ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

高校同窓会ウオークに参加

2012-10-23 06:18:26 | 地域活動・つながり
10月20日、東武野田線の岩槻駅前に「いい年した親父達」が75人集まった。
それは、春日部高校同窓会が例年主催する「春高ウオーク」の参加者達だった。
岩槻は550年前、武将太田道灌が 関八州の北の守りとして城を築いてから栄
え、江戸時代には将軍の日光への御成街道の宿場町・城下町として繁栄した。
また、東照宮を造営した工匠が足をとどめて作り始めた人形が産業に発展した。
お城も街も時代とともに姿を変えたが、町並みには歴史が醸し出す情緒がある。
そんな岩槻の中心部を、ボランティアガイドに案内してもらいウオーキングした。

午後1時に受付集合し、会費を支払い資料をもらい 注意と説明のあと4班に分か
れて13時45分に出発し、早速「古い駅舎」と駅前の「からくり時計」を眺める。
少し歩いて太田道灌の騎馬像がある芳林寺、そこは道灌.氏資の霊廟があった。
街道に出て東玉の大正館から鈴木酒造へ、創業140年の酒蔵で見学と試飲だ。
続いて遷喬館、寛政時代の儒学者で岩槻藩士の「児玉南カ」が開いた私塾で後
に藩校となる。現存するのは開校当初に教場だった茅葺き屋根の建物である。

城方角に進むと「時の鐘」、寛文の時に城主阿部正春の命で建てられ幕府公認
の鐘楼となり、現在でも時を知らせているが 今は電気による自動操作だと言う。
さらに進み城跡に入るが跡形がない、沼に囲まれた平城だったため廃城後は埋
められて公園 道路 宅地 田圃になり、移転した城門や裏門が残るだけだった。
そして公園内の市民会館で懇親会、約7000歩の心地よい疲労感を味わった。
「そう言えば、裏小路(ウラコウジ)と言う名の一角があった」と、ひげ爺の独り言。
ここ岩槻には、浦高児(ウラコウジ)もいるが 春高児(カスコウジ)も多いはずだ。
コメント
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