NHKの新しいドラマ「とめはねっ!」を見た。
書道少女のコミカルな書道学園ものみたいなものか。
中学時代に某大学主催の書道展で金賞に入賞したりしたが、これには良い思い出がない。
朝礼で、受賞を告げられたが聞こえないので知らん顔をしていたら周囲が騒ぎ始めて、やっと分かった。毎週朝礼は3年間、校長が何を話したのかまるで分からないまま卒業した。卒業式も分からないままだった。
中学時代は、1年生の時はまだ補聴器をしておらず、授業も最前列に座っても先生の言うことはさっぱり分からず、机の上に教科書の他に参考書と教師用参考書まで広げて自習状態だった。時々、教師用参考書にある事柄が黒板に書かれたりするのでふむふむと下線を引いていた。
人工内耳して初めて分かったが、人の声というのは、こえると脳の中に言葉がしみ込んで行く。聞こえることで頭の中でいろいろな考えが浮かぶ。思考の散歩が出来る。
小学校6年間、中学3年間、高校3年間、大学6年間、大学院3年間、教師の話は記憶に残らないまま過ぎて行った。膨大な時間が空白のまま流れて行った。
脳に言葉を聞いて刺激を受けなかったロスはとても大きい。
その代わりに、本は多読だった。小学校、中学校と週に10冊は本を借りまくって読んでばかりいた。
それでも読むことは聞くのと脳のインプットの割合が異なる。読む場合は文章の意味を考えてかなり頭の中でそしゃくしないと脳に入ってこない。
聞く方は違う。音のつながりが頭にそのまますーっと入って来てその意味を考えることができる。
書道は嫌いではないが、それをしていた頃の学生生活が空虚だったのを思い出すとどんよりとしてくる。
ラビット 記
書道少女のコミカルな書道学園ものみたいなものか。
中学時代に某大学主催の書道展で金賞に入賞したりしたが、これには良い思い出がない。
朝礼で、受賞を告げられたが聞こえないので知らん顔をしていたら周囲が騒ぎ始めて、やっと分かった。毎週朝礼は3年間、校長が何を話したのかまるで分からないまま卒業した。卒業式も分からないままだった。
中学時代は、1年生の時はまだ補聴器をしておらず、授業も最前列に座っても先生の言うことはさっぱり分からず、机の上に教科書の他に参考書と教師用参考書まで広げて自習状態だった。時々、教師用参考書にある事柄が黒板に書かれたりするのでふむふむと下線を引いていた。
人工内耳して初めて分かったが、人の声というのは、こえると脳の中に言葉がしみ込んで行く。聞こえることで頭の中でいろいろな考えが浮かぶ。思考の散歩が出来る。
小学校6年間、中学3年間、高校3年間、大学6年間、大学院3年間、教師の話は記憶に残らないまま過ぎて行った。膨大な時間が空白のまま流れて行った。
脳に言葉を聞いて刺激を受けなかったロスはとても大きい。
その代わりに、本は多読だった。小学校、中学校と週に10冊は本を借りまくって読んでばかりいた。
それでも読むことは聞くのと脳のインプットの割合が異なる。読む場合は文章の意味を考えてかなり頭の中でそしゃくしないと脳に入ってこない。
聞く方は違う。音のつながりが頭にそのまますーっと入って来てその意味を考えることができる。
書道は嫌いではないが、それをしていた頃の学生生活が空虚だったのを思い出すとどんよりとしてくる。
ラビット 記