善然寺よもやまばなし

横浜の浄土真宗本願寺派(お西)のお寺です。
電話 045-741-2351
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上越の旅その2巻

2016-10-01 | Weblog

ハーイ坊守

10月になりました。

ご本山では本日より来年5月まで期間をもうけて伝灯奉告法要をお勤めいたします。

親鸞聖人から数えて第25代専如ご門主さまへお代がわりのお祝いのご法要です。

1時40分からご法要がインターネット中継されます。

とても珍しいご法要です。両堂にて同時にお勤めが始まり途中前門様とご門主様が入れ替わるそうです。

イリュージョン法式?前門さまがご門主さまになられた(昭和55年)の伝灯奉告法要も同じく両堂が入れ替わったそうです・・・・・どんなご法要かしら・・・・お参りしましょう。

夜は国宝 飛雲閣のお庭がライトアップされ限定入場が始まるようです。

また法要期間中はいろんな催しが計画されているようです。

是非ご家族そろっての参拝をお勧めします。

善然寺は来年4月11日を団体参拝です。

皆さまご一緒にお参りしましょう。

募集用紙は後日お配りします。

では先日の新潟の旅の続きを・・・・諸説ありますが頂いた資料では・・・2月28日に国府へ流罪の命が下り 藤井善信(ふじいよしざね)と還俗させられる

流罪には近・中・遠と三種あり親鸞さまは遠流 死罪に次ぐ重罰

なぜ親鸞さまが重罪なのかと・・・・・承元の法難(既存仏教教団から弾圧 後鳥羽上皇が専修念仏停止)となる

3月1日役人に監視され吉水の草庵を出て今宿からは一人で行くように命ぜられ親不知(地名)も陸路を歩まれその先から舟に乗る 

3月28日に糸魚川の東、木浦(このうら)から舟に乗り居多ヶ浜へ上陸される

その時は性信房と西仏房と共に上陸

写真は五智国分寺・・・・ご流罪で居多ヶ浜へ上陸後 1年間ここの地・竹之内草庵(たけのうちそうあん)に住まわれたそうです。国分寺の住職が親鸞さまと比叡山で学友だったことからここを提供したそうです

孟宗竹の庵だったそうです 竹で骨組をし笹の葉で屋根や壁を作ったので竹之内草庵と呼ばれたそうです。

流罪は・・・1年目は国から米と塩が与えられ 翌春は種が与えられ 決められた土地を耕し秋は米・塩・種の給付は止められ自給自足の農耕生活になると書かれています。

今はこの建物の中に親鸞聖人ご自刻ご坐像がご安置されている中には入れません

鏡池・・・流罪を終えここを去る時に別れを惜しむ方々へ親鸞さまはこの池へ自分の姿を写しご自分を彫ったといわれる坐像が竹之内の草庵にご安置されています

この続きはまた明日

 

 

 

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