少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

写真における光の意味

2005-09-10 19:59:15 | 写真
写真を撮る。それが人物であれ、山であれ、建物であれ、普通はその撮影対象が写真になったと思っている。

しかし、もう少し厳密に考えると、写真に焼き付けられた映像は、その対象そのものではない。その対象に当たって跳ね返った光がフィルムに映像となって現れた物に過ぎない。


それは我々が物を見るというプロセスにおいても同じことが言える。我々が物を見てそれを認識しているとき、その認識は目の前にある椅子や机そのものではない。それらからやってきた光が網膜に信号を励起し、それを脳が椅子と言う概念と結びつけただけに過ぎない。

意味を作り出す「意識」がなければ写真だって何の意味もなくなる。モノクロであればただの濃淡のビットの集まりだ。つまり、写真における無意味と意味の境界というのがそこに見えてくる。写った対象全体としての意味(例えばそこに写った人の名前)と無意味な濃淡や色の違うドットの集まりである。

光とは無意味と意味の二つの属性をもっている。その両者とも完全なものではない。写真を考えるとき、二つの属性を意識してみよう。例えばその写真に写っているのが人であれば、それを人と見るのではなく単なる濃淡の集まりとみなしてみるのだ。逆にゾーンシステムのように写真をトーンの違う濃淡画像を意識しているときには、そこに写った物のイメージを考えてみるのだ。

そういう意味と無意味(実はどちらが無意味かということさえ相対的に過ぎないのだが)をいったりきたりしてみることによって、何か新しい価値が創造されるのだ。