いつも散歩する公園の遊歩道は一周700メートルほど。昨年他界した父が亡くなる数か月前まで毎朝夕一周していた散歩道。父がここ一帯に土地を購入して住み始めたのが50年前、公園の整備が完了したのが20年前。大正生まれの人に共通するように思うのだが、外出時にはいつも上着を着て帽子(ハンチング)を被っていた。そしていつも相当額の現金の入った財布を懐中に。かつておやじ狩り、などという言葉があった時分、そんな現金を持って散歩していると心配だと思って持ち歩かぬよう忠告したことがある。当時は一人暮らしをしていて、本人はすでに傘寿を超えていたから、「もし転んだりしてひとに助けてもらう時にお金をもっていなければ困るだろう」と言う。そんなことはない、親切にしてくれるひとにお金を渡すことはない(親切なひとがお金を要求することはない)し、緊急の場合にもその場でお金が必要になることはない、何かあればこちらできちんと礼儀は尽くすから、と説得して、ここ数年は財布を持ち歩かなくなった。若くして中国東北部(旧満州国)で勤務し、終戦後は抑留生活を送って、帰国後は戦後の物のない時代を生き抜いてきた体験がそういった考えを持たせたのだろう。同じような境遇をたどった多くの人と同じようにその時期のことについて話をするようなことはついぞなかったが。
杖を頼りに、ベンチで休み休みゆっくりと散歩していた姿を思い出す。同じ散歩道を辿っていると今でもどこかのベンチに座って静かに遠くを見ているような気がする。そしてお金を持ち歩かぬように説得した自分の行為が、父から大事なものを取り上げてしまったようにも思えて、チクリと心に痛みを感じる。