少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

ゼロの発見

2005-09-06 22:47:59 | 哲学
人類が数字を発明してから負の数という概念にいたるまでには長い年月を必要としたらしい。でも、それからゼロという概念のたどり着くまでにはもっと長い年月が必要だった。

ゼロというのを今私たちは当たり前のように使っている。でも、ゼロがなかった頃は

6-6

は無しであった。りんご6個を6個全部食べたらのこりは無しである。なくなってしまったことを議論しても仕方がない。つまり無しには意味がなかったのだ。

でも、意味がなかった無しにゼロという記号をあてはめ、そこに無しという意味を考えた人がいたのだ。何でもインド人らしい。

新しいことを生み出す、創造的なことをする。それは無意味に意味を与えることなのである。

と、すれば、何か創造的なことをしたければ無意味なことを見つけるのがいいということになる。それが見つかったらそれに意味をくっつければ出来上がり。簡単なことだ

無意味なことは文字通り無意味だから、それを見つけるのは案外難しい。たかがゼロという意味を作り出すのに数千年かかったようにだ。

意味がないことを見つけ出すにはどうすればいいか。それは意味のあることをきちんと認識することだと思う。自分の認識の境界をはっきりさせることによって無意味が浮かび上がってくる。このことは、逆も言える。つまり無意味をはっきりさせることによって意味が浮かび上がってくる。意味と無意味はお互いに補完的なかんけいにあるのである。そして、両者ともそれだけで絶対的な存在にはなりえない。あくまでも反対の概念とのコントラストによってのみ認識しうるのである。

製品の不具合の原因を究明することでも、新しい製品やサービスを考えるときでも良い、何か新しいことを創造するということは、すべからくそういうプロセスなのだ。