんやりしていてて自分を忘れる。ふっと、自分を忘れてしまっているときもあるが、そんなときにも、私たちはそんなにはびっくりしない。その差はなんなんだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


一つずつ 成果の見える 朝の霜

2014年01月14日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れてはいたが、気圧の谷の影響でときおり雲が広がっていてはまた晴れるという繰り返しだった。気温は―1度から5度、湿度は81%から60%。風は1mから2mの北北東の風が少し。明日の15日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 南国四国にしては冷たい朝になった。迷犬ごん様の水桶はすっかりと凍ってしまって逆さにしても水滴も垂れなかったし、ロータス・ポンドの蓮池もガラス板のようになっていた。東日本や北海道の人からみれば、ちゃんちゃらおかしいのだろうけれども・・・。讃岐にしてみれば、これは「事件」なんだ・・・。

 

 で、今日も昨日に引き続いて、四国遍路の資料のスキャニング。本や資料をスキャナーというソフトで読み込んで、ワープロソフトの「ワード文書」に変換してしまう。スキャナーという、大げさな機械があるわけではなくて、単なるプリンターを使って文字情報として読み取って保管するもの。ソフトは、「読んでココ」というけったいな名前のソフト。アプリケーションだ。

 

 先日の七日の日に、さぬき市光化工事の業者さんが来たのだが、「家が大きすぎて時間切れになった」ということで、工事途中で帰ってしまったのだが、「ともかく配線工事だけでも・・・」ということで、宅内工事にやってきた。先日は、軒先だけの工事とか、配線ルートを決めるだけで終わったのだが、今日は配線工事を済ませた。

 

 白いほうが、光からメタルに変換する変換装置。黒い方がターミナル・アダプタ。これから、電話機やパソコンに配線される。これは電話系。テレビ系はテレビ系で接続されて、邸宅内の三カ所のテレビに接続された。リビングの壁掛けテレビのは、「BSアダプタ」が接続されて、BS放送チャンネルも増加した。

 

 云うてはなんだが、雨が降ると電話に雑音が入る。ネット接続が切れる・・・、ネットにつながらない・・・という田舎特有の電話障害に悩まされてきたが、ようやくに、それらから救済されるみたい。元社員だから・・という遠慮もあって、イライラするような電話を使ってきたのだが、別会社の光回線に切り替わって(個人的に変えたのではなくて、さぬき市の施策として変更された)、ようやくに「ほっ!」としたことだった。これで、完全に「元職場」とはお別れだな・・・と思った。

 

 ということで、奥方もお仕事に出かけたので、少し足を伸ばして、高松市三谷町にある、この「根っ子」というプチ・セルフ」のお店に入った。高松市仏生山街にある「仏生山法然寺」の二天門が焼けた・・・というのを、ここで見た新聞のニュースで知った。もったいない遺産が消えたなぁと思った。

 

 おお、久しぶりのしっぽくうどん。この盛り上がったような具材の多さはどうだ・・・。食べきれるのかなぁと思うほどだった。肝心のおうどんが見えないではないか・・・。

 

 ここは珍しく「おそば」があるらしい・・・。でも、私はおそばを食べる習慣がないし、あまり、おそばに馴染みがないので・・・・全く、おそばには興味がない。

 

 さて、今日は集落内にある「山の神さん」のおまつりだという。この「山の神さん」と、「地神(ぢじん)さん」は、年に二回ずつ、計四回の例祭がある。今年、第一回目の例祭であるが、昔のように「お太夫さん(神職さん)」も呼ばないし、祝詞もない。

 

 昔にはここに拝殿があったらしく、礎石も残っているが、今は集会場での「直会(なおらい)」だけになっている。

 

 で、ここに集まる人たちも年々歳々、少なくなってきて、今日はわずかに八人だけになってしまった。男性が四人に女性が四人。過疎と高齢化がひしひしと感じられるようになってきた。直会も、菓子パン二個とペットボトルのお茶一本。山の神に感謝するような事柄もなくなってきて、単なる座談会に終始する。

 

 少し前までは、山で薪(たきぎ)を採り、木を伐採して炭を焼いたり、マキを作ったり、山でワラビを取ったり、まつたけも採った。でも、すっかりと山には入ることもしなくなって、山は荒れ放題になって自然に戻ってしまっている。やがてには、この集落も自然の中に埋もれていってしまうのかもしれないなぁと思ったことだった・・・。

 

 ということで、今日も慌ただしく一日を終えたことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「けさ 目ざめたら まっさらの命 今日もキラキラ」というもの。誰の言葉かはわからない。私のブログの最後の言葉、「また、明日、会えるといいね」の続きのようなことば。「朝、眼が冷めたらガッツだね!」みたいなことば。明日の朝には、こんな気分になれたらいいね。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ロウバイに 昔のことを 促され

2014年01月13日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置が次第に緩んできており、概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で夜には、雲が広がってきた。気温は2度から5度と気温はさほど上がらなかった。湿度は63%から68%。西北西の風が少し・・・。明日の14日は、引き続き気圧の谷の影響で雲が広がる見込みらしい。

 

 昨夜も娘家族と過ごしたために、今朝は八時過ぎまで寝てしまっていた。で、朝食を食べて終わると、一家は帰ってしまった。

 

 さて、今日は、あの咸臨丸が品川港を出て、アメリカ・サンフランシスコに向かって出航した日とされていることから。1月13日は咸臨丸出航記念日となっている。万延元年(1860)年のこの日、勝麟太郎・福澤諭吉・ジョン万次郎ら江戸幕府の遣米使節を乗せた軍艦「咸臨丸」が日米修好通商条約の批准書を交換するため品川沖を出航した。一行は旧暦2月26日(太陽暦3月17日)にサンフランシスコに入港した。

  

 万延元年(1860)、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行がアメリカ軍艦ポーハタン号に乗って太平洋を横断。咸臨丸はポーハタン号の別船として、旧暦1月13日に品川を出帆、旧暦1月19日に浦賀をを出港、旧暦2月26日(太陽暦3月17日)にサンフランシスコに入港。艦長は勝麟太郎(正確には勝は「軍艦操練所教授方頭取」、木村摂津守は「軍艦奉行」であったが、中浜万次郎は勝が艦長、木村が提督との説明で押し通した。)。万次郎以外の船員は大半が船酔いで、技術アドバイザーとして乗船していたジョン・ブルック大尉他、アメリカ人乗員の助けを借りての航海であった。

  

 ということで、今日も昨日に引き続いて、おへんろつかさの資料整理・・・。資料も大きさがバラバラだし、縦書き・横書きもあれば・・右綴じ・左綴じもあって・・・その調整に手間取ってしまう・・・。

 

 そんなこんなで、今日は「木村食堂」での、奥方の手作りうどんになった。テーブル・マークの冷凍うどんでの月見うどんだろうか。けいこばぁのおうどんはとにかく熱いのが玉にきずだ。熱くすればいいというものではない。

 

 先日の「おへんろつかさ養成講座」で印象に残ったのが、「お遍路というのはすばらしいこと」という風潮が多いけれど、その裏にある「陰の部分」は語られることがない。そういうものを記録し、伝えていかねばならない」ということばだった。

 

 確かに、私らが子供の頃、50年ほど昔には、「おへんどさん」という人たちがいた。放浪の家族連れとか病気持ちの人たちだった。神社の軒下や地蔵堂に泊まったり、門付けをして賽銭や米や野菜をもらって歩いていた。戦後の混乱期だったのだろうか、人口増加などで街にあぶれた人たちがお四国さんに混じって行乞をしていたものだったのだろうか。

 

 ハンセン病とか肺結核の病人たちもいたらしい。そんな人たちが我が家の横の山道を登っていく様は異様な風景だった。そんな「陰のお四国さん」も、まとめておきたいものだと思った。小さい女のこどもや少年もいた。私らは、正式のへんろ道でない我が家の横の山道を登っていく姿を、ものかげに隠れて、その人たちが通り過ぎて行くのをながめていた・・・。

 

 彼らは、空き家や通夜堂とかで寝泊まりして旅をしていたという。さすがに、昭和の四十年代になると、そういう人たちは見なくなった。たまにリヤカーとか自転車に荷物を満載にして歩いているお遍路風の人を見掛ける程度になった。生活が落ち着いたのか、そういうお遍路を取り締まる法律ができたのかも知れなかった。

 

 そんな、お遍路さんの「陰の部分」を、各種の資料から抜き出して電子化してゆく作業を黙々としてやっていた。たぶん、明日もお天気次第ではそうなるのだろう。

 

 四国霊場86番札所志度寺から87番札所長尾寺に至る遍路道、長尾寺から88番札所大窪寺に至る遍路道沿いに並ぶおびただしいお遍路墓は、疲労や過労、餓死、病気で倒れて行き倒れたお遍路さんのお墓である。故あって故郷を捨てた人、過ちをおかして故国にいられなくなった人たち、治らないと宣告された病気の人たちは、四国を回って回って・・・行き倒れるしかなかったのである。

 

 そんな人たちのことを、今年一年をかけてまとめてみたいと思ったことだった。今は観光が主流となり、あるいは自分探しのお遍路ということに注目されるのだけれど、どうしても、お遍路に出掛けねばならなかった人たちのことを考え続けている毎日である。

 

 今日の掲示板はこれ。「倍返し どうせするなら 恩返しで」というもの。浄土真宗本願寺派、慈光寺さんの掲示板らしい。お釈迦様のお言葉にも「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない」『ダンマパダ』(『真理の言葉・感興のことば』岩波文庫P-10)より。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


煩悩を 積み上げて行く 朝の霜

2014年01月12日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは気圧の谷の影響で雲の広がる時が多かった。気温は0度から8度、湿度は74%から54%と乾燥気味。風は2mから4mの西北西の風が少し。明日の13日は、冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすい見込みなんだとか。

 

 今朝はみんなが休みと云うこともあって、朝は八時過ぎまで寝てしまっていた。昨夜は娘家族がやってきてにぎやかな夕食になったことだったし・・・。で、目覚めると、霜で真っ白け・・・。

 

 睡蓮池も氷が張って、この通り・・・。久々に冷たい朝になった。でも、最近は露出した土が少ないものか「霜柱」は見jかけない・・・。

 

 朝の間は良く晴れて気持ちが良かったし、大霜だったから、暖かくなるぞと布団を干したのだが、そんなに暖かくはならずじまいだった。

 

 孫のはやて君はマウンテンバイクで近くの山でトレーニング。道なき山を登ったり、走り降りたり・・・。

 

 やるもんだね。

 

 妹のなぎちゃんも、まけじと、山の旧宅から二キロの道を走って帰ってきた。手袋もせずにヘルメットもかぶらずに・・・。

 

 私はいただいた、「おへんろつかさ養成講座」の資料の電子化。スキャナーで取り込んで、電子データベース化で日が暮れた。

 

 それと並行してして、四国遍路の基礎データも取り込んでいた。こうして電子化さえしていればいかようにも調理・味付けができるから。

 

  これは江戸時代の巡礼の様子。信仰心いくらかで、息抜きの観光気分いっぱい・・・みたいな雰囲気だろうか。巡礼だ、お遍路だと云わないと旅もできなかった時代があったんだな。

 

 で、資料集の表紙造りもついでにやっておく。これで和綴じにすれば、それなりの資料集になる。ということで、今日はデスクワークの一日になった。

 

 夕方の迷犬ごんの散歩でも、すっかりと冬さなかの風景の中はもの寂しいものがあった。

 

 今日の掲示板はこれ。「足るを知るは最上の富 良友と語るは最上の楽しみ 法を聞くは最上の福」というもの。お釈迦様の最後の教え「佛遺教経」で、「少欲知足」を説いている。後の言葉はわからない。でも、全体としてのあじわいはなかなかにいいなぁと思ったりする。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


一日が あっという間だ 藪つばき

2014年01月11日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて、概ね晴れていたが、午後からは寒気の影響で雲の広がっている所が出てきた。気温は1度から8度、湿度は62%から52%。風は2mから4mの西北西の風が少し。明日の12日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日はさぬき市観光協会が行っている「おへんろつかさ養成講座」の閉講式の日。8時半に、さぬき市前山地区にある「おへんろ交流サロン」にやってきた。9時からが講義。

 

 今日は香川大学の教授お二人からの講義で、大賀先生からは「四国遍路は人生のたとえ話」という講義。「人生は谷あり山あり・・」とか「雲のように悠然と・・」とか云われるように人生は旅、お遍路も旅・・・みたいなお話。四国遍路の旅から人生のたとえ話を学ぶ・・・という講義だった。

 

 二講義目は、稲田先生から「納経帳に見るお遍路の旅行」というテーマで、江戸時代末期から明治初期におけるお遍路の旅程について、納経帳から旅のルートを探るものだった。その時期、土佐藩・宇和島藩ではきびしくお遍路の通行を禁止した。その理由とか、お遍路の行程を考える講義だった。

 

 その講義が終わると閉講式。主催者挨拶とか市長さんのお話があって、修了証書が授与された。

 

 ちなみに、スーツ姿の男性が授与する側で、黒い女性が授与される方。

 

 これが修了証書。記念品に、講師の先生が推薦していた「四国遍路」という岩波新書がプレゼントされた。

 

 その後、実行団体である「おへんろつかさの会」の活動状況なんぞの紹介があって、その会に入会して、今後とも研究したり、活動したりすることにした。年会費は1000円。ま、よほどのことがない限り、受講生は、その会に入るものらしい・・。この7回の講義をうけただけで、観光ボランティアができるようになるわけでもない。

 

 この名札も返却して、4月からは違う名札になるらしい。

 

 閉講式の後の意見交換会では、おはぎとコーヒーが出されたが、どちらも苦手なものだから、そこでは食べずに、戻る途中のここに寄った。さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店。

 

 時間は13時半を過ぎていたが、いつもの「しっぽくうどん並」550円をいただいた。一般店のおうどんはいつ食べても味が一定なのは安心できる。

 

 13時半を過ぎると、多くのお店はお客さんがいなくなる。そういうことで、ゆっくりとおうどんを食べる事ができた。どうしても、セルフのお店などでは、おうどんを流し込む・・・というようになってしまいがち。

 

 ということで、一つのミッションが終わって、来週は「英国士官レキ研究会」の総括編。

 

 今日の掲示板はこれ。「「寒いね」と話しかければ「寒いね」とこたえる人のいるあたたかさ」という俵万智さんの短歌である。人生、それなりに長い年月を生きていると、どうでもいいことに有り難さを感じたり、当たり前のことに優しさを感じたり、求めてもいなかったことに恋焦がれたりするものである。寒い時に、「寒いね。」って同意してくれる人がいることって、とても素敵なことだし、有り難いことだとおもう。どんなささいなことでも、同意して、共感して、肯定してくれる人がそばにいるっていうのは、ありがたいことなぁと思う今日、このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


寒椿 挨拶だけで 通り過ぎ

2014年01月10日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため西部を中心に雲が広がっていて肌寒い一日になった。雪や雨にはならなかった。気温は1度から5度、湿度は78%から50%。風は3mから5mの北西の風。明日の11日は、冬型の気圧配置が弱まり、緩やかに高気圧に覆われるため、概ね晴れる見込みとか。

 

 寒かったが、今日は行って来なくては・・・ということで、またしてもやってきたのが・・・。

 

 四国八十八ヶ所霊場の88番札所の「医王山遍照光院大窪寺」に行ってきた。お遍路の最後の札所大窪寺は願いが成就する寺として別名、結願(けちがん)寺とも呼ばれている。

 

 今日は、この「秘仏」であるご本尊の特別開帳を拝観したいものだとやってきたもの。

 

 大窪寺では、四国八十八ヶ所霊場開創1,200年記念事業として、2014年の毎月8日から12日、9:00~15:00の期間中、本尊、薬師如来の特別開帳が始まっている。通常の薬師如来は左手に薬壺を持っているのだが、大窪寺の本尊である薬師如来はホラ貝を持っています。人々の悩みや心の霧をホラ貝で吹き払うためであろうか。秘仏であるので、通常は見られないが、前回は50年前だというから、今後、見られる可能性はまずないのかも・・・。この入口から入ると受付がある。

 

 この拝観の心得をしっかりと読み、拝観料1,000円をお支払いすると、

 

 お寺のパンフレットと散華用の「ケバ」と「金剛線」と呼ばれるミサンガのようなものが授与される。この金剛線は仏様と結縁(けちえん)するもので、お守りとして使ってもいいそうだ。その後、塗香(ずこう)は、仏前に出る前や法要を執行する前に行われる。宗派により違いがあるが、一般に、先ず指ひとつまみの少量の塗香を左手に受け、右手の人差し指と中指に少しつけ、口に含む。次に香を両手で数度磨り合わせ、その後、その両手で胸(実際は衣の上)に当て塗る。身・口・意の三業を清めるとされる。仏前に進む場合に行う礼儀である。普通は、お線香や抹香で身を清めるのと同じ。

 

 その後、椅子に座り、住職さんのお唱えするご本尊の真言、「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」を聞き、御詠歌、「南無薬師 諸病なかれと願いつつ まいれる人は大窪の寺」を頂く。その後、奥のご本尊前に案内していただいて拝観をさせていただく。

  

 このご本尊は、つい最近に修理された木像で、寺伝では弘仁年間 (810 - 823) に僧空海(弘法大師)が奥の院の岩窟で虚空蔵求聞持法を修し、薬師如来を刻んで安置したとされている。この時に空海が納めたとされる錫杖は、空海が唐から持ち帰った三国伝来のものと伝え、本尊とともにまつられている。

 

 で、今日のお昼はここになった。大窪寺門前にある「八十八(やそば)庵」という一般店。

 

 今日は寒かったせいか、お参りの人は少なかった。さすがに10日にもなると初詣の人も少なくなっている。

 

 今日は名物の「打ち込みうどん」800円をいただいた。寒いときにはこれを食べると汗がにじんでくる。

 

 午後からは、「おへんろつかさ」の資料整理。明日の閉講式で、一連の講義が終わるので、その資料をまとめていたもの。

 

 今日の掲示板はこれ。「運によって生き方が変わるのではない 生き方によって運が変わるのです」というもの。荒了寛さんの言葉であるが、川の流れには素直に従ったほうが、抵抗もなく、速く進むことができる。それが「運を大切にする」ということである。運を大切するということは生き方を考えるということでもある。流れのままに生きることも大切なことではあるが、その流れをうまく使って生き抜くこともまた運を切り替えて行くことにもなるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


生かされて 水仙の黄に 安堵する

2014年01月09日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、雨や雪の降っている所があるらしい。お昼過ぎには青空の見える所もあったようだったけれど。気温は7度から9度と気温の変化がほとんどなかった。湿度は86%から54%。風は5mから6mで西の風。明日の10日は、引き続き冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすく、朝にかけては雪や雨の降る所がある見込みなんだとか。

 

 朝のお仕事を終えて戻ってきたけいこばぁが、「今日は坂出の美術館に行ってみない?」というので、今日は坂出市沙弥島にある「東山魁夷せとうち美術館」に行くことになった。

 

 途中、高松市一宮町にある「源平うどん」というプチ・セルフのお店に寄った。で、けいこばぁが、「源氏うどんがおいしそう・・」というので、それを二つ注文した。このおうどんには、「釜揚げ」と「ザル」が選べるというので、「釜揚げ」を注文して、大きさは「小の一玉」をお願いした。「7分ほどかかりますので、レジをすませて、席でお待ち下さい。番号でお呼びしますから・・」というので、暫く待った。で、できあがったのがこれ。

 

 ひと目見た瞬間「うわっ、すごい!」と、けいこばぁは驚いた。釜からあげたばかりの輝きを放つ麺、そして扇状に敷き詰められたスルメイカの天ぷら。芸術作品かと思うような「源氏うどん」のボリュームと美しさは、まさに圧巻。釜からあげたばかりの麺は、生き生きとしていて申し分ないうまさ。たっぷり1玉半盛られているにもかかわらず、どんどん箸が進んでしまう。その合間でいただく熱々イカ天の味と食感も最高! まるごと1杯分なので食べきれない。残ったらパックで持ち帰り可能という心遣いもうれしい限り。

 

 坂出市沙弥島は、かっては坂出港の沖合約4kmに浮かぶ,東西160m,南北930mの小島であった。昭和42年(1967年)番の州埋立事業で陸続きになったが,今でも『沙弥島』と呼んでいる。

 

 この沙弥島周辺で行われたのが、瀬戸大橋架橋記念博覧会で、1988年(昭和63年)3月20日から8月31日まで開催された瀬戸大橋開通記念の地方博覧会であった。さらに、その跡地に建てられたのが、「香川県立東山魁夷せとうち美術館」。

 

 日本画家・東山魁夷の作品のみを収蔵する個人美術館で、魁夷が塗装色の提案をした瀬戸大橋のたもと、祖父の出生地である櫃石島を望む地にある。2001年4月に東山すみ夫人より寄贈された版画作品270点余の展示公開を行う施設として構想され、2003年に着工、2005年4月に開館した。地方都市にある展示室面積277m²の小さな美術館であるにもかかわらず、来館者は1ヶ月あたり平均約1万人という異例の高い水準にある。

 

 展示品は全て東山魁夷の作品である。館蔵品の大半は石版画であるが、館の高い人気を背景に長野県信濃美術館・東山魁夷館や兵庫県立美術館などから作品を多く借り、質の高い展示を維持している。同時に肉筆画の収集も行い館蔵品の質向上を目指しているらしい。

 

  今回は、一階展示が「自然と形象/写実からの出発」、二階展示が季節をめぐる旅-冬」という展示だった。これは、木版画で「たにま」という作品。

 

 これはリトグラフで、「道」という作品。昭和25年の作品で、青森県八戸市で取材をしたものだとか。こうしてみると、なんでもないが、実物は色合いがなんともいえずに美しい作品。

 

 これは、リトグラフで、「冬映」という作品で、ドイツ北部で取材したもの。

 

  これは二階展示の木版画の「室生暮雪」という作品。木版画というと、小学校や中学校で習った木版画を思い出すが、そういうものとはまるきり違う木版画・・・。まるで日本画そのままのような気がしてならない・・。(これらの画像は、館内で買った絵はがきを画像処理したもので、館内では撮影禁止です)

 

 これは、カフェ・・・から見た瀬戸大橋。瀬戸内海も緑色から冬らしいブルーになっている。

 

 駐車場から見た架橋博タワーと瀬戸大橋。この頃はいい青空だったのだけれど・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「あらたまの年のはじめは祝うとも 南無阿弥陀仏のこころわするな」という蓮如上人のお言葉。時期が少し遅くなったけれど、お正月でうかれる気持ちをひきしめるように、蓮如上人は仰せになったのかもしれない。そしてまた、新年こそ、お念仏の始まりだよと云うとるのかも知れない・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


彫金に こころの裏を 見透かされ

2014年01月08日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は気圧の谷や前線の影響で雲が広がり、雨が一日中降っていた。気温は5度から8度と高めなんだか低めなんだか・・。湿度は92%から89%。風は0mから2mの西南西の風。寒くはないが暖かくもないという一日になった。明日の9日は、冬型の気圧配置となるため雲が広がりやすく、雷を伴って雨や雪の降る所がある見込みらしい。

 

 昨日は市営ケーブルネットの光工事のためにわやわやの一日になって、今朝、目が覚めたのは八時前だった・・・。案外と私もデリケートなんだ・・・。

 

 ということで、今日は高松市林町にある「香川県立図書館」に行ってきた。昨日に作った本、二点六冊を納本するためだ。ま、私の製本の発表会みたいなことか。「塩飽の狛犬」「東讃の狛犬」「木田の狛犬」「香川郡の狛犬」「綾歌郡の狛犬」「丸亀市の狛犬」、「広島の民俗と歴史」「本島の歴史と民俗」「塩飽の神々と仏たち」「塩飽諸島と咸臨丸」などが献本されている。今回で12作品目となる勘定。

 

 ここにあるのがその狛犬シリーズ。最近はまったく、問い合わせもなくなった。狛犬シリーズもお休み状態・・・。香川にはあんまり大きな変化もないし、とくに変わった狛犬も見られない・・・。

 

 これが、今回、納本した、二点六冊の本。国立国会図書館には送らない。送れと云うて来たら送るけれど、「発行部数は幾らですか?」とか「コピーした本は受け取れません」とか面倒なことを言い出す女性職員がいるもので・・・。

 

 県立図書館の前にある、「たもや林店」でのお昼になった。お昼と言うても、朝昼兼用のおうどん。

 

 今日はこれ。「釜揚げカレー」小・・・というメニュー。釜からあげたばかりのおうどんにカレーのルーを乗せたもの。あとは好きなトッピングで食べる。

 

 お値段とバージョンはこの通り。私は小だから350円。寒いときにはこういうあつあつのカレーもいいものだなぁと思った。

 

 で、およそ、一時間をかけて山の家に戻ったら、奥方のけいこばぁが、「日本伝統工芸展に行こうよ~」というので、またしても、一時間をかけて松市内へユーターン。「私の人生・暇だらけ、私のお顔は皺だらけ~」。

 

 これは、65歳になると香川県から送られる長寿手帳。栗林公園と県立ミュージアム、それに東山魁夷せとうち美術館へは無料で入れるというパスポート。

 

 んで、香川県立ミュージアムにやってきた。なんだか、鬼ヶ島みたいな建物やね。いや、鬼ヶ島には行ったことがないのだけれど。ここに、先ほどの「長寿手帳」をかざして、フリーパスで入ってみた。

 

 展示室には、こういう白磁鉢とか・・・

 

 こんな、「乾漆蒟醤(キンマ)箱」のような漆工芸作品が多かった。

 

 これが奥方が見たかった「木芯桐塑布紙貼「一気」という堀部信子さんの作品。お神輿を担いでいる若衆を表現した人形。実際にはこの四人しかいないから、なにがなんだかわからないが、こうして部分にカットするとそれらしくなる。

 

 今日の掲示板はこれ。お友達のお寺にあった言葉で、「あわてず あせらず あらそわず あきずに あかるく ありがとう を大切に」というもの。うまく「あ」のつくことばを並べたものだ。でも、確かにそうだ、そうだ・・・と,うなずくことばかり。ありがたいことだなぁ。なむなむなむ。

 

じゃぁ、また、あした、会えるといいね。


計画が おぼろに見えない 霜の朝

2014年01月07日 | 今日もなんだかなぁぁ・・・だった日。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、太平洋側では湿った空気の影響で雲の広がっている所があった模様。気温は1度から8度、湿度は72%から61%。風は4mから2mの南南西の風が少し・・・。明日の8日は、気圧の谷の影響で雲が広がり、雨が降りやすいらしい。

 

 朝は冷え込んだようで、犬の水も野菜用の水もすっかりと凍っていた。それでも我が家の迷犬ごん様は冷たい芝生の上で丸まって寝ている。寒くないのかねぇ・・。冷たくないのかねぇ・・。

 

 ということで、お布団を干してみた。気温は低いし、若干の風もあったのだが、いい天気なのにもったいない。

 

 今日は市営のケーブルテレビの光工事の日。いつ、工事の人が来るかわからんので出掛ける訳にもいかず・・・。連絡先もわからない・・・。

 

 日本離島センターから注文を受けていた「本島の歴史と民俗」という本を印刷・製本したし・・・。これまた、途中でプリンターの調子が悪くなったり、用紙切れになったりしてあたふたするばかり・・・。

 

 香川県立図書館に贈呈用の「二十四輩さん」と「法然上人」さんの本も三冊ずつ印刷して製本した。貸し出し用・閲覧用・書庫用の三冊ずつ。いつも、こういうパターンで贈呈している。

 

 図書棚閲覧用に背表紙もつけておいた。芸が細かいだろ・・・。

 

 で、お昼時間には工事の人は来ないだろうということで、近くの「まるたけうどん」に寄ってみた。

 

 で、久々の「肉うどん小」で400円。あんまり安くはないお値段。急いで食べて・・・自宅待機。

 

  ところが、待てど暮らせど工事の方はやってこない・・・。で、やってきたのが午後4時過ぎ。地理がわからず・・ナビを頼りに走ったら、とんでもない所で迷っていたのだとか・・。地理が分からない人に我が家の場所を教えるのは難しい・・。

 

 結局の薬局で、真っ暗になってしまって、工事途中で帰ってしまった。で、次回の工事は16日の木曜日になるのだとか・・・。「今日は大きなおうちが二軒もあって・・・」というのだが、大きなうちだろうと小さなうちだろうと、あんまり関係ないと思ったのだけれど・・・。なんだかねぇ・・・。

 

 ということで、我が家は光回線にはならなかった・・・。テレビはいまだに同軸。インターネットはいまだにアナログ・・・。なんだかなぁ・・。

 

 ということで、二時間遅れで入浴、食事、ブログの更新・・・。なんか、ペースが狂ってしまったことだった・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「先のことは誰にも分からない でも、今できることを即実行・継続 これが将来を開く」というもの。先のことは誰にも分からないもの。だから、今できることを即実行し、継続する。それはそれでいいことなんだけれども、それが将来を開くかどうかは・・・「先のことは誰にも分からない」のだ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


冬日和 登ってみたい 峰がある

2014年01月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、寒気の影響で雲の広がっている所もあった模様。気温は1度から7度、湿度は73%から58%。風は1mから2mの北北西の風が少し。明日の7日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みだが、気圧の谷の影響で、昼過ぎから次第に雲が広がる見込みらしい。

 

 さぁ、今日から平常業務だ、通常業務だと張り切ったものの、たってきやらねばならないこともないのに気づいて・・・さて、今日はどうしようか・・・と考え込んだ。法話のストーリーの構成とか、島案内人養成講座用のマニュアル作成とか、離島センターに送る本の制作とかやらねばならんことはしっかりとあるが、どれもこれも不急のものばかり・・・。

 

 これが香川の主な社寺・観光地の三が日の人出の数。だんとつに「こんぴらさん」への参詣が多い。香川県東部では、与田寺が88,000人、大窪寺が30,000人、田の口薬師が27,000人、白鳥神社が20,000人。やはり与田寺がダントツか・・・。

 

 ということで、まだ、行っていない「大窪寺」を覗いてきた。原則として「阿弥陀さん」以外にはお参りはしないのだが、ここには「阿弥陀堂」があるので、そこだけにはお参りをしてきたのだが・・・。

 

 今年は「四国八十八ヶ所霊場開創千二百年」ということで、ここのご本尊(秘仏)が特別に開帳されるらしい。毎月八日から十二日迄の午前九時から午後三時までなので、十日あたりか十一日に、もう一度、お邪魔して秘仏を見せて頂きたいもの。ここのお薬師如来は「薬壺」ではなくて、とあるものを持っている。それをこの目で見たいものである。

 

 本堂にあるこの本尊名を刻んであるこの看板。なにかが違うことに気が付くかなぁ・・。これ、案外と多くの方が見逃している看板で、説明しないとわからない人が多い。「薬師」の「薬」の字の右の「く」という字が刻まれていない。「く・・・・苦を抜いてある」のである。

 

 本堂で、おあそびの「おみくじ」を引いてみた。たぶん。「吉」は大サービスで入っているのだと思う。で、おまけは「大黒様」。昨年もこれとまったく同じだったような気がする。

 

 大師堂の案内小僧さん・・・毛皮付きのジャンパーを羽織っている。誰かの忘れ物だろうか・・。手製のお地蔵さんのマスコット付きのりまきもかわいい・・・。

 

 大師堂前の便所に立っているこの人は「ウスサマ明王」。文字通り、「トイレの神さま」である。烏枢沙摩明王は古代インド神話において元の名を「ウッチュシュマ」、或いは「アグニ」と呼ばれた炎の神であり、「この世の一切の汚れを焼き尽くす」功徳を持ち、仏教に包括された後も「烈火で不浄を清浄と化す」神力を持つことから、心の浄化はもとより日々の生活のあらゆる現実的な不浄を清める功徳があるとする、幅広い解釈によってあらゆる層の人々に信仰されてきた火の仏である。

 

 ということで、今日のお昼は、その門前にある「八十八庵(やそばあん)」というお土産屋さん兼うどん屋さんの一般店。今日はどういう訳だか、スーツ姿のサラリーマンたちが何組も、何組もがお寺にお参りしては、ここでおうどんを食べて帰っている。仕事始めにここに来たんだろうかね。

 

 で、名物の「打ち込みうどん」は一人で食べてもおいしくないし(そんなことはないのだが)、お値段もするので(800円)、今日は「しっぽくうどん」を頂くことにした。500円である。

 

 あっさり系のさっぱり系のしっぽくうどんだった・・・。

 

 先にも云うたように、今年は四国八十八ヶ所霊場開創千二百年記念事業がそれぞれの札所で行われる予定。中には絶対に見られない秘仏の開帳もあるので、お近くのお寺や霊場会で確認しておくといい。この機会を外すともったいない・・とういうような催しもあるそうなので、ぜひとも確認しておくこと。

 

 今日の掲示板はこれ。お友達のお寺にあったもので、「生かさるる いのち尊し けさの春」という中村久子さんの言葉。中村久子さんは、1897年、飛騨の高山で誕生し、三歳のとき突発性脱疽に罹り、両手両足を無くされた。中村さんは、その障がいの事実を真正面に引き受けて、人権意識が未成熟で障がい者への差別の厳しい、生きていくのも非常に困難な時代を、女性として、母として、そして何よりも一人の人間として72年の生涯を生き抜かれた。晩年詠まれた「手足なき身にしあれども生かさるる今のいのちはたふとかりけり」に、自己の「身の事実」を機縁として、真実の世界に目覚めていくという、中村さんの心の軌跡が窺える。 春は、全ての「いのち」をはぐくみ、育てる自然の営みの尊さをひとしお輝かせて見せてくれる。中村さんは、その中に生をうけ、生かされている自らに気づかされ、その事実によろこばれたことと思われた。目覚めるたびに今朝も生きているとの確認は、生かされていることの体感であり、実感であったのであろう。その体感が苦難の中を精一杯生きる力となったものと思われる。 「今日のことば(句)」は、新しい春を迎え、あらためて人間の存在の真実を考えさせてくれるものであろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


冬晴れて 隣の町に 行ってみる

2014年01月05日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は2度から6度、湿度は74%から57%。風は3mから1mの北北東の風が・・・。明日の6日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 天候はいいのだが、空気が冷たくて鼻やのどに突き刺さるような冷たさ・・・。でも、気持ちのいい朝ではあった。

 

 毎日が日曜日なんだけれども、カレンダーが日曜日だと、気分的に気が緩むのか、7時半まで寝ていて慌てたものだった。別に取り立てての用事も予定もなかったのだけれど。

 

 9時半過ぎになって、けいこばぁが、「お年始に行くわよ~」というので、親戚のお仏壇参りにの運転手にされてつきあわされた。午前中はそういうことで消えてしまった。

 

 ということで、奥方の運転手のご褒美はここ。さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店。日曜日のお昼過ぎの一般店だから、さぞや混んでいるなぁと思ったが、さほどでもなくて、すんなりと席について、すんなりとおうどんが食べられた。

 

 私は・・・マイブームの「しっぽくうどん」。ここでは「並」で550円。奥方はいつも通りのかけうどんで350円、合計で900円。

 

 我が家で一休みしたあと、「やはり、あそこには行かないとあかんやろ・・」ということで、奥方がお昼寝をしている間に、ここに行ってきた。

 

 東かがわ市松原にある「白鳥(しろとり)神社」。寛文4年(1664)に松藩初代藩主・松平頼重が朱印地200石を当社へ寄進して再興、以後は天領になった。明治5年(1872)に県社に列格された。ともかく、香川県東部ではかなり有名な神社である。

  

 今日はいい天気だったからだし、日曜日ということもあってか、かなりの数のおまいりがあった。と、云うても、昔ほどのにぎわいにはほど遠い。

 

 ここのしめ縄は少し変わって居るなぁと思った・・・。

 

 ここの狛犬は現代創造型。隋神門には白鳥ならぬ「鶴」が居る。

 

このおおらかさが日本人の信仰なんだなぁと思ったりする。

 

 お遊びで引いた「おみくじ」100円だからそんなに期待もしないが、なんとなく「小吉」というのが「こきち」らしくていいなぁと思った。おまけの達磨がかわいいが、ポケットに入れている間に姿を消してしまった。

 

 今日の掲示板はお正月らしくはないが、これ。「老いてこそ人生 ていねいに生きる ゆっくり生きる やわらかく生きる」というもの。その後に「尊いものを仰ぐ 美しいものに感動」の言葉・・・。つながっているのだろうか・・・。 調べて行くと、「老いてこそ人生  ていねいに生きる  ゆっくり生きる  やわらかく生きる 仏さまにまかせて  ありがとうございます  もったいない  おかげさま 」と言う言葉もあった。ふむふむ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


初詣 肩幅が狭く なってきた

2014年01月04日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、はじめは高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や寒気の影響で午後は次第に雲が広がり、夕方からは雨や雪の降るみこみ。気温は4度から12度、湿度は80%から62%。風は1mから3mの北北西の風が少し。明日の5日は、気圧の谷や寒気の影響で、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 昨夜、大騒ぎした連中のみんなは朝食を食べ終わると早々に帰ってしまった。そこで、三男のたっくんと二人で、東讃岐の初詣で有名なお寺を回ってみることにした。単なる物見遊山で初詣ではない。

 

 まず最初に行ったのが与田寺。ここは厄除けで有名で、このあたりではかなり有名なお寺。山門前にあった「与水小学校」が廃校になって、広い駐車場になっていたのには驚いた。ここは初詣でもかなり有名なお寺だったが、今日は四日目ということでか、かなり人出は少なかった。

 

 昨年の今頃はもっと、車の数も人出の数も多かったように思うのだけれど・・・。

 

 少しアングルを変えると人影はぐんと少なくなる。ここも徳島県からの参拝客が多い。少し前までは、香川の人たちは徳島の薬王寺に厄除け祈願に行ったものだが、最近はそんな話も聞かなくなった。

 

 厄除けのために、自分の年の数だけの一円硬貨を投げ入れて、木のキネで、年の数だけ搗くといいのだそうだ。ちなみに厄除けの祈願料は、二千円・・・お札のみ。五千円・・・お札と一ヶ月間の祈祷。一万円・・・お札と三ヶ月間の祈祷。二万円・・・お札と一年間の祈祷。一ヶ月だけの厄除け祈願・・・と云われたら・・・二万円出すと思うかな・・・。

 

 この石段も、自分の役の数だけ、一円玉を一個ずつ置いて昇るらしい。だから、寺務所で、一円硬貨を販売しているとか・・・。50円分とか100円分だろうかな。33円分とか42円分というのはないような気がするけど。

 

 次に行ったのは、ここも厄除けで有名な「田の口薬師」と呼ばれる東照寺。ここも広い駐車場があって、比較的多い数の車が。

 

 ここは、本堂でお参りしてから住所氏名などを記帳して祈祷料5000円をお支払いしてお札を頂いて、地下の真っ暗な回廊を回ってくるというもの。ここも石臼に一円硬貨を年齢の数だけ入れてキネで年の数だけ搗く。中央あたりがその石臼の場所。

 

 毎年恒例の誕生日によるおみくじが100円。当然、毎年、同じような内容。誕生日ごとだから、そんなに性格が変わるわけでも運命が変化するわけでもない。ここは露店が二軒と少ないのが印象的だった。でも、人出はぐんと減ったなぁと感じた。

 

 私が現役時代、一月いっぱいは、このあたりは渋滞で車が動かなかったもの。露店だって数十店が軒を連ねていたのだが・・・。それだけ信仰心が薄れてきたのだし、遊びに行く方向性が多様化しているのだと思う。子供らだって、こんな場所に行くよか、ゲームで遊んでいた方が楽だし楽しいんだと思う・・・。時代の流れだなぁと思うことだった。

 

 東讃岐の初詣ポイントといえば、「白鳥(しろとり)神社」があるのだが、そこは今年はパスした。たぶん、四日ともなると、参詣人はぱらぱらなんだろうなぁと思って・・・。何かイベントがあれば人は集まるけれど、お正月も四日になれば・・・。

 

 午後からは、台所やリビングなどの大片付け・・・。宴会の後の大掃除みたいなことだった。お昼は・・・残飯整理・・・というと語弊があるが、残り物処理・・・。おそらく、夕食も、明日も明後日もそのようなものだと思う・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「たとえどんなに辛くても 春を迎えぬ冬はない」というもの。同じような言葉に、「止まぬ風はない」、「あがらぬ雨はない」、「山よりでっかい獅子は出ぬ」、「明けない夜はない」、「来ない朝はない」などが思い出される。「秋が来ない夏はない」、「春が来ない冬はない」シリーズみたいなことだ。けれど、時計は逆回りはしないのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


過ぎていく つかの間だった お正月

2014年01月03日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷が接近するため夕方から雲が広がってきた。気温は3度から10度、湿度は70%から53%。阿zえhあk3mから1mの北東の風が少し。暖かいお正月の三が日だった。明日の4日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、夕方からは雨や雪の降る所がある見込みらしい。

 

 今日ものんびりとして7時過ぎに起きた。今朝の朝食はこんなもの・・。

 

 ま、朝食がいただけるだけでも有り難いのだけれど、せめてお正月らしい朝食だとさらにいいのだけれど。

 

 お昼前になって、娘家族がやってきてお墓参り。

 

 お昼前から、みんなで昼食作り。なまこを切ったり、カキフライを作ったりとおおわらわ・・。

 

 お昼過ぎからは、私の兄弟家族が集まっての新年会。それでも10人ほどになっただろうか・・・。

 

 これは大分で買った「ばんぺいゆ」。大柄な柑橘類。あんまり、好評ではなかった。珍しいと云うだけのものか。桜島大根もまたしかり・・・。

 

 とにかく、おおきなみかん。普通のみかんの十倍もあるようなみかんだが、いかんせん、すっぱくて少し苦い。

 

 お昼過ぎから始まった宴会は中休みをしながら、これから夕食タイムに入るらしい・・。

 

 いただいたお酒もあっという間に空っぽになってしまった。

 

 そんなこんなで、お正月はあっという間に過ぎてしまう。

 

 ということで、ようやくにお正月らしい一日になったことであった。

 

 今日の掲示板はこれ。「お正月を迎える心で日々新たに生きる人は幸福なり」と言う言葉。昨日は昨日、今日は今日、日々新たに生きることが大事だなぁというとるのですな。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


凧揚げる 子らのいなくて 青い空

2014年01月02日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は8度から12度、湿度は61%から48%。今日も暖かなお正月になっている。風は3m程度の西北西の風が少し・・・。明日の3日は、はじめのうちは高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷が接近するため次第に雲が広がり、夕方からは雨の降る所がある見込みらしい。

 

 我が家は「喪中」という訳でもないのだが、今年は誰も来ない。毎年の2日は「正月礼」ということで、親戚一同が集まって、飲み食いして世間話に興じたり、情報交換をする場だったのだが、今年は親戚筋も「気を遣って・・」からなのか、誰も来ない・・。

 

 ま、母がいなくなったことで、親戚筋も大幅に減ったし、正月にはこれとこれとこれ・・・みたいな台本が用意されていたのだが、司令官の母がいなくなってからは大幅に手抜き工事になって、松飾りもなければおせち料理もおとそもない。普通の毎日と同じようなこと。

 

 ま、お味噌汁はあって、お正月バージョン。これにあんパンと野菜ジュース・・・という、アンバランスな朝食になった。

 

 それではあまりにもつまらない・・・ということで、初詣に行ってきた。ここは東かがわ市小砂(こざれ)にある「正眞講(しょうまこう)本部」、いわゆる「旧小砂説教所跡」。庄松(しょうま)同行の墓所である。

 

 これが、「釈正眞:庄松さんの法名」のお墓とされているもの。ま、いわゆる「祈念碑」である。庄松さんは「石の下にはおらぬ」と云うたのだから、ここにいる筈はない。

 

 これが、小砂説教所跡の内部。ご本尊は阿弥陀如来立像である。向かって左の余間に、庄松さんの言動を絵にしたお軸やら人形やらが安置してある。

 

 これは妙好人庄松さんの肖像画。香川からはこの一人が選ばれている。

 

 お昼は「木村食堂:けいこばぁいわく」での特製うどん正月版。テーブル上にあるものを適当に投げ込んだ 並べただけのもの・・。

 

 「一年の計は元旦にあり」と、昔の人は云うたのだけれど、昨日は少しもそんなことを考えなかった。今年の計画としては、京都本山での研修や安居、住職僧侶研修会などに参加することがまずもって決まっている。それと「イギリス士官レキ研究会のまとめと研究成果報告会の開催」が第二テーマ。「夏休みの自由研究」のテーマはまだ未定。とりあえず、できることからコツコツと・・・。

 

 さて、「初夢」だが、元日から2日にかけて、つまり昨夜に見たのが「初夢」だという説が多い。大晦日から元日という説もあるらしいが、そうとも限らないとか。昨夜の夢は、法要に呼ばれたのに経典を忘れてうろおぼえでお経を称えたら叱られた・・・という奇妙な夢。富士山もタカもナスビも出て来なかった。また、今夜の2日から3日に見ても初夢という説もあるので、今夜に期待してみてもいいか。

 

 それにしても、最近は変な夢ばかりをみるようにはなった・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「歩くから道になる 歩かなければ草が生える」という、相田みつをさんの言葉。昔はみんな野山を踏みしめて歩いたもの。人が歩くから道ができた。今でも田舎の登山道はそんなもの。人が歩かなくなれば、道は本の山にもどってしまう。それと同じように、歩かなければ、自分の前にある道に草が生えて、行き先が見えなくなってしまう。一歩一歩ずつでも足を前に進めなければ目的地は到達しない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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