難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

難聴者の手話学習は社会生活力の獲得の一環という位置づけが鍵だ。

2010年01月28日 21時36分54秒 | 日記(つぶやき)
難聴者、中途失聴者は、その難聴であることを自覚して、その場にあったコミュニケーションの力、周囲の理解と協力が得られる説明が出来る力、様々な制度などの社会資源を利用できる力をを身につけることを制度化しなければならない。

そのことを目的にした手話講習会、読話講習会などのカリキュラム、指導方法が開発されるべきだ。

このカリキュラムは手話のレベルをここまで身に付けるではなく、こういう難聴者に成長を目指すという目標でなければならない。受講生ごとにも手話講習会と手話に対するニーズが異なる。

目標は実際の講習会を担当した人が手話を習得した難聴者が劇的に変わる様子を目の当たりにしているので、議論してもらいたい。
クラスごとに設定しても良い。例えば、職場や地域で聞こえる人と挨拶が出来る、講習会で隣の席の人と色々な方法をで会話が出来る、毎週通った、など。

どうしても、手話の獲得を目標にしてしまいがちだがこれは戒めたい。
指文字を表せるという目標にすると高齢者難しい、指が固まっている人もいる。


ラビット 記
母の部屋のテレビ。字幕放送が映る。しかし、アナログのままだ。何とかしないと。

聴覚障害者問題はコミュニケーション支援だけではない。社会生活力を身につける支援がもっと強調され...

2010年01月28日 21時08分01秒 | 日記(つぶやき)
聴覚障害者にコミュニケーション支援は必要だ。手話通訳や要約筆記者が必要なときにどこでも配置されるように求めている。

しかし聴覚障害者はコミュニケーションの問題で多くの問題を抱えてしまっている。通訳が付けば済むという訳ではない。通訳がいつも付くわけでない場合もある。
問題解決の方策を見つける力、社会資源を利用する力、周囲の理解と協力を得る力などを身につけることの支援が必要ではないのか。


ラビット 記
母の老人ホームで出た食事。思ったより盛りだくさんだ。