昨夜協会のコミュニケーション対策部で「コミかるカフェ」で今の被災難聴者がどういう状況か、何を求めているのかについて報告した。
ラビット 記
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前回、東日本大震災発生以降、日本社会全体に見られた「解離」という心理現象について書いた。具体的な表出例としては、「原発事故報道を見たくない」という心理だ。
「それはそれ、これはこれ」と自分の精神の中にパーテーションを設けて、現実を見ないようにしたり、その場その場で態度を変えたりするのもその現れだ。
これはもともと、大きなダメージを受けたときに、心がそれ以上、崩壊するのを防ぐための救急措置である。いわゆる「尻尾を切って逃げるトカゲ」を思い浮かべてみるとわかりやすい。
先日も、「この人も解離か」と思わせる言動で話題になった政治家がいた。松本龍・前復興対策担当大臣である。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110711/277241/
香山リカ:「原発事故報道を見たくない」人が激増! ――心の防衛機構「解離」が指導者層にまで浸透している現状は「きわめて危険」
2011/06/23
香山リカ(かやまりか) [BPnet]
政治の不全にも、指導者層の「解離」が影響しているのか
もしかすると、脱・原発の動きが加速するヨーロッパを横目で見ながらその動きがなかなか社会化していかない日本は、国全体で「解離」を起こしているのかもしれない。
そういえば、毎日、東電の「ふくいちライブカメラ」で福島第一原発のリアルタイム映像を一日中ウォッチしながら、「どうしてもこれが地続きの場所で起きているとは思えない。廃墟SFか何かのワンシーンにしか見えない」と診察室で語った、ひきこもり気味の青年がいた。
わずか4か月前には、菅総理も枝野官房長官も自分たちが原発事故について議論したり会見するとは、想像もしていなかっただろう。もしかするといまだに、ふとした瞬間に「え、これって現実? 夢か何かじゃないの?」とリアリティーを見失うことがあるのではないだろうか。
これらも、「解離」のひとつである。
もう少し敷衍すると、こんな時期に政局に明け暮れる国会自体、いちばん強い「解離」を起こしていると考えることも可能だ。
日本社会全体で起きている「解離」がどのように表出しているか、次回も考えてみたい。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110621/275006/?P=5&ST=rebuild