難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

難聴者の手話と社会の変化

2009年04月16日 01時51分46秒 | エンパワメント
090414-083810.jpg難聴者の手話の利用はいろいろな意味で有効だ。手話が視覚的コミュニケーション方法であることから、聴力を失った人も意志を通じることが出来るし、補聴器などだけでは十分なコミュニケーションができない人も補聴器等の効果が得られない環境でも、意志を通じあえる。

また、同じ障害を持つものが集団で学ぶことにより、障害やコミュニケーションの状況が客観視出来ること、手話を使う意味、各種の社会資源、基本的人権などの学習を通じて、難聴者としての自覚を通じて、自立を促進できる。
難聴者が手話を学ぶことにより自立を促進する自立手話講習会の意義は大きい。

障害者の権利条約には、第2条のコミュニケーションの定義に、難聴者の使う音声、読話、補聴器と補聴支援システム、要約筆記と文字表記、字幕、手話など全ての方法が含まれている。
このことは、難聴者が自分たちに使いやすい手話を使うことは当然の帰結だ。

音声コミュニケーションしか経験のない難聴者の手話併用への意識の転換、日本語を基盤にした手話で学ぶ意義に確信を持つこと、自立のための手話講習会の手話指導の理論化、カリキュラム作成と指導者養成、自立手話講習会の行政への説明。確かに課題は多く、数年かかるかも知れない。

しかし、障害者を巡る社会の状況が大きく変化することもまちがいない。


ラビット 記




職場で難聴者として悔しい思いをしたこと

2009年04月16日 00時47分59秒 | 就労
090415-084310.jpg今日は、職場で難聴者として悔しい思いを2回も味わった。

上司が脳性マヒのある同僚のことを、「甘えている」、「その仕事はできっこない、出来るわけがない」と頭から否定する。どんな仕事をさせられるか頭が痛いという。
どういう仕事が出来るかではなく、この仕事をしてもらうためにはどう環境を整備するのかどう仕事のやり方を変えれば良いのかを考えて欲しいと言っても無理と言う。

確かに体幹に関わる大手術をして退院して、手足の筋力が弱っているからというのはある。
4月から出社して、ただ一日座っているだけで時間が過ぎていく。もう少し積極的に動いて欲しいと思う。

しかし、手指が自由に動かない、椅子から立つのもやっとだ。それでも仕事は出来るのだ。難聴の私が、聞こえないから仕事ができない、仕事を与えられないと言われているのと同じだ。
同僚の帰り際、そんなことを言われて悔しくないのか、自分は悔しいと言ってしまった。

帰り際に、若い後輩から、課の女性が業務委託先の男性社員に、きつい言葉で仕事を教えているのはちょっと驚きますねと聞いた。身近にいる女性がそんな口調で言っているとは思わなかった。
2年前にも、別の女性が派遣社員のをいじめと同じことを言っているのが聞こえていなくて、それを防げなかった。日頃から障害者の人権だ、権利擁護だと言っている自分がどうして目の前の人の人権を守れなかったのかと悔しい思いをしたのだ。また同じことが起きてしまった。
目の前にいる会話が聞こえていないとこうしたことが起こる。

難聴の自分が情けないやら、悔しい思いがいっぱいになった。


ラビット 記