まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

本を読む けだるさ越えて 秋の暮れ

2015年11月15日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は瀬戸内側では寒気の影響で雲が広がり雨の降っている所があったが、午後からは晴れてきた。気温は17度から20度、湿度は88%から63%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の16日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は「おへんろつかさの会」の研修会がさぬき市前山のおへんろ交流サロンで開かれて、真念さんの『四国偏禮道指南』、澄禅さんの『四国遍路日記』から讃岐の遍路道を辿る・・・というお勉強会。

 

  この頃はきれいに晴れて秋らしくなったなぁと思って居たのだが、やがてのことには曇ってきて雨まで降り出してきた。今日は季候がいいせいか、大勢の歩き遍路の方が、このおへんろ交流サロンにもやってきた。外国人の方が多いなぁと思った。

 

 ところが、肝心の研修会の受講生がやってこない。いつもは顔を見せる駐車場係さんもやって来ない・・・。会場の準備はできているし、講師の先生もスタンバイしているのに・・・。

 

 時間になったので研修会場に入ってみると、いつの間にか、こんなにも人が・・・。どこからやってきたのだろうか・・・。希望者は30名とか言うていたが、今日の参加者は半分の15人。

 

 講師はおへんろつかさの会の渡邊会長。古文を読んだり、古文書を解読するのが好きな方。

 

 だから、こういう古い本が読めるのだ。

  

 この先生は、「一太郎」ファンで、わざと、こういう筆文字風の文章にしてある。こうして、澄禅さんの日記風文章と、真念さんの道案内文章を対比させながら、江戸時代の人はどうやってお遍路をしていたのかを調べている。

 

 この真念さんのものは、ガイドブックだから、お寺のことは少ししか書いていないのが特徴。途中にある名所とかお寺とか、源平の戦いのこととか、道標があるとかないとか・・・。

 

 一方の澄禅さんのほうは、何月何日、どこのお寺で泊まったとか、雨だから滞在したとかの遍路日記であるのが特徴。その両方を対比しながら読むと、江戸時代のお遍路の様子がわかるという仕組みである。

 

 ま、こういう研修会だから歴史に詳しい人ばかり・・・。私は歴史というか数字に弱いものだから、目はうつろ・・・。ま、私は駐車場案内係だから真剣に聞いていない節もあるのだけれど。

 

 この歩き遍路の方は、ここで休憩してから、花折峠経由の旧へんろみちを越えて行くのらしい。また、ここで待機しているバスは、長尾寺からここまで歩いて来るお遍路さんの荷物を積んで待機しているのだそうだ。で、ここで一休みしたら、今度は大窪寺で先回りして待っていて、最後にはみんなを乗せて帰るとか・・・。いろんなスタイルのおへんろさんがいるものだ。

 

 午後からは、似たような本だけれど、図書館で借りてきた「寂本」さんの「四国偏礼霊場記」をながめていた。これはちゃんと現代語訳になって、きれいな明朝体だから読みやすくできている。で、ここにも真念さんの「道指南」も現代語訳されて付け加えられている。

 

 今週は前半はお天気が悪そうだが気温は暖かそう。そして、今度の土曜日の「まちぶら探検隊」はお天気が良さそう・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「この一年 悔いなしと散る 落ち葉かな」というもの。まだ、時期的には早いかなぁと思うけれど、落ち葉が降りしきるようになったもので。花には花の役割があり、葉っぱには葉っぱの役目がある。冬が近くなると、広葉樹などは広い葉っぱでは水分を発散させるので木が弱るために葉っぱを切り落とす。また、光合成能力の落ちてきた葉っぱでも植物は弱る。そこで葉っぱを捨ててしまう。紅葉はその前段階で変色するものらしい・・・。紅葉も落葉もお仕事 を終えた葉っぱを切り離すことでおきる自然現象。これを悲しいと見るか、寂しいと見るかは人間様のこころのありようだけ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


寺に来て 落ち葉相撲の ひたむきさ

2015年11月14日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で雲が広がり、雨が降りやすく、雷を伴う所がある天気予報だったが、なんとか雨に降られずに今日が終わった。気温は17度から22度、湿度は94%から91%、風は1mから4mの南東の風が少しばかり。明日の15日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、明け方まで雨が降る見込みらしい。

 

 さて、起きてみれば雨だ・・・。今日は「さぬき市PRサポーター 志度まちぶら探検隊」コース③、「一歩先行く、さぬき市の偉人めぐり」パートⅠの日。嗚呼、それなのにそれなのに雨・・・。泣きたくなる気持ちで準備をして雨具を用意して・・・。

 

 ところが、集合場所の「コトデン志度駅」に着いた頃には雨は上がって、空も明るくなってきた。コースは15人の予定だったが数名がキャンセルになって、10人余りになった。関係者が5名。ま、ちょうどいい人数になった。ここからはマイクロバスでの移動になった。

 

 まずは、さぬき市津田にある「琴林公園」から。ここでは、「平山郁夫画伯写生の松」や「願い橋・叶え橋」や「映画撮影の地」を散策し、「棟方志功絶賛の松」を見た後・・・

 

 「琴林碑に見る安芸栄柱と東州齋写楽の関係」についてお話した。

 

 今回は、遠く多度津町や丸亀市からの参加者もあったとか。ま、地元のさぬき人でも、津田の松原の中を歩くなどということは滅多にない。

 

 津田八幡神社(石清水神社)では、神社参拝のお作法から狛犬の鑑賞法や、この神社の見所などをお話した。

 

 最初はペースが速かったが、後半にはゆっくり目に説明することで、予定時間通りにバスに乗り込んで、さぬき市大川町に向かった。大川ではみろく自然公園に入り、「みろく石穴」をガイド。

 

 その後、「さぬき市歴史民俗資料館」で、石穴掘削のジオラマ前で工事の概要を説明した。

 

 再び、マイクロバスでさぬき市末にある「田舎カフェ樹樹」での昼食になった。ここは、前にもお話したが、葉タバコの乾燥小屋、つまり、「米葉(ベーハ)小屋」をリニューアルしたもの。

 

 最初は、こんな物置状態の小屋だったらしい。それが落ち着いた「カフェ」になっていて、市道からは建物が見えない「隠れ家」的なお店になっている。

 

 で、お昼はこんなものをいただいた。鶏肉のような感触のお肉だった。食後にはケーキとコーヒーも運ばれてきた。バスの運転手さんやスタッフとともに、おいしくいただいた。私はおなかが小さいので、お昼は遠慮しようかと思ったが、あれこれとお話をしながらだと、いつの間にか完食をしていたのだった。

 

 食後は、すぐ近くにある「高野山真言宗」の霊芝寺(れいしじ)さんの境内にある「高松二代藩主常公」と、「十代藩主恕公」の墓所にお参りした。このあたりから、テレビカメラが入ってきた。さぬき市のケーブルテレビ局らしい。

 

 最後は、神前(かんざき)小学校での「真嶋正市先生」のお話。香川県で最初の「文化功労者」に選ばれた「応用物理学」の大先生である。

 

 この黄色いジャケットの方が、今回のお世話役の岡さんである。こうして、心配された雨にも遭わず、無事にまちぶら探検隊は終了し、予定通りに、14:30には、元の、コトデン志度駅で解散することができた。めでたしめでたし。

 

 今日の掲示板はこれ。「できない理由をいくら挙げてもしょうがない。逆にどうしたら前へすすめるかを考え、一つひとつ手を打っていく。そういうふうに思考回路を転換することで、道は開けていく」という荻田 伍さんの言葉から。失敗したこと、うまくいかなかった理由や言い訳を幾ら並べても済んだことは仕方がない。今度は、どうしたらうまく行くだろうかと前向きに考えて一つ一つを積み上げていくしかない。そうでなければ、あんな大きなピラミッドなんぞ積み上げられる訳がない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


時雨れては 思い出ばかりが 積み上がる

2015年11月13日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降っている。気温は12度から17度、湿度は88%から70%、風は1mから5mの南東の風が少しばかり。明日の14日は、四国沖を進む前線や湿った空気の影響で雨が降りやすいらしい。

 

 今日は天気が悪いということで、またしても香川県立図書館へやってきた。来週いっぱいは防災工事のために休館になるらしい。だから、借りている本は返却しておかねばならない。

 

 香川県立図書館は、1993年、旧高松空港跡地の香川インテリジェントパーク内に完成し、地下1階、地上4階で、開架22万冊、書庫100万冊に整備されている。隣には香川大学工学部がある。以前は中央公園横にあって、現在は香川国際交流会館(アイパル香川)として使われている。郷土資料には空海に関する資料だけでなく、津島洋書文庫、二山文庫、栂尾文庫などがある。

 

 で、また、適当にみつくろってきたが、あんまり、参考になりそうな本ではなかった。左端の「四国遍礼霊場記」は、前回にも借りた本らしい。あんまり記憶に残っていないと、何度も何度も借りてしまう。

 

 これは、国鉄の宇高連絡船の船長をしておられた萩原さんが、亡くなった奥さんの追悼のために四国遍路をした時のスケッチを元に作られた切り絵集である。右が八十五番札所八栗寺、左が八十六番札所志度寺である。切り絵で、こういう風景を描くというのは神業みたいに見える。

 

 この二冊は、志度寺の観光ガイド用に選んだのだが、少しばかり難しそう・・・。

 

 午前中はぽつりぽつりだった雨が、午後からは本降りになってきた。明日は「まちぶら探検隊」のガイドの日なのに、雨では楽しくはなれそうもないし、足下が悪くては歩くにも歩けない。いくら何でも、子供のようにてるてる坊主を作って吊す訳にもいかないではないか・・・。

 

 さて、先日に、塩江美術館で見た写真の話の続き・・。この牛の一団は、「借耕牛(かりこうし)」と言った。夏と秋の農繁期に徳島の山間部の農家から農作業のために賃借りする牛のことである。古くは江戸時代の中期の文化年間(1804~1818)の頃から始まったといわれ、昭和30年代まで続いていた。

 

 借耕牛は、徳島の山間部は草資源が多く牛を飼いやすく、反対に本県の平野部は水田が多く稲わら、麦わらは副業に使用するため、草資源に乏しく、牛を飼うのが容易でなかったなどの事情から行われるようになった。「馬喰(ばくろ)」という取次業者が中に入って契約を交わすのが普通で、期間は、夏秋作を通じ約80日ほどであった。

 

 借耕牛の頭数は、多い時期には夏秋作を通じ約8,200頭。徳島からの経路は東から五名口、清水口、岩部口、美合口、塩入口、猪ノ鼻口、野呂内口、曼蛇口などであった。賃貸の時期には各峠の集合場は牛を追い上げ、追い下げる両県の農家でにぎわい、飲食店などが繁盛。讃岐山脈の峠を境に長く続いた借耕牛は、両県の農家経済に大きな恩恵をもたらしたという。代償は米で支払われていたが、その額は牛の大小、強弱、鍬の仕込み具合などによって相場が決められているので一頭ごとに異なり相場の幅があった。およそ1頭平均で夏作は米5斗5升(約83キロ)、秋作は米5斗(75キロ)、夏秋合計して1石5斗(158キロ)であった。借耕牛の習慣は、耕運機など農機具の普及とともに農家の需要が減少したため次第にすたれていき、現在では全く行われなくなった。

 

 思い返せば、わが家でも牛を飼っていたし、その牛の草を刈るのが私ら子供の役目だった。それが、親父の死で、牛が使えなくなり、耕耘機の導入、トラクターの導入で牛の姿も消えた。そんな、思い出を噛みしめながら「借耕牛」の写真を眺めたものだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「どう もがいてもダメなときがある。手を合わせるしか方法がないときがある。本当の目が開くのはそのときである」という相田みつをさんの言葉から。確かに、どんなに頑張ってもダメな時ってあるもので、そんな時、あなたはどうしていただろうか。あっさりと、諦めてしまうだろうか。それとも、まだまだ頑張り続けるだろうか。私は気が短い方だから、あっさりと別の方法を探すようにしている。それを繰り返していたならば、やがてにはどうにかなってくるもの。試行錯誤の連続にはなるだろうけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


舞う落ち葉 黙って見ている 午後である

2015年11月12日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は12度から17度、湿度は80%から49%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の13日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜には雨が降る見込みらしい。

 

 先日の丸亀市での歴史講演会の後で、「今回のパワーポイントの画面コピーが欲しい・・・」という熱心な方がおいでになって、半分、面倒だし・・、半分、また、赤字になるし・・・ということで、お断りしたのだが、どうしても・・というので、シートを印刷して製本した。

 

 先日には、塩飽本島の学校の先生から、「本島の民俗と歴史」という本が是非とも欲しいので送って欲しい・・」という依頼があって、その二冊を郵便局から送ることにした。多くの場合、本を送っても礼状の一枚も来ない。だから、いつもお断りはするのだけれど。そうそう、国立国会図書館だって、「送れ、送れ」と言うだけで、ハガキの一枚の礼状も来ない。

 

 愚痴ばかりこぼしても意味がないので、今日は、ここの「タイム取り」。この、土曜日のまちぶら探検隊の「みろく公園編」。どういうルートで案内すれば時間が節約できるか・・ということで、三コースを実際に走ってみて、歩いてみて、時間を計測した。

 

 あの、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」の讃岐版の隧道である。この石穴の現物を見てから、「さぬき市歴史民俗資料館」に向かう。現物を見てから説明する方が理解しやすいだろうと・・・。

 

 こちらが「さぬき市歴史民俗資料館」で、この建物は、「伝習館」で、この建物の向こう側に、本館の資料館がある。

 

 伝習館の入り口を入ると、このようなジオラマがある。ま、こんなことで、トンネルを掘ったのだろう・・という想像風景である。この隧道の中は、おとながかがんで(背を曲げて)通れるだけの高さである。

 

 この資料館からさぬき市末にある「田舎カフェ樹樹」まで行って、その時間を計り、そこからユーターンして、この「霊芝(れいし)寺」に寄る。ここは数分の距離。ここは「高野山真言宗」の寺院で、高松藩主のお墓がある。そのお墓を見学する予定。

 

 こちらが霊芝寺さんの本堂で、本尊は十一面観音。高松藩初代藩主・松平頼重公が再興し、二代藩主・頼常が東林山霊芝寺と名を改めたのだとか。

 

 これが、二代藩主・常公と十代藩主・頼恕公の墓地への石段であるが、これが実に歩きにくい。高さが一定ではなく、また、奥行きもバラバラ・・。どうやって歩けばいいのかと思案する。それに、食後のおなかには遠く思える。

 

 その先には、このような門があって施錠されている。当日は、開けてくれている筈。高松松平藩は浄土宗のため、仏生山法然寺が菩提寺で、その裏手山頂に「般若台」という一族の墓地があるが、この二代目と十代目だけは水戸藩から来たために、実父水戸光圀公にならって「儒教方式」のお墓になっている。

 

 これが、上の門を入ったところにある「御霊家」で、位牌所と呼ばれているもの。

 

 その先にも階段ばかりが続いている。どうにも坂道や石段は苦手なのである。それだし、土曜日は天候が悪そう・・・。

 

 ここのイチョウはこれからみたい。ここで、「落ち葉相撲」ができそうだ。

 

 と言うことで、旅程表ができた。あとは、当日の天候と、私の体調次第・・・。頼みますぞ。

 

 今日の掲示板はこれ。「掃けば散り 払えばまたもちり積もる 人の心も 庭の落ち葉も」というもの。道歌というものらしい。私たちのこころには、毎日毎日、塵や埃や芥が降り積もる。あれが欲しい、これも欲しいという気持ちが巻き起こり、あいつはけしからんだの、この俺こそが正しいのだという、さまざまな感情が沸き立って、それが降り積もっていく。積もるのであれば、そういうものを払えばいいだけのことであるし、掃き飛ばせばいいのだけれど、こころの塵は掃き飛ばせない。道路を走っていると、毎朝毎朝、自分の家の前や庭先はきれいに掃除をしているが、どうして自分のこころの庭に降り積もったゴミや埃や塵を、掃き捨ててしまわないのだろうか・・・、と、思う事である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


そのままに 散ってしまうか 緋のもみじ

2015年11月11日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は10度から16度、湿度は76%から54%、風は1mから4mの北北東の風が少しばかり。めっきりと晩秋の気配から諸島の風景になってきた。明日の12日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は6週間ぶりの予約診察日で、県立病院にやってきた。予約が10時だから1時間前の9時前に病院に入った。

 

 まずは比較的空いているレントゲン室に向かった。ファイルを投げ込むとすぐに呼ばれて「胸部レントゲン検査」だが数分で済んだ。その後「検体検査」という採血と尿検査があった。採血は私の血管が細いらしくて、左右の腕からの採血になった。

 

 採血の結果が出て居なかったが診察になった。やはり、少しばかり飲み過ぎているらしく、「腹水」が溜まっているらしい。利尿剤が効いていないというのだが、多分に、薬の飲み忘れだと思う。肝臓の数値や腎臓の数値が出ない間に病院をすたこらさっさと後にした。

 

 この土曜日の「まちぶら探検隊」のリハーサルの「タイム取り」のために山道を走ったら、野ザルやらイノシシの子供のウリボウたちがあちこちにいた。こんなにも彼等は繁殖しているのか。

 

 ストップウォッチを使って、場所ごとの「タイム取り」をし、その数値を記録する。こうすると、やはり早口になって10分ほど早くなってしまった。

 

  今度は、ゆっくり目に話しながら歩いて、ほぼ1時間少しで回れることを確認した。しかしのかかし、本番になると、今度はサービス精神がほとばしって、タイム・オーバーになりそう・・・。

 

 ところが、その土曜日のさぬき市の天気予報は曇りのち雨。雨にならない間に、この津田の松原のガイドを終えたいものである。

 

 午後からはさぬき市多和槇川にある「医王山大窪寺」に行って来た。昨日はこの門前を二回ほど通ったが、天候がよくなかったので、「いい絵」が撮れそうもないとパスしてしまっていた。

 

 境内の銀杏の木は先日の雨で散ったよう・・・。でも、その下は・・・・。

 

 黄色い絨毯を敷き詰めたようで皆さんは大はしゃぎ。まるで雪遊びをするように、これを拾ってフラワーシャワーのようにしたり、投げたり、振りまいたり・・・。この白衣姿の方は・・・。

 

 外国からのお遍路さんだった。しきりに境内の紅葉を楽しんでいる様子。

 

 まるで、黄色い雪が降ったよう・・。だから、一眼レフを抱えた人や、デジカメやスマホをかざす人が多かった。

 

 二天門前の紅葉もきれいな色になってきて、ここにも多くのカメラマンが三脚を立てていた。お遍路さんも多くなってきたし、紅葉見物の人も多くなったので、土産物屋さんの呼び声も大きくなって響いていた。あの水色のポリバケツは名物のこんにゃく販売用の桶である。

 

 それにしても、1月1日はお正月、3月3日はおひなさん、5月5日はこどもの日、7月7日はたなばた、9月9日は重陽の節句。11月11日だけは何もないのはかわいそう・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。写真写りが悪いのは高さと光線のせいだと思う。「一人よがりの生き方は 広い世間を狭くする」というもの。そうとはわかっていながらに、「オレが、私が・・・」と言っててしまう。電車の中で化粧をする。電車の中で平気でおかしやパンをむしゃむしゃと食べる。紙くずやゴミは平気で捨てる。他人様のことなんぞ眼中にはない・・・・。そういう世界になって しまったんだろうか。でも「わしがしなければ誰がする」(平櫛田中)でもある。自分が頑張るのは当然だけど、回りを見る余裕を忘れちゃいけない、と自戒する今日この頃である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


立冬を 過ぎてうちわを 片付ける

2015年11月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は寒気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は14度から17度、湿度は88%から70%、風は1mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の11日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は全国的に火曜日だということで、恒例のここにやってきた。さぬき市前山という地区にある「道の駅ながお」の向かいにある「おへんろ交流サロン」である。ここで休憩をしてから、花折峠に向かっていく歩き遍路さんが多い場所。

 

 今日はお天気が悪いのに、雨具を付けた歩き遍路の方が多くやってきて休憩をしていた。

 

 私たちはいつもの「俵札(納め札)調査」で、この方達は、特に古い納め札を解読したり、整理をしている。

 

 前回から、このおばちゃんが画像の解読に参加してくれていて、筆文字を読むのに苦労している。

 

 私はいつもの、エクセルシートにデータの入力。今日は1635から1750までの115件の入力になった。四国以外の住所が読めないので時間が掛かってしまう。ま、香川県は土地勘があるもので、雰囲気で、「あ、粟島だ」とか、「あ、佐柳島だ」と分かるのだが、「豊前国」のなんちゃら・・・と書いてあっても、これらは読めない・・。

 

 12時前には作業も終わって解散になった。天気が悪いので紅葉見物もできないし・・・と言うことで、昨日にニュースでやっていた、「塩江美術館」に行ってみることにした。

 

 昔は・・・というか、少し前までは「塩江町立美術館」だったが、平成の大合併後は、「高松市塩江美術館」になっている。

 

 「写真でたどる塩江の記憶」ということで、古い塩江の様子を見ることができるらしい・・というのでやってきたもの。

 

 昭和初年、有志によって塩江温泉鉄道株式会社が資本金75万円で創立され、昭和3年(1928)工事に着手、昭和4年11月12日琴平電鉄仏生山駅から塩江 までガソリンカーの営業をはじめた(運賃は仏生山~塩江間40銭)。この鉄道は以後、約12年間営業が続けられ、塩江温泉の観光開発に大きな役割を果たし た。 

 

 この温泉鉄道開通と並行して、新しく旅館花屋直営の温泉場が花屋旅館の東隣に建ち、観光塩江に異彩をそえた。この建物は洋風2階建てで、当時としてはモダン な建物であった。1階には浴場、休憩室、売店、遊技場、理髪店などがあり、2階には演劇場も作られ、温泉専属の少女歌劇が数年間にわたり年中無休で開演さ れ「讃岐の宝塚」と宣伝して浴客の人気を集めていた。 

 

 また、その頃のこの温泉場周辺で菊人形展および菊花展が盛大に行なわれた。これに刺激されて塩江地区を中心に鑑賞用菊の栽培が盛んであった。それ以後、この 温泉を「新温泉」、在来の温泉を「旧温泉」と呼んでいた。旧温泉一帯の地はガソリンカー開通と同時に、土地所有者に返し、その後間もなく村有であった温泉建物も売り払った。その後、温泉経営者が地区の旅館業者に委託して細々と営業を続けていたが、昭和和34年、煙草の不始末によって焼失し、一世を風靡した旅館 「花屋」 は幕を閉じた。

 

 企画展示室では、「Adam Weston」の「生命の鼓動」という展示が行われていたが、どうにも、こういうアートはわからない。

 

 で、サービスコーナーにあった、「瀬戸マーレ」を頂いてきた。

 

 恵峰さんのコーナーをしっかりと読ませていただいた。

 

 今日の掲示板はこれ。本文とは脈絡もなく、「人生とは自転車に乗るようなものだ。ペダルをこぐのをやめなければ、転びはしない」という、クロード・ペッパーのことばから。クロード・ペッパー(Claude Pepper/1900年9月8日-1989年5月30日/男性)は、アメリカ・アラバマ州出身の政治家。主な要職にアメリカ合衆国下院議員(1963年-1989年)、アメリカ合衆国上院議員(1936年-1951年)などがある。(参考文献:ウィキペディア)

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


イチョウ散る 七十年の 昔から

2015年11月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、小雨の降っている所があった。気温は19度から21度、湿度は96%から86%、風は1mから2mの西南西の風がすこしばかり。明日の10日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、明け方まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 昨夜からずっと雨が降っていたらしい。昨夜は自治会長さんとふれ愛まつりの反省会やら島の事情のあれこれを聞いていて、寝たのが午前0時を過ぎていたのだが、朝の6時半になると目が覚めてしまうのは不思議なことだ。しばらく浜辺を散歩をしてみた。

 

 さて、このトイレのロータンクから水漏れがする。ということは、この接続点しかないと思うので分解してみた。この穴からしか水漏れを起こす場所はないはず。

 

 これだと、タンクの内側にしかパッキンが入っていない。そこで、似たようなパッキンを探して両方から締め付けてみることにしたが、それでも、どこからか水漏れがする。このタンクのどこから漏れるのだろうか・・・。ひとまず、様子を見ることにして、元栓を閉めて帰ることにした。

 

 カキが実をつけているので、全部を持って帰ることにした。このカキは、家内の親父さんが植えたもの。私の植えたものは、時期が早かったためか、全く実をつけていなかった。

 

 すると、こんなダンボール箱がほぼ一杯になった。まだ、すこしばかり早い物もあったが、今度行ったら、カラスのエサになってしまっているだろうと、全部を収穫してきた。これは渋柿ではない。

 

 これは、先週に下の方の枝を剪定したケヤキの木であるが、雨が降ったからと、そのままにしてあったのだが、

 

 早速に、自治会長さんが大きなノコを持って来て、バサバサ・・・と切って丸坊主にしてくれた。私は枝を片付ける役で、30分ほどでさっぱりとした。これで、庭木の剪定はおしまい。今年の御用はほぼおしまい。トイレの漏水だけが気に掛かる。

 

 で、予定を早めて、10時45分の高速艇「ニュービサン」で帰ることにした。小雨が降ったり止んだりしているのでは面白くないし、することもない。

 

 11月のお仕事の二つが終わった。島の文化祭と、丸亀市の歴史講座の講演会であった。次は、今週末と来週末の「まちぶら探検隊」である。これも資料はできているし、準備もできているので、軽くリハーサルを一回か二回やっておけばいいかなぁと。

 

 お話することはいくらも幾らもあるのだけれど、時間的な制約があるので、あんまり多くは話せない。かと言って、歩くばかりでもつまらない。適度にユーモアとトンチとお話と・・・。

 

 ま、何よりも体調管理が最優先。先月はお祭りだ、結婚式だ、なんだとかで、けっこう飲んだもので、明後日の予約診察の数値が問題だ。あ、明日は恒例の納め札調査の日か・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「高い山ほど裾野が広い」というもの。逆に言えば、裾野を広げなければ高い山にはなれないということ。雑学でも趣味でも語学でも歴史でも、引き出しを多くしてこそ、よりよいお話ができる。多くの人に伝えると言うことは、高い所から低い処に水が流れるように、圧力の高い方から低い方に空気が流れるように、言葉の引き出しを多くしなければ、高度なお話にはならない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


晩秋の 風もしっとりと 濡れている

2015年11月08日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は日本海を進む前線を伴った低気圧の影響で雲が広がり、夜遅くには雨や雷雨となる見込みらしい。気温は17度から25度、湿度は84%から69%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の9日は、湿った空気や前線の影響で雲が広がり、未明まで雨が降り雷を伴う所がある見込みなのだとか。

 

 昨夜は親父の会だとかで、私の兄弟家族と娘家族らとで食事会というか飲み会を楽しんだ。で、今朝は娘家族らが部活があるからということで7時前に帰ってしまったので、私もまた、丸亀に向かって出発をした。

 

 7時に我が家を出たら8時半には、この丸亀港に着いた。島に向かうフェリーは9時25分。約1時間ほどあったが駐車場に車を置いたりしている間にフェリーボートがやってきた。今回はしわく広島で歯科検診があるとかで10人ほどの歯医者さんや衛生士さんらとたくさんの医薬品などを持ち込むらしい。

 

 歯医者さんたちだけではなくて、介護用具屋さんやいろんな人が乗っていて、座る場所もないほどで、多くが立っている状況だった。このふれ愛祭りのために島に帰る人たちもたくさん乗っていた。

 

 運動場には、こうしたテントが張ってあって、おばさまたちによるバザーが行われていた。手前がビールや日本酒の販売。その奥がやきとりにおでん、さらにその奥がうどんの販売になっていた。右手ではお寿司の販売も行われていた。以前には集落ごとにテントを用意してバザーをやっていたが、今年は二つの集落で一つのテントになっていた。人口の減少を感じたことだった。

 

 おばさまたちもみんなに会えるので元気いっぱい。でも、めっきりと人数が減ったなぁと思った。

 

 10時からが開演だったようで、来賓の挨拶などが行われていた。観客の数も数えられるほどになった。

 

 これが、自治会長さんのお孫さんの作品の咸臨丸。これを出すというので、ついでに、我が家の咸臨丸も賑わいのために出品することになった。

 

 こういう形で空中展示にしてもらった。こうすれば、甲板あたりの工作の手抜きが見えにくいのと、ずいぶんとほこりが積もっているのが見えにくいためである。

 

 で、切り張りするときに、欄を間違えていたようで、ご丁寧に修正までしていただいていた。

 

 お昼は用意されたバザー券で、おうどんとお寿司をいただいた。昨夜は、生ビール・焼酎のお湯割り、日本酒、家に帰ってから二次会でまたも缶ビールを飲んだせいか、朝食を食べずに出たのに、おうどんが入らなかった・・・。ま、かろうじておうどんは完食できたので、お寿司は奥方へのお土産にする。

 

 玄関に立っているのはお地蔵さんだろうか、お坊さんだろうか、ひょいとして空海さんかも知れない。丸太の一木造である。

 

 写真を整理していたら、こんな人が写っていた。周りの人もびっくりぽんや!

 

 こんな懐かしい紙芝居。島案内人さんたちが作った島の昔話の紙芝居である。

 

 で、舞台の演技が終わると、14時前だったが、いっせいに撤収が始まった。組み立てるのも早かったが、片付けるのもあっという間にもとの体育館に戻ってしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間は耳が二つに口一つ 多くを聞いてすこし言うため」というもの。しかしのかかし、会議や集会などを見ていると、やはり日本人は議論が苦手なのかな、と実感する。何が欠けているのだろう。それは「聞くこと」である。お しゃべりな人は議論ができない。では何をしているのか。一方的な「発表会」である。自分の思いを伝えることにご執心のあまり、他人の言葉が耳に入らないの だ。結局人間が他者や異文化を理解できない根本は、自らの耳元と口先に問題があるのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたらいいね。


足早に 晩秋が来る 風も来る

2015年11月07日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜遅くには雨が降るらしい。気温は17度から22度、湿度は90%から78%、少し動くと汗が噴き出る温かい天気になった。明日の8日は、湿った空気や前線の影響で雲が広がり雨が降りやすく、午後は雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 さて、今日は島の文化祭「ふれ愛まつり」の準備の日。朝の8時集合・・ということで出かけたら、もう、どんどんと作業は進んでいる。私はどこの担当になるのか知らないが、展示物を出すのだからということで、いつも、この展示係をやっている。

 

 奥の方ではステージを作っている。ここは小中学校の体育館だからステージがない。だから、こうした文化祭などでは舞台を組み立てなければいけない。でも、みんな手慣れたものでテキパキと働いている。

 

 で、すばやく・・というか、8時半過ぎには展示場が出来上がってしまった。そこで、早速に、用意したものを展示しておく。

 

 私は申し込みなどしていないのだが、ちゃんと、場所を用意しておいてくれていた。展示が終わって、運動場にバザー用のテントを張る作業を手伝ったあと、10時45分発の高速艇に乗って島を出て丸亀に向かった。

 

 丸亀港近くのうどん屋さんに入って少し早いがおうどんを食べておく。

 

 ここのお勧めだという肉うどんを注文したが、しばらく来ない間に500円が590円になっていた。もう、ここには数年は来たことがないのかなぁとも思った。

 

 見ていれば、みなさん、まずはおでんを自分で選んで持って行く。うどんだけ・・というのは私だけだった。私は胃袋が小さいからおでんを食べたらおうどどんが入らない。

 

 講演会場に着いたのは12時過ぎ。で、講演会は14時から・・・。でも、次の12時55分のフェリーでは少し間に合わない。そこが島の不便なところだ。で、丸亀城でも散歩することにしたら、こんなもの(?)がいた。「とり奉行・骨付じゅうじゅう」というゆるキャラなんだそうだ。

 

 菊花展は昨日見たのでパス。このおばさんが、「お城のおばさん」という絵手紙をくれるおばさんである。名は十河博子さんとか言った。丸亀城の有名人である。

 

 こういうときに限って、時計が動かない・・。で、丸亀市立資料館にやってきて、三回目の「ニッカリ青江」を見る。

 

 もう、この頃になると若い娘さんの姿はポツリポツリ・・・。

 

 で、「学習センターの四階」というだけの案内だったので、たぶん、ここだろうということで入ってみた。入ってみたが、何という団体に呼ばれているのかも、何のお話をするのかも分からない。ま、四階に歴史団体の名前があるので入ってみたら、そこだというので、お話をさせてもらった。ま、相手も相手だが、受けた私も私であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きたくても死なねばならぬ 死にたくとも生きねばならぬ」というもの。テレビやラジオからは、毎日、凄惨な事件や事故が報じられている。朝、「いってらっしゃい」と見送った最愛の家族や友人がもう二度と戻ってはこない事実。それを「運命だから」と受け入れられる人はそうはいない筈。ストレス社会の現代、自殺者は毎年3万人を超えるそうだ。
以前、「宗教はつり革のようなもの。困った時に掴めばいいんだよ」と言う宗教者の本を読んだことがある。死んでしまいたくなるほどつらい時や苦しい時、「生きねばならぬ」と、そう思わせてくれる教えやお言葉がどの宗教もきっとあるはず。私自身、もっともっと宗教を勉強して、さまざまな言葉に触れていかねばと。私が誰かに伝えられるお話の中に、一つでも誰かの心に残るものがあれば、今の仕事へのやり甲斐が一つ増えるような気がするのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


さざんかに 切れぬ鋏を わらわれる

2015年11月06日 | 自然ありのままに

 丸亀地方は湿った空気の影響で雲が広がっていた。気温は14度から22度、湿度は86%から71%、風は1mから3mの北北西の風がすこしばかり。明日の7日は、湿った空気や前線の影響で雲が広がり、夜には雨となる見込みらしい。

 

 さて、びっくりぽんの週末が始まった。今日からしわく広島に帰って、明日からの文化祭である「ふれ愛まつり」の準備が始まる。その前に、丸亀城に寄ってみた。今日は少しばかり早くに家を出たので、時間がたっぷりとあったもので。

 

 街からやってきたらしい娘さんが、「ニッカリ青江」のポスターを見てはしゃいだり、スマホでポスターを撮影したり、この白鳥を見て大はしゃぎしている。

 

 今日の目的は「ニッカリ青江」ではなくて、この菊花展である。この菊花展は、丸亀城に入ったところすぐの太鼓門周辺で行われている。

 

 入ってすぐにある「総景色」の寄植え菊である。

 

 これは「大輪だるま」という仕立て方。背丈を短くしてある。葉っぱの色が実に深くてつやがあって丹精込めて作り上げたものであるらしい。

 

 菊花展で30分、食材購入で30分。11時前になったので丸亀港に向かった。高速艇は11時前に入港する。

 

 これが、高速艇のニュービサン。11時10分出航である。すると、救急車がやってきて港近くで止まった。

 

 見れば、腕を骨折したらしい人が手を振っている。そんなんでも救急車で送ってくれるのか・・・。自分の足でしっかりと歩いているし・・・。ま、深い事情でもあるのだろう。

 

 そんなことで、高速艇は定刻どおりに丸亀港を出てしわく広島に向かって進む。海上20分で、船はしわく広島江の浦港に11時半到着。

 

 明日の午前中は文化祭の会場準備。お昼前に島を出て、講演会場に向かう予定。講演会は14時から15時半。それからさぬき市へ帰宅。10月10日に結婚式を挙げた真ん中の弟たちと、その打ち上げ会に出る。翌日は早朝に我が家を出て、ここに戻っての文化祭。ああ、ややこしや、ややこしや。

 

 今夜、自治会長さんが来られて、この表の確認。修正しろ・・といわれてもできないのだけれど。それと・・

 

 この帆船、咸臨丸の確認。日章旗が脱落しているので、大慌てで修理しておかねば。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きているということは 死ぬいのちをかかえているということ」という赤松先生のお寺にあった言葉から。これも「東井義雄」先生のことばである。いつ訪れるかわからない「死ぬいのち」をかかえて生きているということは、「生」そのものが当たり前でない、ただごとではないということを知ること で、初めてうなずくことが出来る言葉である。そしてそれは、「死ぬいのち」があるからこそうなずくことが出来るのではないだろうか。3月11日の東日本大震災では、一瞬にして多くの方々のいのちが失われた。そして、今でも厳しい現実に身を置かれている方々が沢山いらっしゃる。しか し、さまざまな情報が流れ、さまざまな問題が浮上してきている中で、情報だけに振り回されている私がいるように思う。今回の掲示板の言葉は、では、私は今何をすべきなのか、何を考えるべきなのかを問われているような気がするのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


菊日和 重いカメラの人ばかり

2015年11月05日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は湿った空気の影響で、西部を中心に雲が広がっていた。気温は13度から21度、湿度は82%から53%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。今日は暖かいなぁと思った1日だった。明日の6日は、湿った空気や気圧の谷の影響で、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 昨日に借りた本が、何度も読んだ本だったし、全く面白い本ではなかったもので、またしても図書館にやってきた。この樹木が「アキニレ」で、今の時期にはハラハラと落ち葉が舞い落ちてくる。それをおじさんたちが毎日毎日、せっせと落ち葉を掃き集めている。

 

  すると、こんなチラシを手渡された。「シェイクアウト」はテレビなどでは知っていたが、実際にやるのは初めてだ。

 

 香川県シェイクアウト 県民いっせい地震防災行動訓練は、「津波防災の日」の11月5日に行われるもので、1854年に発生した安政南海地震の津波の際に、稲に火をつけて暗闇の中で逃げ遅れていた人たちを高台に避難させて救った「稲むらの火」の逸話にちなんで制定されたのだとか。

 

 このポスターは、この図書館に張ってあったのだが、今日という日だとは知らずにやって来たと云う訳だ。で、事前に、何回か、館内放送で、案内があって、一分間だから協力するようにという周知放送があった。

 

 で、午前10時になると、館内放送で「緊急地震速報」がならされ、職員の誘導で、①まず身体を低くし、②で頭を守り、③で窓や書架から離れてしゃがみ込んで動かない。およそ1分後解除放送で訓練終了・・・。

 

 今回は、この五冊を借りてきた。この五来さんの本は、「聖徳太子が開基したというが、そんなことはあるまい」・・・などと、ズバズバと書いてあるので面白い。私たちは、「お寺の歴史というのは、桃太郎の話みたいなものだから、「桃から赤ん坊が生まれる筈がない」などと言う人がいないように、それはそのまま聞き流してください。「これは間違っているから修正してくれ」などとは言わないでください」と教えられているのだが、五来さんのお話は、「もっともだ!」と拍手したくなる。

 

 で、少しばかり足を伸ばして、高松市東植田町にある「公淵(きんぶち)菊花展」をのぞいてきた。あいかわらず、人影が少ない。高齢者社会だというのに、高齢者達はどこに出かけているのだろう。

 

 11月に入って、菊の花は急速に満開になってきた。

 

 中には少々くたびれてきているものも見受けられたが、今が見頃かも知れない。

 

 この、「栗林公園」という作品もすっかりと花が咲いてきれいな風景になっていた。

 

 「秋の富士山」という作品だが、ここは、もう少しかも知れない。

 

 ここに、昨年までは、キリンの姿の菊とか、アヒルの姿の菊とかがあったのだが、そういう方もいなくなったのかも知れない。お遍路さんの姿の菊もいなくなったし、作品の数も少しずつ減ってきているような気がする。

 

 今日の掲示板はこれ。「心豊かな人は感謝に生き 心貧しき人は不満に過ごす」というもの。これまた、どこの誰の言葉だかはわからない。短い人生、感謝を感じながら生きるか、不平や不満を抱きながら過ごすか、心の持ち様によって人の一生は大きく変わるというような意味であろうか。サラリーマンや学生さんにとって通勤通学経路は自分の思いどおりにならないことの方が多いもの。満員電車や周囲の風景は変えようがないのだが、自分の心の持ち様によっては通勤や通学の苦痛も多少和らげられるのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋空を 見上げて 自動販売機

2015年11月04日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は10度から19度、湿度は81%から62%、風は1mから3mの南南西の風が少しばかり。もう、すっかりと冷たい風になってきた。明日の5日は、湿った空気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 恒例の火曜日の図書館通いの筈が、昨日はイベントがあったために図書館には行けずじまいだったので、水曜日の今日、図書館に行って来た。借りていた本を返却するためだが、またしても適当に本を借りてきたが、役に立つ情報は何もなかった。

 

 さて、今月の14日と21日の二回、「さぬき市・町ぶら探検隊」ということで、この津田の松原のご案内をする訳なのだが、メインは、平山郁夫先生の「写生の場所」と、板画家棟方志功先生の絶賛した松の木の二点と、石清水八幡神社の狛犬であるが、せっかくだから、「琴林公園」の元になった「琴林碑」も紹介しておかねば・・・ということを思いついた。

 

 これがその「琴林碑」である。ここに、「東讃津田村の安芸栄柱の子、栄尚が皆川淇園の元にきて、『私の村の南方に八幡神社があるのですが、その東に長さ三里も続いた松原があるのです。前は海に臨んでその松の数は無慮数千株、どれもこれも皆珍しい形をしていて、おまけに白砂緑陰、それこそどんな絵もかなわないほどでございます。清風がこれに入れば琴を奏でるのにも似ています。それで琴林という名がついています・・・。』というようなことが刻んである。

 

 これが、その解説看板であるが、「ここは田舎だから有名になれないので、先生の筆でなんとかしてください」と言うてきたので、これを書きとめておくことにしよう・・・ということを書いてあるだけの碑なのであるが、私が気になったのは、「安芸栄柱」という名前であった。

 

 で、「安芸栄柱」をググッていたら・・・こんな人が出てきた。安芸栄柱の子孫であるという「安芸育子」さんというお方。この方が「先祖捜し」をしていたら、「我が祖 写楽」に行き当たったというのである。つまり、「東洲斎写楽」は、「安芸幸四郎栄柱」であった・・・というのである。

 

 で、早速にamazon.comで、中古本を探して350円で買った。すると、この本の発行に、おへんろつかさの会の堀尾さんがからんでいるということが分かったのだ。

 

 で、昨日の88ウォークの後の大窪寺ガイド・ボランティアで一緒になったので、そのあたりを聞いてきた。

 

 で、ここが、その安芸栄柱さんの墓所である。まさしく、本の中に写っているお墓と同じものである。

 

 下の方は表面が剥がれてきているが、まさしく、中央に栄柱さんの戒名が刻まれ、両方に女性の名前が刻まれている。向かって左が奥さんの名前で、もう一人は・・・・聞いたけれど忘れたが、三角関係になった女性らしい。でも、そういう人の名前を刻むものだろうか・・・。

 

 なにせ、分厚い本だからなかなかに読み進むことができないでいる。

 

 とにかく、この東洲斎写楽という人は謎だらけらしい。一説では阿波の徳島の能役者・斎藤十郎兵衛というらしい話しもあるが、さらに「安芸豊蔵」という名の人物が挙がっている。その父というのが四国高松・松平藩の御用回船問屋である板屋江戸店の主人、安芸栄柱。豪商である。というのである。

 

 とにかく、板屋「安芸幸四郎栄柱」は海運業で儲けた大金持ちで、千両箱を高野山へどんどんと運んだり、大阪あたりでもふんだんに投資をしていたらしい。ところが明治になると、ばったりと閉塞してしまって姿を消してしまうというのである。

 

 うむ、14日までには、この話をなんとかまとめておかなければ。

 

 今日の掲示板はこれ。「世の中の大事なことって たいてい面倒くさい」という宮崎駿さんの言葉からである。プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿スペシャル「風立ちぬ1000日の記録  において、宮崎駿さんが作業しながら話していた言葉に多くの方々が共 感、感動したようだ。その言葉とは「大事なことって たいてい面倒くさい」 NHKはその言葉をクローズアップし、多くの方々に共感を与えたらしい。逆に 言えば、「世の中のどうでもいいことって、たいていが簡単すぎる」。そりゃぁ、そうだ。納得だ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋の日を 切り取るハサミの 欲しい時

2015年11月03日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は7度から17度、湿度は66%から48%、風は1mから4mの北北西の風が一時は強かった。明日の4日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、午後は高気圧の後ろ側となるため、夜には雲が広がる見込みらしい。

 

 今日は暦的には「文化の日」という休日ということで、全国的なお休みの日になっているらしい。ま、そんなことには関係なく、私はいつもの、四国霊場88番札所の大窪寺に出勤(?)している。今日は、「多和八幡神社」の例大祭ということで、大窪寺の門前では賑やかに獅子舞が踊っていた。

 

 この娘さんのダンス(?)がまた、見事なんだ。このあたりでは「きょーくちさん」と言うのだが、漢字で書けば「曲打ち」というのだろうか、獅子舞の前で拍子を取ったり指揮をする役なんだろうが、リズムに合った見事な振りで舞うのだ。

 

 獅子舞が終わってしまうと、また、あたりは静寂に戻ってしまう。その間に、大窪寺の紅葉を独り占め。

 

 大窪寺の境内のイチョウもこれから・・という感じ。今年は少しなかり冷え込みが遅いのだろうか・・・。副住職の「光容さん」と少しばかりお話をして境内を散策した。

 

 いやいや、今日は紅葉見物に来た訳ではない。今日はさぬき市の「さぬき市おへんろ88ウォーク」というイベントがあって、その後、大窪寺の案内をする観光ボランティアにやってきているという訳である。

 

 せっかく、大窪寺まで歩いてこられたのだから、ついでに、大窪寺も観光して行ってくださいな・・・というサービスなのである。

 

 ここが、その88ウォークのゴール地点である。ここで、チェックを受けて「完歩証」を受け取って休憩される。その後、大窪寺を案内するというシステムである。

 

 今日の、このイベントに参加された方は550名ほどらしい。皆さん、お元気だが、こういう「イベントでなければ会えない人もいるとかで、それぞれの想いがあるのだなぁと思ったことだった。

 

 それを案内する「おへんろつかさの会員」は12名。三々五々、希望者の方々を、大窪寺にご案内して、それぞれの場所をガイドする。案内する人はそれぞれに用意した資料を使って説明するのだが、決められたマニュアルはない。各人が、それぞれ、得意分野でお話をする。

 

 歴史的な数字をあげて説明する人もいれば、文化的な事例をあげてお話をする人もいる。私は、ご婦人4人を案内したのだが、一般的なお作法やお遍路の概要みたいなことをお話させていただいた。手洗いのお作法とか、鐘楼での梵鐘の打ち方、本堂でのお作法なんぞ。また、イチョウの木の下での「落ち葉相撲」で遊んだり・・。

 

 ま、ありきたりでないお話をしたけれど、ま、それなりに満足していただいたようで。今月中旬の「町ぶら探検隊」のガイド役の練習にもなったのかな・・と。

 

 この大窪寺は、子供の頃から慣れ親しんできたお寺だけに、何の資料もマニュアルもなくても、ご案内できるようにはなった。でも、長尾寺とか志度寺は馴染みがないだけに、資料やデータを蓄えなければなぁと思ったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間 みな兄弟 よろこびも悲しみもわけあって生きよう わけ合えばよろこびは大きくなる 悲しみは小さくなる」という東井義雄先生の言葉から。原文は、

よろこびは大きく
人間 みな兄弟
よろこびも 悲しみも
わけあって 生きよう
わけあえば よろこびは大きくなる
悲しみは 小さくなる

 というもの。「愛の力」というものを教えてくれている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

 


秋時雨れ 洗濯物を 干し忘れ

2015年11月02日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市国地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は10度から18度、湿度は84%から72%、降水量は0mm/hから4mm/h、風は1mから4mの南西の風が肌寒かった。明日の3日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 夜中から昼前にかけてシトシトと静かに降る秋雨になった。だから朝の6時半になっても薄暗かった。

 

 奥方は今日から正式に正社員としてのケアマネの職に就くというので、暗い内から起き出してなにやらガサゴソとやっていた。おかげで私も暗い内から起こされて、なんだか寝不足気味。

 

 一連のドローン騒ぎからか、一ヶ月ごとに送られて来る部品が、ここのところ、二ヶ月分をまとめて、二週間ずつくらいに送られて来る。面倒だから・・・とそのまんまにしておくと、気が付けば8回分、八ヶ月分が盛り上がってきた。「それじゃあダメじゃん春風亭昇太」ということで、組み立て工事を再開したが・・・。

 

 このブロックを積載して、四隅のコネクタにワイヤーを接続しようとしてハタと困った。後部右側のコードと前部右のコードが入れ替わっていて長短が合わずに接続できない。必要な箇所を解体して、部品を取り出して、交換して、再び、カバーを取り付けて・・。

 

 順番通りに、指定された通りに取り付けたつもりなのに・・。部品の位置や方向などの指定が曖昧なのだ。午前中には、配達された39号までは組み立て完了。でも、最後の57号までにはほど遠い・・・。予定では来年の四月上旬に到着予定・・・。

 

 11月8日の、しわく広島のふれ愛まつりに出展する資料は完成して、先日に島に運んだ。次は、7日に丸亀市で行う講演会用のパワポの資料整備・・・。

 

 これまでに使った資料を、加筆訂正修正して使い回す訳だ。

 

 次に、14日の「町ぶら探検隊」に資料追加ということで、霊芝寺さんにある、高松藩主さんのお墓の資料集め・・・。

 

 高松藩主は代々浄土宗ということで、仏生山法然寺の山頂にある「般若台」に墓地がある。しかしのかかし、二代目と九代目の藩主は水戸藩から養子として入ったために、「儒教」ということで、この霊芝寺(れいしじ)に立派なお墓がある。ここを、特別に開けていただけることになって、特別に追加されたもの。

 

 ついでに、津田の松原にも行って来て、ここにも追加の碑があった。

 

 これが、その「琴林碑」と言われるものである。「こんな立派な名勝があるのに、田舎だから少しも有名になれないので、先生に何か一筆書いていただきたいと、男とがやってきたので、一筆したためたぞ」というようなことを書いてある。

 

 そのついでに、町内の医院に立ち寄って、インフルエンザの予防注射をしてもらっておくことにした。さぬき市の方から書類が届いていたので、それを持って行くと安くなるとかだったもので。

 

 問診票に記入して出すと、体温計を渡させて体温を測った。36.2度であった。その後聴診があって、注射を受けて10分ほどで終わった。費用は1000円だった。

 

 今月の土日は全て予定でふさがっている。だから、早めに予防接種が良かろうと思って・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「毎日の不思議を見逃さない そんな感性を持ち続けたい」というもの。見渡せば、私たちの回りには不思議がいっぱい。この私が生きているのも不思議だし、となりの奥さんが生きているのも不思議なはなし。草が伸びるのも花が咲くのも不思議と言えばふしぎなもの。そんな不思議を見逃さない感性をいつまでも持ち続けていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋の日の お茶のぬるさに 止まる舌

2015年11月01日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がり、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は10度から17度、湿度は64%から56%、風は1mから2mの北東の風が冷たくなった。明日の2日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼前まで雨となる見込みらしい。

 

 朝の志度寺はすがすがしかった。8時集合・・ということだったが、誰もやって来ないので、境内を五巡くらい歩き回っていた。どうやら、一旦、さぬき市役所に集合してから、この会場にやってくるらしかった。そうそう、今日はさぬき市観光協会の行う「おへんろつかさ養成講座の五回目・志度寺現地研修の日なのである。

 

 朝方は青空も見えて気持ちのいい朝だが、お遍路さんはまばらだし、養成講座の一行もやってこないので、境内の掃除をしながら、みんなの来るのを待っていた。8時半を過ぎた頃から三々五々と受講生さんが境内に入り出してきた。そこで、会場となる書院までの道案内やら誘導役を務めていた。

 

 今日は日が良いというか多忙な方が多くて、本日の受講生は三十名弱。まずは1コマ目は「志度寺概要論」とか「世界遺産登録概論」などのお話。お話は副住職の「十河陽之助」師。世界遺産とは何かから始まって、その歴史や、なぜ、四国遍路を世界遺産に登録しなければならないのか・・・というようなお話を明快にお話された。

 

 で、お寺の歴史なんかで、年月日のことや由緒縁起などについて、「これは間違っている」とか、「この日付は誤りだ」などと言う人がいるけれど、そうしたことの背景に何があって、そうなったのかを考えて、「歴史はこうだけれど、こういう伝承もある」という理解の仕方をして欲しい・・とお話されたのが印象的だった。

 

 また、書院前にある枯山水の「無染庭」の由来や来歴などについても、興味深いお話をうかがうことができた。

 

 二コマ目は、渡邊会長による「志度寺縁起の絵解き」の講義であった。志度寺には六双のこうした縁起絵図があるが、その縁起絵図をどう読み解くのか・・という講義であった。

 

 三コマ目は、ボランティアガイドの「近藤敬司」先生による「ガイド方実技指導」で、実際に志度寺を歩きながら、どうやってガイドをしていくのかの実際を学ぶ講義である。この「おへんろつかさの会」は、「お先達さん」ではないので、宗教や仏教のガイドはしない。あくまでも、観光ボランティア・ガイドなのである。

 

 研修は午前中で終わった。今度は三日に行われる「さぬき市88ウォーク」後の、「大窪寺観光案内ボランティア」がある。

 

 わが家の旧宅の写真が、さぬき市大川町の文化祭に展示されているというので、奥方と一緒に見に行ってきた。これがその写真で、ボランティアの生徒さん(禅林学園)が、残った家具などを運び出しているところである。ちなみに、この食器ダンスは、現在の家でそのまま使われている。しかしのかかし、未だに細い砂が残っていて拭いても拭いても浮かび上がってきている。このような写真が三枚ほど展示されていたが、パネルが光ってきれいには撮影できなかった。

 

 で、これである。母のいとこにあたるパーマ屋さんのおばさんが作った防災かかしである。昨年は、朝ドラの「あまちゃん」だったそうで、毎年、この文化祭にこうしたかかしを展示して話題になっている。

 

 ちなみに、上の方にある説明用パネルは、孫のなぎちゃんと娘が書いたものだということだった。

 

 言われてみればなぎちゃんの文字らしい・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生 くやまず くらべず くにせず くさらず くじけずに」というもの。この語源を調べてみたけれどわからんかった・・・。確かに、これらのことを心がけて生きて行ければいいのだろうけれど、なかなかに難しいことがらばか り・・・。悔やんでも、比べても、苦にしても、くさっても、くじけても、ありのままに、南無阿弥陀仏のお念仏に救われるしかない私たち。風の流れに、雲の 流れにまかせきるしかない私たちでありますことか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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