難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

難聴者の避難体験

2011年04月03日 05時41分10秒 | 東北地方太平洋沖地震
栃木県に入った。

岩手県でも宮城県でも共通の避難体験があった。
「うちの方はいなかだから、地域の人たちに助けられた」ということだ。

こういう大災害では、情報保障だの要約筆記派遣だのは通用しない。
災害発生時に、隣近所の声の掛け合い、確認が行われるような地縁社会が障害者の命を救う。

「停電でチャイムも鳴らなず聞こえないので、ドアをどんどんと叩き続けて知らせてくれた」
「停電をラジオで聴いた友が隣町から水を車で渋滞する前の早朝届けてくれた。」
「村の班長さんが最初に一人暮らしの高齢者を先に回って安否確認してくれた。」
「停電の中、何度も津波の接近を知らせにきてくれた。」


情報通信機器についても要望が多い。
「(日頃からファックスで交信しているので)ファックスが命綱なのに電気が点くようになっても復旧がすごく遅かった。携帯電話が先立ったが皆持っていない」
「携帯に友からメールがあったときはすごく嬉しかった」


午前4時、河内PA通過。
午前5時、浦和インター降りる。
午前5時半、王子駅通過。


ラビット 記

どこかのPAに一時停止

2011年04月03日 01時46分15秒 | 東北地方太平洋沖地震

出発して2時間、まだ宮城県に入ったところか。仙台を過ぎたあたりだろうか。

宮城県亘理、志津川をそれぞれのグループが見てきたがその被害の状況、復興の様子はテレビ、新聞等では決して伝わらないものを感じて、ショックを受けた。

宮城県南部の亘理の港から数百メートルの何もない一面砂に覆われた地に立って感じたのは「なぜ自分はここにいるのか」ということだった。

車中から瓦礫の山を見て写真を撮りまくっていた宮城県の仲間ですら、声も出ない。

そこに漂う何かを感じるには視覚的な風景にショックが大きすぎた。
しかし、これは後からじわじわとそこに漂っていたものが何かに気づき始めると心の「折り合い」を付けるにはかなり長期間かかるだろう。
前もって警戒していたけれどもそれを遙かに越えている。
無防備にそこに入ってしまったのだ。


ラビット 記