まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

梅の花 ねぼけまなこに しみる色

2018年02月13日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側や山地を中心に概ね曇り、雪の降っている所があった。気温は0.6度から6.4度、湿度は81%から56%、風は2mから7mの西風が一時は強かった。明日の14日は、高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 南国四国でこうやって連続で雪が降るのも珍しい。奥方はお休みなものでゆっくりと寝ていた。私も気がつけば7時半だった。

 

 今日は火曜日だもので「前山出勤日」なのだが、こんな日に無理して出勤しなくていいだろうと、今週も「無断欠勤」してしまった。当面、私のお仕事もありはしないのだ。

 

 さて、昨日の「農地の土地台帳」の件である。一応は整理したのだけれど、私がいなくなれば、なおさら、土地の所在地やら番地やら地名やらがわからなくなってしまう。そこで、地籍図を元に、我が家の台帳を作ってみた。

 

 それをスキャナーで読み込んで電子化してみた。

 

 ところが、この元図は古い物らしく現状には合わないことがわかってきた。

 

 そこで、電子マップを呼び出してみた。県道の形がまるで違うではないか。

 

 そこに農地であった部分を書き込んでみた。図の中の数字は土地台帳の項番に合わせてみた。こんなことばっかりやっているから、肩も凝るし、歯も浮いてくるというものだ。

 

 朝日が差してくると雪も溶けてくる。

 

 屋根からも雪が落ちてくる。

 

 そうかと思えば吹雪になったりする。しかしのかかし、香川医大からの連絡はない。今週の入院はないのだろうか。

 

 明日が民児協の定例会。1月分の活動記録を整理していた。

 

 昨年も何人かの方がお亡くなりになった。そこで高齢者名簿などの修正作業もやっておいたし、集落ごとの男女の数や世帯数なども確認しておいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「眼を開けば どこにでも教えはある」というもの。同じく道を求めても、先にさとる者もあれば、後にさとる者もある。だから他人が道を得たのを見て、自分がまだ道を得ていないことを悲しむには及ばない。眼を開けば、どこにでも教えはある。同様に、さとりへの機縁も、どこにでも現われている。香をたいて香気の流れたときに、その香気の、あるのでもなく、ないのでもなく、行くのでもなく、来るのでもないさまを知って、さとりに入った人もある。道を歩いて足に棘を立て、疼きの中から、疼きを覚えるのは、もともと定まった心があるのではなく、縁に触れていろいろの心となるのであって、一つの心も、乱せば醜い煩悩となり、おさ めれば美しいさとりとなることを知って、さとりに入った人もある。「心を平らにせよ。心が平らになれば、世界の大地もみなことごとく平らになる。」という教えを聞いて、この世の差別は心の見方によるものであると考えて、さとりに入った人もある。まことにさとりの縁には限りがない。(仏教聖典・夜の部より)

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


雨そぞろ 水仙畑の 六地蔵

2018年02月12日 | 時にはぼぉっ~とする時

 香川県では、強風や大雪、波浪(高波)の注意報が発令されていた。さぬき市地方は冬型の気圧配置が強まっているため、概ね曇りで雪が降っていた。気温は2.0度から4.4度、湿度は68%から62%、風は4mから8mの西の風が強く冷たかった。明日の13日は、引き続き冬型の気圧配置となるため概ね曇りで、未明には雪が降る見込みらしい。明日は奥方はお休みらしい。

 

 今朝も朝の暗いうちから奥方は出勤していった。あたりはうっすらと雪。それならば・・ということで、寝室のエアコンを入れてテレビのスイッチを入れて寝ていた。

 

 ふと、気がついて起きてみたらば7時半過ぎ。あたりはすっかりと明るくなっていた。ニュースはオリンピックのことばかり。

  

 ということで、昨夜、このようなお手紙をいただいた。農地改良区を作るので、その費用を手持ちの農地に合わせて賦課金を頂く・・・という内容。

 

 で、あんたの所にはこれだけの農地があるから、これだけの分担金になるぞ・・という、太閤検地みたいなお触れである。我が家の財産はこれだけあるらしいのだが。

 

 実際はこのような台風被害による山林化と

 

 全くの耕作放棄地。耕作しようにも農機具なども浸水したり土砂に埋まったりして使用不可能になってしまった。

 

 そんな、バナナ・・・。とばかりに、古い土地台帳を探し出してきた。農地の地籍図とか耕作面積図などは台風で流されて何の資料もない。台風に遭ったのは平成16年の10月。もう、14年も昔の話である。父も祖母も母も亡くなってしまった。それを今更・・・。

 

 こういう地籍図である。番地と面積が書いてあるが、誰の物かはわからない。

 

 この黒い筋が川や水路である。この図面と、役所の台帳に記載されたものとを突合しながら確認していった。

 

 とにかく、我が家には農地はない。農機具もない。それでも、役所はああだこうだと言って来るのだろうが、ないものはない。

 

 とにかく、一応は「ありません」と報告はしておこう。ますます目が悪くなる。胃が痛くなる。肩こりが強くなる。歯痛が激しくなってくる。早く、入院してしまえばなんとかなりそうだが、病院からは何の連絡もない。

 

 これから、郵便ポストに投げ込んでおくとしよう。もう、雪の面影はすっかりとなくなった。

 

 早く、すっきりとした春を迎えられるといいのだが・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「終わりと初めは遠くて近い 失敗したら出直すだけさ」というもの。また、別な掲示板では、「終わりと初めは 遠くて近い どん底落ちれば また 出直すだけさ くよくよするなよ なにこれしきと 不屈の闘志でよみがえれ」というものもあった。ま、落ちたら立ち上がればいい。失敗したら、もう一度やってみればいい。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雨降りは 遊びにも行けぬ犬

2018年02月11日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置が次第に強まるため概ね曇り、夜遅くは大雪が降るらしい。気温は4.6度から5.7度、湿度は77%から55%、風は4mから8mの西北西の風が一時は強かった。明日の12日は、引き続き冬型の気圧配置となるため概ね曇り、明け方まで雪が降る見込みらしい。

 

 朝方は雨が降ったらしい。

 

 昨夜は母の6回忌ということで祥月命日の会をやっていた。次男のよっくんと娘家族4人と我が家の二人の計7名というこじんまりとした飲み会だった。

 

 私は無理してはいけないと、少しばかり飲んで、少しばかり食べたが、やはり本調子ではないようで、酔いもしなければ歌だって声が伸びない。

 

 だから、静かにみんなの歌を聞くとはなしに聞いていた。

 

 みんなと一緒に22時には寝たのだけれど、0時を回ると、夜中の悪魔がやってきた。飲み足りないし、食べたりていなくて、おなかがグゥゥと鳴る。夜中の0時に日本酒を飲みに行くわけにもゆかぬ。・・・ということで、羊が一匹・・羊が二匹・・・とやってみたのだがだめ。

 

 そこで病院で教えて貰った呼吸法で、大きな息を吸っては吐く・・ということをやっていたら朝になっていた。もう、弟も娘家族も帰っていった後だった。奥方も日勤だからと出かけて行った。

 

 祭りの後はむなしいばかり・・・。その痕跡を消そうという意味ではないのだが、リビングを片付け、カラオケの道具を片付け、食卓を片付け・・・。

 

 鼻血まみれになったパジャマや敷布を洗濯して干した。

 

 晴れ間が見えたのでお布団も干した。

 

 娘家族が寝ていた部屋の布団を片付けて、掃除機を掛けた。

 

 布団や毛布なども適当に片付け置いた。そうしないと、今夜、私の寝る場所がないからだ。

 

 そんなこんなで昼が来る~。

 

 残り物でお昼にして、例の大窪寺の「手水場(ちょうずば)」をのぞいてきた。もう、水は流れるようになっていて、氷の量も少なくなっていた。

 

 それでも、若いカップルのお遍路さんは、「わぁ~、これはすごいわ~」と、スマホをかざして何枚も写真に納めていた。今夜あたりにまた増殖するのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「死ぬからこそ 本当に生きる道を開く」というもの。金子大栄先生の言葉だと記憶している。生まれたいと思った覚えもないのに、生まれていた。年を取りたいと思っていなくても、年を取る。病気になりたいと思っていないのに、病気になる。そして、死にたいと思っていなくても、死んでいくのである。全ては、与えられたものなのだ。とすれば、人生の本当の味わいというのは、人生が与えてくれることを「ご縁」として、謙虚に受け止め、受け入れるところに感じられるものではないだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


春の雨 苦しさがあり 楽がある

2018年02月10日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、前線を伴った低気圧が四国の南海上を進むため、雨が降っていた。気温は3.5度から7.4度、湿度は75%から94%、降水量は1mm/hから4mm/h、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の11日は、冬型の気圧配置が次第に強まるため概ね曇り、夜は雪の降る所がある見込みらしい。

 

 さぬき市は一日中、雨が降っていた。昨日は調子が悪かったもので、7時半過ぎから寝てしまった。

 

 ところがである。2時半過ぎにトイレに起きたら、またしても鼻血である。トイレで左の穴の処置をしていると、今度は右の穴からも鼻血が流れる。トイレもパジャマも鼻血だらけになった。

 

 自室に戻って、エアコンを動かして、血圧を測ってみると・・・156-92-95 155-79-89 と、これまたモーニングサージ。

 

 鼻の両穴に紙栓を詰めたら呼吸が苦しい。そこで、朝食時用の薬を飲んだ。血圧を下げて、おしっこを出す薬である。今、ここで救急車を呼ぶのはまずいだろう・・と考えながら。

 

 30分ほどで鼻血も収まり、血圧も123-65-72 あたりに落ち着いたので寝た。目が覚めたら奥方は出勤した後だった。朝食のパンも普通に食べた。

 

 相変わらず、肩こりと歯痛は続いている。10時になったので薬局に行って、肩こりにいい薬を相談してみた。あれこれと薬を飲んでいるので、安全を見込んで・・と、薬を選んでくれた。

 

 これは漢方薬だろうか、一錠を飲んだくらいでは少しも症状が変わらない。

 

 近くのスーパーで、今夜のビールや孫たちの飲み物も買っておいた。肩の痛みや歯痛を我慢できれば、運転も出来るし買い物にも支障はない。

 

 昼食後は布団に入ったが、熟睡したのは1時間ほど。症状は依然として変わらない。

 

 そろそろと、今夜の食事の準備をしなくては・・・。

 

 飲むのを控えめにして、楽しくやれば元気になれるかも・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生見えない事ばかり。だから面白い!」というもの。今回のような症状や病気は全く先の見えないことばかり。全く、暗闇の中で手探りでやっているようなもの。この先どうなるの?とか、将来の不安を感じても仕方がないではないか。今の状況から先がわかる人などいないのだ。とにかくやるしかないと、行動ひとつで将来は変わってくる。そう思って、行動してみるしかないのである。昨日より今日、今日より明日が楽しめまるというもの。ワクワクするではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


やぶ椿 この一日が 永すぎる

2018年02月09日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で次第に雲が広がり夜は曇るらしい。気温は-1.5度から8.8度、湿度は75%から40%、風は1mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の10日は、前線を伴った低気圧が四国の南海上を進むため雨が降る見込みらしい。

 

 昨日も変わったこともせず、いつものように食べて飲んで寝たのだけれど、朝方に恐ろしい夢を見て起きてしまった。呼吸が苦しくなって、まだ薄暗い6時半過ぎに起きてしまった。

 

 モーニングサージだろうか、154-80-88 153-78-80 150-85-93 と、血圧も脈拍数も高くて息苦しかった。

 

 肩こりがひどいし、歯痛まで出ているし、寝不足のような妙な気分の朝になった。まるで、自分が自分でないような感じである。何がどうしたというのだろうか。

 

 母の6回忌、祥月命日を17日に予定していたのだが、私の入院が15日になるかも知れないというので、一週間引き上げて10日にすることにした。すると、下の弟「たっくん」が会議があって出られないと、朝方にお参りに来てくれた。

 

 気分的にはすぐれないが、運動をすれば楽になるかも知れないと、仏間の掃除から始めてみた。

 

 ま、てきぱきとはいかないのだが、休みながらの作業になった。

 

 仏間の準備はできあがった。

 

 あと、リビングにも掃除機をかけておいた。

 

 和室部分にも掃除機をかけておいた。

 

 これで、明日の準備はばっちりだ。しかしのかかし、体調はおもわしくないばかり。いったい、何が起きたというのだろうか。風邪でもないようだし、インフルエンザらしくもない。お疲れ・・・というようなお仕事もやってはいない。

 

 今日の掲示板はこれ。「教えの縦糸心に織れば 結ぶご縁は横の糸」というもの。お経といえば仏様の教えのこと。経とは「たて糸」という字で布を織る時、縦に引く糸のこと。地球儀で縦の線を経度と云う。横の線を緯度と云うのはご存じの筈。このことから縦糸は常にまっすぐに通った道、即ち不変の道理という意味に転じ、教えをあらわす書物を「経~キョウ」と呼ぶようになったもの。こう考えると仏様の教えは、宇宙に張りめぐらされた真理の縦糸、横糸を織り込むのは今生きている私たちではないかと考えさせられる。どんなよい真理でもそれを活用する人間がいなければ、この世にはあらわれない。だから仏さまは、私達に信仰の機織りをしなさいと呼びかけているのではあるまいか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


蝋梅を 差して燦々 庭を掃く

2018年02月08日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は-0.7度から6.6度、湿度は74%から54%、風は3mから5mの西の風が少しばかり。明日の9日は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷の影響で夜は曇る見込みらしい。

 

 冬はさぶくない。風がさぶい・・・と、古老が言うていたが、確かに風があるとないとでは寒さが違う。

 

 朝イチで、空き缶を回収場に運んでおく。最近は頂き物の日本酒を飲んでいるので、奥方の分だけだと大幅に空き缶の数は減った。

 

 で、今日は月に一度の「予約診察日」。11時の予約だったもので、10時過ぎに病院に着いた。

 

 すると、予約表にはないのに、「検体検査」の項目が追加されている。で、採血と採尿の検査になった。

 

 そういう検査があるとは思っていなかったもので、事前に家でしっかりと出し切ってきたものだから、採尿ができない。結局、この検査はパスした。

 

 売店でマスクを買ったり、自販機でお茶を買って飲んだりしている間に番号を呼ばれた。11時前だった。

 

 「どうしましたか」というので、「入院予約をしておきましたが、いつ、入院とかの連絡はありませんか」と言うと、「あら・・・入院するんですか・・」と言うドクター。「決心したんですか・・・。楽になりますよ。頑張ってください」とのこと。話がかみ合っていないなぁ・・。

 

 結局の薬局で、いつも通りの診察で、いつも通りの処方箋で、いつも通りのお薬になった。

 

 ここも、お年寄りのラウンジみたいになっていて、自由にお茶やコーヒーなども飲めて、情報交換の場にもなっているみたい。

 

 今月も28日分の薬になったが、もし、22日に入院して、二週間の入院になると、薬が足りなくなるのだが。それはそのときのことになるそうだが、どうなるんだろうか。

 

 で、予定通りの金額になった。28日分で28,000円ならば、1日が千円の薬になるな。手術すれば利尿剤が不要になってお安くなるといいのだが・・。

 

 今日は木村食堂の月見うどんになった。

 

 さて、母の祥月命日を2月の17日に予定していたのだが、私の入院が15日になる可能性もあるので、急遽、明後日の10日に引き上げることにした。坊さんがいない法事法讃では寂しかろう。と、いうことで、明日は、お仏壇のお掃除とか準備とか・・・。

 

 比叡の山で修業をされていた蓮如上人を訪ねてきた弥七同行に「本願は たのめよ南無の一つ橋 踏み外しなば 三途の川底」と教化されたことらしいのだが、詳細は不詳。ご存じの方があればご教授を乞う。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


野の南天 今日の一歩は 暖かい

2018年02月07日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、太平洋側を中心に概ね晴れていた。気温は-0.8度から4.5度、湿度は70%から62%、風は5mから7mの西の風が少しばかり。明日の8日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 三日連続の雪の朝になった。奥方は「日勤」だと言いながら早めに我が家を出て行った。

 

 今日は「住宅(すみたく)顕信」の命日で、31回忌になる。「層雲」に権威主義的な疑念を感じ、「層雲」の元編集者である藤本一幸が主宰する自由律俳句誌「海市」に参加した。翌1986年、「海市」編集同人となる。病状が悪化し、この年の12月からは代筆によらなければ投書できなくなる。1987年2月7日23時23分、還浄。享年25。俳人としての創作期間はわずか3年で、生涯に残した俳句は281句だった。法名は泉祥院釈顕信法師。

 

 父親の勤務先である岡山市役所に臨時職員で採用され、清掃の仕事に従事。仏教に傾倒し、1982年9月より、中央仏教学院の通信教育を受講。翌1983年4月、教育課程修了。7月、西本願寺にて得度。浄土真宗本願寺派の僧侶となり、法名を「釋顕信」と名乗る。10月、同棲相手と結婚。両親の援助により自宅の一部を改造して仏間をつくり、浄土教の根本経典「無量寿経」にちなみ、「無量寿庵」と名付けていた。

 

 1984年2月、急性骨髄性白血症を発病し岡山市民病院に入院。6月、長男誕生。不治の病の夫に対して妻の実家の希望により離婚。長男は顕信が引き取り、病室にて育てる。10月、自由律俳句雑誌「層雲」の誌友となり、層雲社事務室の池田実吉に師事。この頃より自由律俳句に傾倒し、句作に励むようになる。特に尾崎放裁に心酔していた。1988年、句友であった岡山大学教授・池畑秀一らの尽力により、句集『未完成』(弥生書房)を刊行した。

  

 この句は彼の死後、1993年に岡山市内を流れる旭川のほとりに建てられた「句碑」に彫られたものである。この句碑が建てられたとき、遺児である住宅春樹は僅か8歳──小学校二年生が健気にも挨拶したという。このように挨拶した息子の住宅春樹だが、今は「川崎医療福祉大学」を出て、「ニチイ学館」に所属するようである。

 

 昼からは、雪が溶けただろうと、いつもの大窪寺に行ってみた。

 

 先日にも書いたけれど、大窪寺の大師堂前にある手水場(ちょうずば)である。本来はこういう姿なのであるが、

 

 それが、こういう風に凍っていき、

 

 先日には、こういう姿になっていた。

 

 今日は完全に凍り付いて、もう、水は流れていなかった。

 

 帰りにふきのとうを見つけたが、これ一個だけだったので、そのままにして戻って来た。一個だけではどうしようもない。

 

 今日の掲示板はこれ。「欲しいものはたくさんあるけれど 必要なものはそう多くない」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。若い頃には「あれも欲しい」「これも欲しい」と思っていたが、年のせいかどうかは知らないが、あんまり欲しいものもなくなってきた。欲しいものと言えば、 新しいパソコンとかタブレット端末だとか、レーザープリンターとか・・・。でも量販店でながめていても、「必要かなぁ」と考えるとどうでもよくなってしま う。衣類でも図書でも似たようなもので・・・「欲しいものはたくさんあるけれど、必要なものはそう多くない」。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


朱南天 旅の支度と 丸坊主

2018年02月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため概ね曇り、雪の降っている所があった。気温は-1.0度から2.9度、湿度は70%から60%、風は4mから6mの西の風が強くて冷たかった。明日の7日は、高気圧に覆われて概ね晴れるが、寒気の影響で雪の降る所があるらしい。

 

 昨夜から雪が降っていた。ま、全国的に雪だから仕方がない。九州あたりでも雪が降っているのだから、珍しいことでもないのだろう。

 

 四国では珍しい氷点下になっている。高松空港では-3度だとか言うていた。

 

 奥方が気丈に出勤していたので、私も火曜日だからと前山出勤しようと出掛けたが・・・。

 

 さぬき市道だと名乗ってはいるが、実際は町道だから除雪も融雪剤も撒いてはくれない。奥方はここを通って出勤したのだからと、しばらく走ってみたが・・。

 

 こんな日に出掛けなくても・・・と、無断欠勤することにした。おそらく、みんなは私が入院したか、検査に出掛けていると思っているはず。途中でユーターンして戻ってきてしまった。全く、情けないことだ。数年前だったら、ノーマルタイヤで雪道をバリバリと走った筈なのに。

 

 ふと、この前の検査入院した際の「入院給付金」が振り込みされていないことに気がついた。銀行で確認しても・・・

 

 JAバンクで確認しても入金はない。雪道をまたしても、我が家まで戻って調べたら「ゆうちょ銀行」だった。

 

 で、ゆうちょ銀行で通帳記入したら、確かに振り込みされていた。私の口座なんぞ、知れたものだ。

 

 今日は木村食堂の肉うどんで昼食にした。レトルト・パックを温めるだけである。

 

 お昼を過ぎると、道路には雪はなくなったので、香川県立図書館まで走ってきた。

 

 で、借りていた五冊の本を返却して戻って来た。15日か22日に入院して、ほぼ二週間程度の入院になるらしいので、今回、本を借りると返せなくなってしまう。借りた物は返しておくのが精神衛生上もいいではないか。

 

 午後からは、論文整理に励んでいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「迷いの岸から悟りの岸へ 合わす手と手が渡し船」というもの。さすが、いいことを云うなぁと思った言葉だった。彼岸とは、仏さまの悟りの世界、それに対して私たちの住む世界を此岸と呼んでいる。 この二つの世界の間に流れているのが三途の川。この川には、その名の如く火途(地獄道)・血途(畜生道)・刀途(餓鬼道)の三つの瀬があり、人は死後、その行いや罪の重さによって、いづれかの途を渡らねばならないと云う。これでは向こう岸にたどりつくのは無理。ほとんどは川に溺れ、今以上の苦しみを味わう事になってしまう。そこで仏さまは人々に「今までの生き方を悔い改めよ」と懺悔の法を説き、救いの〝船〟を用意されるのだ。どんなに大きな石でも、船に乗せれば水に浮かぶように、罪の重さで、苦しみの底に沈もうとする人々に、大切なのは素直に反省する心である。たとえ小さな針でも、そのままでは水の底に沈んでしまうもの。迷いの岸から、悟りの岸へ。あなたの合わす手と手の中に、仏さまの〝渡し舟〟はいつでも用意されているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


日脚伸び 今日の散歩は 遠くなり

2018年02月05日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため概ね曇り、雪の降っている所があった。気温は0.4度から3.0度、湿度は75%から60%、風は6mから8mの西の風が強くて冷たかった。明日の6日は、引き続き冬型の気圧配置となるため概ね曇り、雪の降る所がある見込みらしい。

 

 さぬき市には雪などとっくにないのだが、高松市南部あたりに行くと道ばたに雪が残るようになった。香川県西部には雪が降ったようなニュースを聞いていたが。

 

 丸亀市南部の綾歌町に入ると、こんな雪景色になった。もっと西に進むと、もっと雪の量は多くなるのかしらん。ここまで来るのに2回のトイレ休憩が必要なのだが、途中の道の駅ではトイレの改修工事中。ここまで、ノンストップで来たから大変だった。

 

 今日の目的はここ。梵音山眞興院福成寺(ふくじょうじ)さんである。開基は、聖武天皇の頃、行基の開山と伝えられる。嘉承元年(848)真言宗に、応永28年(1421)、中興の祖、了圓により、真宗に改宗した。後小松天皇の応永元年(1394)、長尾大隅守の執権職であった幡多惣左衛門正家が68歳の時、出家し了圓と号し、この地に福成寺を再建した。了圓の後、長尾元高の第9子、高乗をその嗣とし、乗高と号し、当山第二世となった。以後、法灯連綿今日迄及ぶ・・・とある。諸堂宇も整い大いに盛んであったが、天正の兵火で焼失。以後再建され、天正14年には、羽柴秀吉から京都大仏殿供養に命ぜられている。

 

 ここは、「寒桜」が有名で、二月中旬になれば大勢のカメラマンや写生をする人たちが押し寄せる。もう、そろそろかなぁとやってきたのだけれど。

 

 ところが、今年は寒いのか、まだまだ、多くが蕾状態。来週でもまだまだかも知れない。

 

 去年の今頃は、すっかりと花が咲いていたのに・・と、引き返す。帰りもトイレ探しをしながらの帰途になった。

 

 今度は、東かがわ市の湊川沿いに植えられている川津桜を見に行った。昨年はこのような状態だったのだが、こちらは皆目の蕾状態・・・。来週でも無理かも知れない。

 

 家に戻ると、先日の勝覚寺へのお客さん、岡本智水さんの著書、「親鸞聖人の教えをいただいて」が届いていた。これも来週からの入院の時、じっくりと読ませていただこうと思う。おおきにです>智水さん。

 

 当面は、この論文を完成させておかねばと思う毎日である。今年が、英国士官レキ没後150周年。この夏には慰霊祭が行われる。そのときの配布用と保存版を用意しておかねばならないので大慌てである。

 

 まだ、15日の入院か、22日の入院かの連絡がない。今週8日が県立病院での予約診察日だ。この日に担当ドクターから連絡があるのかも。なんとなく落ち着かない毎日ではある。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の数だけ鬼はいます。いえ、それだけ仏さまもおられるのです」という塩見行雄さんのことばから。「渡る世間は鬼ばかり」は実感するけれど、そんなにたくさんの仏さまがいるとは思えないけれど、家族にとってみれば、やさしい仏様なのかなぁとは思ってもみたり。塩見さんは京都府福知山市出身。昭和48年福知山市役所に入庁。長く福知山市史に携わり、城の管理や美術館の管理、教育委員会で公民館長・図書館長を歴任し平成20年退職。前館長の退職に伴い平成21年4月から鬼の交流博物館館長に着任。

日本の鬼の交流博物館HPはこちら

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


すぐそこに 梅の花あり 六地蔵

2018年02月04日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため概ね曇り、雪が降っていた。気温は1.8度から5.2度、湿度は67%から60%、風は5mから8mの西の風が一時は強かった。明日の5日は、引き続き、強い冬型の気圧配置となるため曇り、雪の降る所がある見込みらしい。

 

 朝、目覚めると雪になっていた。まるでほこりのようなふわふわとした白い物が無数に落ちてきて積もっていく。

 

 今日は全くの予定もないし、行きたい場所もないので、あれこれと論文や論文集を片付けたり積み上げたりの雑用をこなしていた。

 

 奥方は希望休暇で、どなたかのお見舞いに行くと休んではいたが、雪であきらめたのか洋裁に打ち込んでいた。

 

 あたりは真っ白い世界になっていたのだが、昼前に太陽が顔を見せると、瞬く間に雪が消えていく。

 

 お昼を過ぎると、日陰に雪が残る程度になった。

 

 山の雪も消えてしまった。

 

 で、今日はホームページの更新をやっていた。あっという間に一月は過ぎてしまい、もう、来月三月がやってくる。

 

 今では、スマートフォンのスケジュール帳やタブレット端末の予定表なんぞがあるのだが、少し前までは、Webで見る行事予定表が役に立ったものである。

 

 で、今日は3月の行事予定表を追加しておいた。

 

 3月は中旬から下旬にかけて、イベントや年度総会が続いている。

 

 お昼過ぎには、あの雪がウソだったかのような景色に戻ってしまった。

 

 先日の節分の続きのような今日の掲示板。「自分に都合の悪いことを 様々な鬼に仕立てあげる私」というもの。誰でも自分がかわいいものだし、自分は正しいと信じているから、自分の都合の悪いことは他人に転嫁してしまおうとするもの。とは云うても、隣の人を悪人にはできないから、鬼のせいにしてしまう。鬼という言葉は的確ではないかもしれないが、「あの人」を鬼にしてみたり、「あんな人」という鬼を作ってしまったりして・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


梅咲いて まっすぐだから 傷ついて

2018年02月03日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、気圧の谷の影響で瀬戸内側を中心に曇り、雨や雪の降っている所があった。気温は3.2度から8.0度、湿度は88%から52%、風は1mから5mの西北西の風が少しばかり。明日の4日は、冬型の気圧配置が強まるため、概ね曇り、雪の降る所がある見込みらしい。

 

 節分(せつぶん/せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。 節分とは「季節を分ける」ことも意味している。 江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。

 

 今日が節分で明日が立春とはいうのだが、今年の冬はまだまだ厳しいさなか。

 

 という連絡を受けていたのだが、肝心の場所と時間を聞いていなかった。ま、資料はUSBに入れて、この前の観光ガイド養成講座の閉講式の時に会長には渡してあった。

 

 でも、入院は15日かららしいので、今日は身体が空いているからと、恒例の場所に出掛けてみたが、場所と時間を聞いていないのではどうしようもない。

 

 たくさんのマニュアルを持って行ったのだが、単なるまちぼうけ・・・。

 

 そこで、今日のお昼はここにした。さぬき市長尾東にある「うどん亭・いわせ」である。ここに一人で来るのも珍しい。

 

 で、冬季限定の「しっぽくうどん」580円だった。今日は一人だから「生中」はなし。

 

 今日は、糸の切れた凧みたいなものだ。行く当てもなく流れるばかり。

 

 今月の手術は、この「僧帽弁:(そうぼうべん、)」とは、心臓の左心房と左心室の間にある弁で、その形がカトリックの司教冠に似ているとして命名された。二尖弁、左房室弁ともいうらしい。また、「三尖弁(さんせんべん)」は、心臓の右心房と右心室の間にある弁で、右房室弁ともいう。この弁の調整をする手術らしい。

 

 だから、胸を開いて、心臓を止めて、人工心肺に切り替えてのオペらしい。だから、何枚もの書類が必要になる。で、身元引受人だの病院衣のことだの飲んでいる薬の情報だのの記入もやっておいた。

 

 当然、ノートPCもタブレットも持ち込み禁止。携帯電話の使用も厳しい制限がある。

 

 FaceBookで話題になっている本を買ってみた。入院中に読もうと思う。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分のことしか 考えられない人を 鬼と言う」 自分のことしか、今のことしか考えられない鬼のような生き方をしているのが現代人であり、そして私ではないか。今、問題の原子力発電所を考えてみても、原発を稼働して出てくる核のゴミ、 核廃棄物は処理できないのだ。埋めることも捨てることも出来ない使用済み核燃料。そんな放射能の恐怖におびえる生き方を子孫に残そうとしているのである。たとえ鬼でも恐縮して、申し訳ないと、鬼であることを自覚し、少しでも迷惑をかけたくない、と考えて、他のことを考えて生きる道があるはず。しかし、鬼が鬼と知らず、正しいことをしていると威張り散らしているのはいかがなものだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


底冷えを 光るはさみで 切り落とす

2018年02月02日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で昼過ぎから雲が広がってきた。気温は2.2度から7.9度、湿度は90%から54%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の3日は、気圧の谷が通過し次第に冬型の気圧配置となるため、概ね曇り、朝晩は雪や雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今日も雪なのかと眺めてみたら、これは霜だった。

 

 我が家のあたりには雪などないものだから・・と、るんるん♪でやってきた大窪寺。さすがに、ここは気候がまるで違う。さぬき市の中でも特別な地域だ。

 

 思わず、身震いがする冷たさ・・・。

 

 普段は、こういう手水場(ちょうずば)だが・・・。

 

 さすがに、こんなオブジェは見たことがない。それでも水音がして、水は流れているのだから不思議な物だ。

 

 さて、先日、このレーザープリンター用のトナーを買ったら1万円弱だった・・・と言うお話を書いた。

 

 昨日には、もう一台のレーザープリンターのトナーが切れた。そこでアマゾンさんにトナーを注文した。薬で言えば「ジェネリック」。純正部品ではないトナーである。若干、インクが薄いのか・・・。

 

 早速、お昼過ぎにはトナーが届いた。

 

 中身はこういうもので、980円。ま、印刷できる枚数が違うんだな。

 

 同梱で、この本も入っていた。この前、図書館で借りたのだが、やはり、先生の本ならば、手元に置いておきたいものだと・・。

 

 先月の末に、観光ガイド養成講座で、この本について講義をされた「稲田道彦」先生の著書である。

 

 これは、眞念さんが書いた「道しるべ」である。

 

 こちらが、稲田先生の訳注である。ま、訳してくれてはいるのだが、現代文ではないので読みにくい。これも慣れるしかないのだろうが・・・。

 

 明日が節分。今日の掲示板はこれ。「相手を鬼と見る人は 自分もまた鬼である」という曽我量深先生のことばからである。「鬼」という言葉には、「仕事の鬼」というようなひとつの道に邁進する人を表わす時もあるけれど、心の冷たい人、情け容赦のない人、恐ろしい人・・・といった意味を指している場合が多い。自分に危害を加えてくるような相手、願いや希望を摘み取ってゆくような相手、そんな人に対して「あの人は鬼だ!」と思うものだ。そんな時はその相手がいかに冷酷で残忍な言動をとったかということばかりをあげつらい、憎み、ののしるのが普通だろう。しかしそれがそのまま私も相手と同じ鬼になっているというのである。自分にとって不利益な相手を「鬼」と断定した途端、私はその人を「人」と見なしていないのだ。だから、その不利益な相手を「退治」し「成敗」しても良いこととしてしまう。そう思った瞬間に心の行いとしての(意業)では、私は恐ろしい形相でその相手を八つ裂きにしてしまうのだ。もうそれは「鬼」そのものに違いない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


豆まきが こんなに悲しい 遊びとは

2018年02月01日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、南海上を東北東進する低気圧の影響で、雪や雨が降っている。気温は0.7度から5.1度、湿度は92%から81%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の2日は、寒気や気圧の谷の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 朝、目覚めると雪景色だった。で、雪はずっと降り続けているのだが、気温のせいか雨のようになって雪は消えてしまっている。

 

 子供の頃にはひざまでの雪が降ったが、温暖化のせいか、雪は珍しいほどになった。20年前にはタイヤチェーンが必要だったが、最近はタイヤチェーンなんぞ全く見なくなった。

 

 ノーマルタイヤで迂闊に走ってもまずいと思って、今日もしっかりとお勉強。

 

 島の我が家の近くにある一つのありふれたお墓である。ところが、このお墓は謎ばかりに包まれていた。その謎を解いてきたのだけれど、一向に歴史は書き換えられないし、世間も島の人たちも、私たちの研究には見向きもしない。

 

 ま、丸亀市史やそのほかの歴史書は書き換えられない。そこで、こうした資料を整備して公的な場所に保存しておいて、後世の方に史実を残したいと思うばかりである。

 

 この時期になると、このお話。自由律俳人の「住宅(すみたく)顕信」の「未完成」という句集である。 住宅顕信は、本名・住宅春美(すみたく はるみ)。岡山県岡山市に生まれた。岡山市立石井中学校卒業。1976年4月、岡山市内の下田学園調理師学校に入学。同時に就職し、昼は勤務し夜は通学という生活に入る。4歳年上の女性と知り合い、同棲を始める。この頃より詩、宗教書、哲学書に親しんだ。

 

 1978年3月、下田学園卒業。1980年、父親の勤務先である岡山市役所に臨時職員で採用され、清掃の仕事に従事。仏教にに傾倒し、1982年9月より、中央仏教学院の通信教育を受講。翌1983年4月、教育課程修了。7月、西本願寺にて得度。浄土真宗本願寺派の僧侶となり、法名を釋顕信と名告る。10月、同棲相手と結婚。両親の援助により自宅の一部を改造して仏間をつくり、浄土真宗の根本経典「無量寿経」に因み、無量寿庵と名付けた。

 

 1984年2月、急性骨髄性白血病を発病し岡山市民病院に入院。6月、長男誕生。不治の病の夫に対して妻の実家の希望により離婚。長男は顕信が引き取り、病室にて育てる。10月、自由律俳句雑誌「層雲」の誌友となり、層雲社事務室の池田実吉に師事。この頃より自由律俳句に傾倒し、句作に励むようになる。特に尾崎放哉に心酔した。1985年に句集『試作帳』を自費出版。「層雲」の権威主義的な疑念を感じ、「層雲」の元編集者である藤本一幸が主宰する自由律俳句誌「海市」に参加する。翌1986年、「海市」編集同人となる。病状が悪化し、この年の12月からは代筆によらなければ投書できなくなる。1987年2月7日23時23分、還浄。享年25。俳人としての創作期間はわずか3年で、生涯に残した俳句は281句だった。(Wikipediaより)

 

 住宅顕信の人生も俳句もまた、「未完成」のままに終わってしまった。南無阿弥陀仏に出会った人生。彼の人生は「むなしくはなかった」のだろうか・・・。

 

 二月が来ると、なぜか、この夭折してしまった自由律俳人、「住宅顕信」のことが思い出されて仕方がない。故郷岡山の旭川沿いに建てられた顕信の自由律俳句「水滴の ひとつひとつが 笑っている顔だ」というもの。放哉の句をにじませるようなことばを紡いでいる。

 

 今日の掲示板はこれ。「鬼とは私のことか 豆がまかれる」という住宅顕信の俳句から。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。もうすぐ節分。冬と春の分かれ目ということで、暦の上では春になるころである。節分といえば豆まきであるが、豆まきを題材にした俳句を取り上げた時期らしいことばである。「鬼とは私のことか豆がまかれる」 ことばと言っても、これは自由律俳句。荻原井泉水、尾崎放哉、種田山頭火などの流れを汲むもので、「住宅顕信」さんは1987年に25歳の若さで急性骨髄性白血病で亡くなった俳人だ。この句にも、作者のそうした悲しい背景が忍び込んでいるように感じられるのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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