難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

「オーディズム」って何だ?聴覚優先主義?難聴者のこと?

2010年01月02日 17時45分10秒 | 日記(つぶやき)
障がい者の権利条約の第2条コミュニケーションの定義で、言語のひとつとして、音声言語と並んで手話があげられている。

ろう者の権利の保障に、手話が必要なことは間違いないが十分ではない。
一部の論調に「オーディズム」がろう者の敵であるかのような記述があるが、これは聞こえることが悪という主張だろうか。
難聴者や人工内耳装用者が聴覚補償(聴能訓練)を求めることは聞こえる社会や聞こえる人に合わせようということなのだろうか。難聴者たちは、ろう者から排斥される対象なのだろうか。

これはきちんと理解しておかないと、ろう者と難聴者が対立しかねない。
難聴者も今の聞こえる社会の中では、コミュニケーションも情報保障も受けられない存在だ。音声か手話かではなく、聞こえないこと、聞こえにくいことが社会から排除される要因にならないように求める考えが重要だ。

下の二つ目の論文が参考になった。

ラビット 記
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「オーディズム」
これまでのろう教育は、日本手話を教育言語として認めていない。そのため、ろう者の第一言語獲得を阻み、オーディズム(聞こえ優生思想)により、自らのアイデンティティさえも確立できない状況を生みだした。今現在においても、その状況は変わっていない。近年は人工内耳の出現、インテグレーションの増加などで、ろう児を取り巻く教育環境は悪化の一途を辿っているといえるかもしれない。」
(「ろう児の教育のあり方を求めて ~ろう者の視点から~ 竹内かおり
(NPOバイリンガルバイカルチュラルろう教育センター龍の子学園 代表)、P1)
http://docs.google.com/viewer?a=v&q=cache:ntcM83BqgVgJ:www.aura.sfc.keio.ac.jp/~yjikun/panel2003/takeuchi.pdf+%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0&hl=ja&gl=jp&sig=AHIEtbRrwugXzmg0c4BXnPJFNEjpq_ixQw

「実践家は、聞こえる人が優位であるといった観念を支持する難解きわまる抑圧の様相を示すオーディズムや、個人、制度を心に留めておかねばならない。オーディズムは、多くのろう者や難聴者、家族、コミュニティの生活の中にある。」
(聴覚障害ソ-シャルワ-カーのコンピテンシーに関する一考察
-Sheridan&White論文 “ろうと難聴”から考える- 原 順 子 、 P4)
http://www.shitennoji.ac.jp/ibu/images/toshokan/kiyo48-06.pdf