武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

まとめるには猫が一番

2014年08月17日 | Weblog

よーーーやくにして「賢治の童話」を数冊製本した。
これを宮沢賢治さんが見ればガクとするだろう。
もう一冊・・・・・投げ出していた「いろはDE歌おう」を猫の絵で終了し製本した。
猫の絵は♪「ほたるのやどはかわばた」であるが、関係ない図柄と思われるがホタルが一匹飛んでいる。困った時は猫の絵でまとめるとなんとかなる。

七十二候では「腐草為蛍」と言う。「ふそうほたる」となる。

腐った草が蛍生まれ変わると言う意味だ。この時期をそう呼ぶ。蛍は一生の大部分を水中ですごし成虫になって一週間くらい生きる。この一週間に淡い光を放つもの悲しさが日本人好みなのかもしれない。
蝉もそうだけど・・・・・・・ミ―――ン

バターナッツ南瓜のゆくえ

2014年08月15日 | Weblog


朝顔はもちょい清々しくやりたかったな。
中央はバターナッツである。ひょうたんにあらず。
数年前にもらって種をばらまいたのがはじまりで、ほっておいてもたくさん実が付く。
昨年は全部収穫せず、ほっておいたらそれが芽を出し、実をつけた。
勝手に育って頂戴という感じ。

万葉集に詠われている秋の七草のひとつに「朝顔」とある。当時は「桔梗」のことを朝顔とよんでいた。なお、当時はまだ「かぼちゃ」は日本に伝わっておらず・・・・
かぼちゃの原産地は南米とか。最初は種を食べており肉のところは苦くて食べれず・・・・ある時突然変異で甘いのが出て。それが主流になったとか。

それではまたかぼちゃで(@^^)/~~~

安曇野スケッチ

2014年08月14日 | Weblog

これは紅葉の碌山美術館。建てられた当時、かなり離れたわが母校にも寄付の要請がきたらしい。こどもひとり一円か十円を寄付した。まだ50銭札が通用したころだから一円かも。
その時はロクザンと聞いても何のことはわからなかった。
これはわさび田、アルプスからの湧き水のおかげかもしれない。観光の目玉にもなっていて多くの人が訪れる。
冬の穂高駅。ここからしばらく歩くと穂高神社がある。その形をいただいて神社風だ。
昔、長野駅も善光寺風だったがすっかり近代的になって個性もなにもなくなった。
これは穂高大橋。名所でも何でもない。遠くに見えるは安曇富士と言われる有明山。本当の構図では山の位置がちがう。
これは「十ヶせぎ」の風景だ。江戸時代にこのせぎを作り水を引いてきて安曇野が豊穣の地になった。先人おそるべし。大工事だったのだ。
現在はコンクリートの水路として今時期鴨などこどもを連れ泳いでいる。

この時期県外車も多く、かなりの人が来られているらしい。

おぼんぼんぼん

2014年08月13日 | Weblog
寒い・・・・・長野県では松本の奈川では10度(?)とか言ってた。
ここのところ温度もあがらないうちに出品作を仕上げようとお盆そっちのけ。
でかい画面は最近体力が衰えているので、一気が大事。60×45だ。

途中経過も一枚。
展覧会をしても道具とか板見たいということを言われる。
結果だけでなく途中の格闘や苦労も見たいと言うことかも。

タイトルは「サマー」とした。少年の夏の出来事をつめこんだ。まだ、気もちはロマンチックなのだ。

おぼんぼんぼんごきげんよう

ぞくぞく・・・・・千社札

2014年08月12日 | Weblog
豚のピンクをあざやかに、おいしそうに。

千社札は一寸六分×四寸八分。ま、規格外もあるが・・・・

この夜景は・・・・・窓が「田」と言う漢字、そこに「竹」(武)。それで存在を示している。だれをピンときそうもないので・・・・・・

「♪一本でも人参」の色を入れてみた。ごま塩だけが絵にならないので文字で。

コメントへのお返事
文化祭は短いので、その前後1週間くらいの予定(だそうです)。なお作品は3月にやったのとほぼ同じです。9月の松本美術館で信州版画展あります。12月の豊科のかりんとう屋さんと1月に明科の陶器屋さんの予定です。


それではごきげんよう。

🐽も逃げる

2014年08月11日 | Weblog

これはナスである。わが畑の産物である。
もうすでに胃袋に入って後排泄されている。鼻に似た突起がついていた。ナスと通常呼ばれるが正式にはナスビである。同じくカブなども正式にはカブラである。
次は千社札である。神社などにベタベタはってある。参拝の印がはじまりらしいが、江戸になると版画が用いれれデザインに凝るようになり、浮世絵の絵師・国芳など参入してきた。こうなると交換会ができたり、派手になり幕府からもにらまれると言うこともあったらしい。
なお、この図柄は「とんずら」・・・・・・この暑さから逃げたいという気持ちがはいってる。
ま、そういうことです。

ごきげんよう。

やりましょうやりましょう

2014年08月09日 | Weblog
こう雨が多いと寒くなるし、晴れれば暑いし・・・・・・
この時期は「雨乞い」などの時期だ。私たち祖先はいろいろな形で雨乞いの儀式をしていた。
あの小野小町は一首歌って雨乞いをしたとか、踊ったり念仏でせまったりいろいろだが俳句や和歌を詠んで雨乞いした例もあるらしい。この小野小町は一首詠ったら、すぐ降って来たとか・・・・・・・
生れ故郷で文化祭に一部屋うめてくれという依頼がきた。
軽い気持ちで了承した。新しい作品でなくいままでの作品でいくことにした。ま、いいでしょう。
せっかくだから小谷に関係した作品がいいかと思いさがしたら
これがでてきた。これは一般的に「かごめかごめ」遊びのはやし言葉で「たあばこ、たあばこ」とはやす。
昔の子どもの遊び歌だ。


なお最初の版画の中央にあるのが「にんじん」。シリーズで彫ってる「いろはで童謡」の🈔にあたる。
🈔だと♪「人間っていいな」でいきたいが、図柄で失敗。♪「一本でもにんじん、二本でのサンダル・・・・」である。


それでは    ごきげんよう。

駅・・ステーション

2014年08月08日 | Weblog
駅という響きもステーションという響きもいい。
なにかもの悲しさをもち、高倉健らしいき駅長が白い手袋の手をふる図もいい。

そこで駅二題
これは私の乗車する駅の銀杏をモデルにした。わたしも時々通勤に使ったがはしゃいでいた高校生がOLになってツンと乗車してくるのを見ると、わたしも年取ったのだと実感した。
この駅は常念岳へ上り下りの駅で、昔は結構登山客がいた。駅前に東屋があり休んでいた。私も高校の時下山してこの駅で下りの電車をまった記憶がある。
この銀杏も枝は結構切られスマートになっているが、かなりの柄の大きな銀杏だ。もう数十年ここにたって人の世の移りかわりを眺めている。

巨泉

2014年08月07日 | Weblog
暦だと立秋だ・・・・・暑いけど39度のところもあるから我慢です。
こういう時は文字をにらんでると苦しいので、巨泉さんのおもちゃ絵をみる。色がおだやかででホッとする。
巨泉といえば、すぐテレビに出てくるあくの強い巨泉と思われるが、そうでなくオモチャ絵の川崎巨泉さんだ。私の生まれた前の年、昭和17年に亡くなっている方です・・・大阪の方。題材もそうですけど涼涼しい。
そこで一句ま、そういうことで墓掃除。野草がはびこっている。強いですね。野草は。
夏草のつわものどもが根をはりて
すこし文字をふやして

それでは  ごきげんよう

我ラーメンの歴史

2014年08月06日 | Weblog

この建物をしらない人は知らないのが当然。これが私目が生涯はじめてラーメンを食べた食堂である。現在廃墟。
まだ戦後と呼ばれる昭和三十年代。鉄砲の弾用に鉄道の線路をもっていかれ鉄道の機能が失われた。それが戦争が終わると鉄道の線路ももどり、駅の近くには温泉もわき旅館もでき駅付近は一気に繁華街となった。ここに食堂ができジイサンに連れていかれ初めてラーメンを食べたのだ。この時の味は衝撃的だった。こんなにうまいものが世の中にあるのかと思った。もちろん食堂にはいるのもはじめてだった。今考えると普通のインスタントより味の落ちるラーメンだったと思う。でもめずらしかったのだ。
この建物はしろうとのおやじさんが一人でつくり、当時大人の話だと建築法などに合格せずにらまれたしろものだとか。でも現在もくずれていないので意外と丈夫なのだ。ここのおやじさんは器用で建物をつくり、食堂をはじめたのだ。ラーメンは30円くらいで、残った汁はすてないで次の人のラーメン汁にしたとか・・・・・

現在は温泉も売りがなく客も減り、災害で鉄道も流され現在は復旧したが無人駅、駅前もさびれて店もなくなった。木造はみんなつぶしたが、これだけは残っている。