回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

エルメス

2020年11月03日 16時45分19秒 | 日記

今晩から強い寒気が日本列島を覆って急に気温が下がりそうだ。北日本では山間部はもとより場所によっては平地でも雪が降るという。こういう季節になると人は縮こまって室内に留まりたくなると思うが、実際にはむしろ寒さを求めて外出したくなるものだ。寒くなって着るものが増えるということはそれだけ、いろいろな着こなしを楽しむことが出来ることを意味する。

寒い地方、例えばスカンジナビア半島の国々、スエ―デン、ノルウエー、デンマーク、フィンランドを旅したことのある人なら、それらの国の人々が如何に寒い季節を楽しむ知恵を持っているかに驚くだろう。スキーやスケートだけでなく、着るものにも楽しみを見つけている。

オーバーコートやスカーフ、帽子、手袋からブーツまで、寒いからこそ登場するものだ。寒さから自分を守ってくれるそれらの心地よさはなかなか言葉には出来ない。例えば頬にあたる風は切るような寒さなのにミンクの帽子をかぶった時の安心感。そういえばヘルシンキの港の傍の市場で買ったミンクの帽子は今でも持っている。頭の芯が痛くなるような寒さの中で我慢できずに買い求めてかぶった時の暖かさ。尤も日本ではこれを被らなければというような寒さはないので、今はクロゼットの中で眠り続けている。

随分前のことだが、今よりも少し寒い時期に、ある案件を担当していて、いよいよ契約書交渉の最終段階に差し掛かった時、先方から、残っていた条件を全部了承するが、トップがこれからしばらく留守にする。承認をとるために大至急、そちらの書類を完成してこちらに渡してくれないか、担当者を差し向けるので、出来るだけ早く渡してほしい、という急な電話が来たことがある。

大急ぎで書類を回してこちら側の手続きを完了し、玄関に降りてみるともう既にその担当者の女性が待っていた。どうしても今日のうちに着かなければしばらく遅れてしまうという話。仕事の緊張感からか、きつい表情で書類の中身を改める真剣な目。立ったまま一緒にめくられる書類をみていたのだが、ついさっきまで自分が走り回って取りまとめたものだから、改めて確認するまでもないし、自分の苦労が蘇ってくるようで見たくもなかった。そして一刻も早くこの書類から解放されたかった。

書類を再確認するのは彼女に任せて自分は少し息を整えようとして視線を上げると彼女の白い額がすぐ前にあった。きつく言われてきたのか、どんな細かいミスも見逃すまい、と言う強い意志が表情に現れていた。暖かそうなコートの襟もとから、オレンジ色のスカーフがのぞいていた。その厚みのある絹の光沢と特徴ある縁かがりが彼女のこだわりを感じさせた。このスカーフなら、北欧の寒さも十分防いでくれるだろう。

ものの数分だったと思うが枚数と署名を確認して、納得したよう急に柔らかい表情に戻って彼女は車に乗り込んだ。白い排気を残して走り去る車の中に彼女の長い髪が対向車のライトにあたって燃え上がるようなシルエットになって見えた。

仕事が終わってしまうと、あらためてそのセンスの良さが印象に残りもしこんな人が次には友達として待ち合わせに来てくれるならなどとつい余計なことを考えてしまった。

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IL POSTINO

2020年11月02日 15時49分56秒 | 日記

日曜日を除いて日本郵便の配達人が使っている赤いホンダのスーパーカブを見ない日はない。この赤いバイクは郵便配達専用なので一般には販売されていない。犯罪に使用されたり、無用な混乱を避けるためであるがある意味当然のことだ。バイクが導入される前はたしか同じように赤い自転車だった。子供の頃の記憶に、頑丈な重そうな自転車の前に大きな鞄を括り付けて制服を着た郵便配達人が家のポストに郵便物を入れていくのを見ていたことがある。夏の暑い日や冬の寒い日など、あの重たい鞄を乗せた自転車を一日中漕いで配達するのはさぞかし大変だろうと思った。

郵便配達は、日本だけでなく世界中を網羅するネットワークでもある。世界が分断されていた時でさえ、郵便は世界の共通のインフラとして、独自の機能を発揮し続けてきた。ビジネスにおいても郵便に対する信頼感がその根底にあったように思う。

日本の郵便の記号はかつての逓信省の「テ」をシンボルマークとしている。一方、ヨーロッパでは、郵便馬車や馬による郵便輸送の発着時間を知らせるために用いた郵便ラッパをモチーフにしたデザインが多い。この郵便ラッパを抱えた配達人が自転車に乗って草原の向こうからやって来るヨーロッパの風景を想像するのは、郵便を待つ期待感とも相まって楽しい。

ニューヨークの国連本部から数ブロック離れたところにあるイタリア料理の店、その名もIl Postino。自分がいた当時、この店はイタリアらしい陽気さに満ちた、活気のある店だった。入り口では大きな花瓶に盛られたこれまた大きな花が迎えてくれる。席に着くと、数人のウエイターが取り囲むように集まって、多分その中の一番年長と思われる一人が、暗記している今日のメニューを大声で歌うように披露する。

スープはこれこれ、アンティパストはこれこれ、パスタは、メインの魚料理、肉料理は、そしてデザートまで、数えきれないほどの料理の名前が一気に読み上げられる。そこで、さてご注文は?とくるのだが、そんな長いメニューを覚えているはずもないから、もう一度聞くか、その場合には少し内容を絞って、あるいはメニューの本を持って来てもらう。これだけを聞いてすぐに注文出来るのはイタリア料理をよほどよく知った客に違いない。普通はこれは一つの儀式、パフォーマンスと考えた方がよいだろう。

値段はこの近辺のレストランと比べても高い方ではない。味は、特に素晴らしいということはないが、値段を考えれば十分妥当な水準にあると言えた。住んでいたところに近かったのでたびたび利用した。大事な客の接待には少し不向きだが、友人や知人との食事には、この楽しい雰囲気が堅苦しさを忘れさせてくれる。ここでは随分多くの人と食事をした。その中には、事情があって他人にはその光景を見られては困るような人もいた。こういう時にはこの喧噪と混雑が人相を紛らわせてくれるのに好都合だったし、特に、日本人にはこのような雰囲気は余り好まれないように思えた。事実、知り合いと鉢合わせしたことはない(と思う)。こんな店だから大声で話すか、あるいは顔を近づけて話すかしかない。訊かれては困るような話だと、どうしても鼻を突き合わせる格好になった(コロナ禍の今では御法度だろうが)。

多分今の状況では開店してはいてもごく限られた人数しか入店できないだろう。あの喧噪も聞かれないのではないかと思う。このレストラン、1994年の同名のイタリア映画と何か関連があるのかどうかは知らない。

ロンドンのアンティークショーで、ふと目にして買った郵便ラッパの3種類のセット。Made in Englandの刻印があるが、果たしてイギリスで使用されたのかどうかはわからない。少なくとも自分がいた頃にはもう使用されていなかった。

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同級生逝く

2020年11月01日 17時31分51秒 | 日記

小学校、中学校と同級生だった男が昨日、悪性リンパ腫で死んだ。去年、大動脈解離を患い、奇跡的に一命をとりとめたものの今年に入ってすい臓がんが見つかり、さらにリンパ腺に転移したのだという。癌で入院と言う噂は聞いていたが、コロナウイルス感染拡大防止のため病院からはごく限られた親族以外は一切面会不可、という状態が続いていたから、お見舞いにも行くことが出来ないまま昨夜の連絡を受けた。

彼とはまさに幼馴染、と言うのだろう。いつから一緒に遊び始めたのか記憶がないくらい古い付き合い。家が近くで、もちろん小中学校は同じ。親の方針だったのか、いつも坊主頭にしていた。敏捷で運動神経の発達した、近所のいわゆるガキ大将、だった。

中学校までは一緒だったが高校から彼は実業高校へ進み、高校卒業後就職することが前提になっていた。そして、その高校で今の奥様と巡り合い、卒業とほぼ同時に結婚した。自分はまだ大学に入ったばかりで、どうやって生活してゆくのだろうかと不思議でならなかったが、奥様が賢明な方で(それがどうして傍から見れば無茶なことをしたのか、これまた不思議)、家庭を切り盛りし、直情径行なところのある彼を支えていた。

彼から見ると、自分はずいぶん違う世界に生きていると思っていたらしい。そのころ一度、彼の家にマージャンに誘われたことがあり、奥様が手料理でもてなしてくれたことが記憶にある。同じ年なのに彼は家庭を持ち、仕事を持ち、こちらはまだ社会とは切り離された学生という、どちらにしても違う世界に生きていることは事実だった。

彼は昔から釣りが趣味で、たくさん釣れた日などは、帰りの途中に我が家に寄ってその日とれた魚を少し自慢げに渡してくれた。いつももらってばかりいたのでは悪いので、一度たまたま冷蔵庫にあったものをお返しとして強引に押し付けたことがある。

コロナ禍の最中でもあり、葬儀一切は家族だけで執り行うというのでどうしようかと思ったが、やはり最後の別れがしたくて電話をしてみると奥様からは是非、と言う返事。気持ちばかりの花のアレンジメントを抱えて、自宅にお悔みに伺った。奥様によれば、彼は去年友人の葬儀に参列し、その友人の死に顔を見てショック受けたという。それで自分が死んだ時は誰にも顔を見せないでくれ、と頼んだそうだ。しかし奥様としてはやはり顔を見てお別れを言って欲しい、と。

彼は元来、顔立ちの整った、とてもハンサムな男であり、少しやつれてはいたものの、いつもの綺麗な顔をしていた。昨日、容態が急変し、奥様が病院に着いた時はほとんど意識がなかったが僅かに反応したと、そして眠るようにしてあっけなく逝ったという。安らかだった最後、それだけが救いだ。

これから、好きな釣りをしてゆっくり楽しみたいと思っていただろうに、運命は残酷だ。

今頃は病気からも解放されて釣り竿でも抱えてどこかへいっているのだろうか、と彼の顔を見ながら思った。幼馴染との別れはどう表現して良いのかわからない。楽しかったことは思いだすが、多分したであろう喧嘩やいさかいのことはどうしても思い出せない。彼は喧嘩が強かったがこちらにはそんな度胸はなかった。むしろ、彼に庇ってもらったことの方が多かった。いつも彼は自分より少し先を行っていた(半年くらい早く生まれていた)が何もここまで先に行くこととはなかった。

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NY最新事情11

2020年11月01日 15時53分36秒 | 日記

閉鎖中のブロードウエイの現状をYoutubeにアップしてきたNYの知人が、『New York あの店その店』 第1回、抹茶シュークリームのおいしい「Bibble and Sip」と題して3分ほどの新作をアップした。しばらくはNYに行くことも叶わないので、肩の凝らない映像で、NY の有名・無名の名店を覗いてみるのも一興と思う。

この映像で見る限り徐々に平常を取り戻しつつあるようだが全米の新規感染者はとどまるところを知らない。また、いよいよ明後日は大統領および下院議員選挙。

https://www.youtube.com/watch?v=PlPu6jOqRmQ

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