難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

音声コミュニケーションの限界

2010年04月03日 09時48分19秒 | PHSから
難聴者は、補聴器や磁気ループなど補聴援助システムを使って音声コミュニケーションをする。

しかし、その人の難聴の特徴で聞こえの閾値が非常に狭い、高音域あるいは低音域、中音域に聴力の低下があると音声コミュニケーションに限界が生じる。つまり、良く聞き取れない。

まして、相手が早口だったり、周囲がうるさかったり、携帯のボリュウムが不足していたりすると聞き取れない。
話の必要性、会話の楽しさを知っていてもモチベーションは大きく減退する。

いくつかの大きな問題がある。
1)難聴者の音声コミュニケーションには限界があることを自分も社会も知らない、あるいは認めようとしない。限界を感じてもそのことをアピールしない。
音声は周囲に影響を受けやすい信号で人の耳はそれを補うような優れた機能を有している。しかし、難聴者はその機能を失った人たちだ。一部が損なわれても大きな機能低下があるのが聴覚だ。

2)限界難聴者は多い、1900万人の難聴者のうち自覚しない900万人を含めて大部分ではないか。
難聴を自覚しない難聴者は自ら障害の起きていること、その範囲、内容について自覚できない障害なのに知らされていない。
知らせ方も難しい。どこまで聞こえているのか、何が聞こえていないか分からないからだ。聞こえないことが端と思う社会と文化様式では知らせ方も難しい。味覚と同様、聞こえは言葉で表しにくい。味覚の方が共通体験が出来るから言葉の足りないところは補足できるだけまし。

3)補聴効果をあげるのは難しいこと。
早口でしゃべらない、周囲の静かなところで話をする、補聴器の適切なフィッティング、補聴援助システムの適切な組み合わせ、マイクの位置など多くの配慮と対応が必要になる。しかし、これらの配慮や環境を自分で要求するのは対応の複雑さ、機器等の専門知識が要求され、きわめて困難なことだ。

磁気ループのある会議で、補聴器で聞こえるからPC要約筆記はいらないのではないかと長く手話通訳派遣業務に関わってきた人が言う。
しかし、ある人の声や話し方は聞こえてもそうでない人の話は聞こえない、だからPC要約筆記を必要とするのであり、単純に考えないで欲しいと反論した。
普通の人はとっさにはこう反論できるだろうか。磁気ループを用意してもらうのも「お願い」しなければならず、主催者の合理的配慮の義務として要求できる難聴者は何人いるだろうか。


ラビット 記