同窓会で集まることがあると、必ず「過去の写真」を持ってくる人がいる。
写真を手の届くところにきちんと保管しているに違いない。
とても几帳面な立派な人格者であると思う。
座を盛り上げるための「過去の写真」は水戸黄門の印籠のごとく、みんなをギョッとさせる。
凄まじい威力を持っているのである。
写真のなかのみんなは、当たり前だがとても若い。
みんなかつての自分の姿を見ながら、首をかしげる。
女の子から羨望のまなざしで見られていた少年は、みごとに頭髪が淋しくなってしまった。
昔はあんなにもてたのに、未だ独身なのはこの頭髪のせいだとひがんでいる。
「せめて毛根が当時の四分の一でも残っていてくれたら…」
と、まるで別人みたいな「過去の写真」を見て、ため息をつく。
まるで不細工を絵に描いたようなアタクシなどは、「世の中は平等にできている」と別の意味で感謝したりする。
昔の乙女たちも、足の太さが二倍になっても若い時のおのれの姿を見つけると、「勘弁してくれぇ」と目を覆いたくなってしまうのだ。
久しぶりに会ってあまりの変貌ぶりに驚く。
清純そうな一昔前の片平なぎさのようだった姿が、八代亜紀のようななまめかしい感じになっている人もいる。
みんなでお互いをサカナに、いいたいことをいう。
自分の姿は見たくないが、人の過去は何度見ても面白い。
写真など一度見れば十分だと思うのに、毎回「過去の写真」を見るたびに、異様な盛り上がりをみせるのである。