“渋谷の父 ”ハリー田西の占い研究所

自身のことを含め世の中の森羅万象を占い師・運命学研究家の立場からつづります。

九州の熊本から帰って来ました!

2010年01月30日 22時08分46秒 | Weblog
昨日は夜の熊本でハメをはずして飲みすぎてしまい、今日は身体がボロボロです!

なにしろ一次会の宴会の後、はしごし、はしごし、最後は熊本ラーメンの店で、
餃子を3皿おかわりするなど、暴力のない朝青龍の如きやんちゃをしたので、
今朝は朝から内臓の機能が全面的にストップし、最悪のコンディション。

それ故、ホテルでの朝食はパス。

一緒に行った連中からは、「大丈夫ですか?」のメールが入る始末で、
それでもなんとか午前11時のチェックアウトタイムにロビーへ。

みんなはこれから熊本城に観光に行くという。
「もちろん行くでしょう?」と言われ・・・
「僕は~・・・・」
本当は、どこかホテルの近くのマッサージ店にでも行って、
のんびり2時間ぐらいマッサージをを受けていたかったのですが、
「せっかく熊本に来ておいて、観光しないの?」の声に押されて、
一緒に熊本城へ。

熊本城・・・僕も姫路城から青山のこどもの城まで(笑)あちこちの城を見ましたけど、
ここは1960年に天守閣が再建された築50年の城とはいえ、
その偉容といい、スケールといい、施設の豪華さといい、すごく観光価値のあるお城です。
“日本三名城”の一つなんだそうで・・・

あの“虎退治”で有名な加藤清正公の居城であった熊本城は、明治維新後に廃城になった後、
1877年の西南戦争の時に炎上し、天守閣などそのほとんどを焼失しました。
それが、1960年に天守閣が再建され、その後も現在に至るまで粛々と復元工事が進んでいます。
粛々と工事が進行しているなんて、
なにやらスペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリアみたいですね。

でも、今回改めて、この熊本城に行きよかったことは、
大学で日本史を学んだ人間として、西南戦争前後の近代史を振り返ることが出来たことです。
西南戦争以後は、旧士族達の不満の矛先は武力による闘争ではなく、
自由民権運動へと変わっていった・・・なんてことを思い出させてくれたというだけでも、
なにか熊本城に行った価値がありました。

それから昼食を食べに行くというみんなと別れて、
単身マッサージ屋さんへ。

これがけっこう良い大阪出身のマッサージ屋さんで、
短い時間でしたが、このおかげで疲弊した身体がだいぶ楽になりました。

もう年なんだから、あんまり夜更かし、深酒はいかんよね。猛省。

夕方のANAで帰京。明日は朝から仕事です!
辛いよね~。


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