あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

百レボと愉快な仲間たち 3

2015-08-11 | 


ホシコタケノリというのがフルネームだが、星の子と書いて星子。
すごい苗字だな。
年のころは30代半ば。長身にスキンヘッドで作務衣なんぞ着ているのでそのまま坊さんで通りそうだ。
今回は彼が百レボでどかーんとやっつけられ、その勢いで蒲生の里へ百レボの著者、伯宮さんを訪れた。
ゴールデンウィークを利用して奥さんと2歳になる娘、そして友達の小正と4人で東京から車で来て、そこに僕が合流した。
星子そして小正は大学時代からの友達だそうで、ぶっとんだ和尚のような星子に対しイケメンで普通にインテリっぽい小正の組み合わせがよい。
聞くと星子は人の体を治す仕事を、小正は人に物を教える仕事をしていると。
なるほどね、そんな感じがするわ。
初対面だが西やんから繋がってきているので話は早い。
互いに遠慮をすることなく、深い話がバンバンできる。
昨日から一部始終祭りを見ている星子と小正がいろいろと説明をしてくれる。
800年以上続いている祭りで、神子と呼ばれる3人の子供達を神様の使いとして祭りを進める、などなど。
二人ともにスピリチュアル的なものも感じるようで、祭りの一環でお供え物をした時には神様が降りてきたのを肌で感じたそうな。





そんな話をしていたら渡御が出る、神子や神輿が出るというので近くへ行ってみた。
その時は知らなかったが、どうやらこれが祭りのクライマックスだったらしい。
神輿のある拝殿では巫女さんとか神主さんが何やら儀式をやっている。
近くと言っても距離は十数メートルは離れていたのだが、そこにいた僕はその儀式の時に出た『気』に打たれてフラフラになりぶっ倒れそうになった。
ただでさえ9年ぶりの日本で、その辺の神社に行っただけで手がピリピリと痺れるぐらい『気』に対して敏感になっているのである。
それが800年も続いている本物の祭りを目の当たりにして、すさまじいばかりの気に当たってしまった。
こんな感覚は、昔チベットのお寺に行って仏像を見て、あの独特の目に吸い込まれぶっとんでしまったが、それ以来だ。
星子も小正もやはり同じように感じていたらしい。
「ダメだこりゃ、何か飲まなきゃ正気を保てないや」というところで意見が合い、とりあえずビールだなということで意気投合、一致団結でビールを求めて神社を一時離れた。





このタイミングで星子が百レボの筆者、伯宮さんと連絡を取り合流。
星子たちはこの前日にも会っているのだが、僕は初対面である。
年は僕よりも少し上ぐらいの素朴な感じの人だ。
あの本の内容からして一回り、もしかしたら二回りぐらい上の人を想像していたのだが、思っていたよりも若い。
はあ、この人があの本を書いちゃったのか、すごいな。
伯宮さんの奥さんの祐代さんとも会った。着物を着ているのはお祭りだからか、素敵な人だ。
聞くと、日野は祐代さんの出身地だそうで、北関東の方に住んでいたのだが最近こちらへ移り住んだと。
先ずは何はともあれみんなでビールで乾杯。
ビールを一気飲みして、やっと人心地ついた。
そこからはお喋りをして屋台の物を食べビールを飲みそぞろ歩きをして、という具合に祭りを楽しむモードに切り替わった。
星子は以前から地球祭りというのを考えていて、百レボを読んでスパークしたそうな。
「あの本は僕のイメージと全く一緒なんです。あれのラストは僕が書きました」などという言葉を筆者本人の目の前で話してしまうところがすごい。
僕も伯宮さんに感想を求められたが上手く言葉にできずに、なぜか話題を変えてしまった。
深く感動した本の筆者に会えるなんてそうそうあるものではない、ましてやニュージーランドに住む身である。
何故もっとあの時にもっと百レボの事について話さなかったのか、それは自分でも分からない。
本についての話はあまりできなかったが、それ以外にいろいろと話もできたので、まあそういうものだったのだろう。





来る時にはゆっくり見られなかった屋台やお店も覗く。
ちょっと気になった木彫りの工芸品を見ていると祐代さんが来て「うちの父です」と紹介をした。
ああ、こういうのは偶然ではなく、なるようになっているのだなと、気になっていた勾玉の形をしたネックレスを女房に買った。
祭りの行列が通りを通る。
竹の棒で地面をバンバンと叩きながら「やーれ、やーれ」という掛け声をかけながら街を練り歩く。
星子がその掛け声に合わせて「やーれ、やーれ」と言い始めた。
そうか、祭りは見るものではなく参加するものだな。
僕も自然と声を出した。
声を出すと不思議な事に一体感という物が感じられる。
ブラブラと歩きながら神社へ戻る途中で、祐代さんの親戚を紹介されて曳山に乗せてくれるというので行ってみた。
順番を待つ間にコップを渡され日本酒を注がれ乾杯をして、何を話したのか全く覚えていないが妙に盛り上がり、曳山の事なぞすっかり忘れてしまった。
周りで笛と太鼓の祭囃子が速いリズムで鳴り響く。
この音楽がこれまたヤバイ。ヤバイという言葉はあまり使いたくないけれどヤバイ。
エンドレスで延々と同じ調子で続くのだが、これが妙に感覚を麻痺させるのか、夢うつつにするのか、現実離れした感覚に人を酔わせる。
神社という環境が持つ気、延々と流れる音楽、そこで行われる人間の営み、当たり前のように出される酒、仲間との語り合い。
全てが絡み合い、僕はすっかり祭りに酔ってしまった。





祭りも落ち着いてきた夕方。
そろそろ帰ろうかという時分に小正が言い出した。
「神社の裏へ行ってみませんか?本当に大切なものは隠してあるんですよ。簡単に人目に触れられないように。何があるか分からないけど行ってみましょうよ」
全員異存なし。小正を先頭に星子、伯宮さん、祐代さん、そして僕の5人は神社の裏に向かった。
ナルホドよく見ると、裏へ続く踏み跡が壁に沿って続いている。
そこを抜けて神社の間裏に廻ってみると、何やら立っている。
近づいてみるとそれは五角形の木の柱だった。
「これがご神体だあ」
見るとその前に大幣(おおぬさ)と呼ばれる神道の道具が5本。
そのうち1本が倒れていた。
小正がそれをなにげなく直した。
ああ、これをするためにここに呼ばれて来たのだな。
ご神体をよく見ると神様の名前が書いてある。
どうやらここに祭ってある神様は五人、そして居合わせた僕らも五人。
5人そろってご神体にお祈りをする。
近くには大きな木があり、白いヒラヒラが貼ってある。
これがご神木なんだな、ご神木にもお祈りを。
ご神体のある場所はは特別な場所ではなく、近くを通る車も見える。
ただ向こう側からは茂みに覆われ、言われなければ気がつかないだろう。
本当に大切なものはすぐ近くにあるものなのだ。





そこで僕ははっきりと感じた。
自分が日本にやってきた理由を。
それはこの場に居合わせるために来たのだと。
もちろんこれだけが全てではなく、家族に会ったりトークライブをやったり友達に会うというのも大切なのだが、この場に来るというのはある意味使命のようなもので自分がやるべき事の一つなのだと。
この場にこうやって僕ら5人が集まるのは誰が欠けてもありえなかったことだ。
伯宮さんがいればこそ、百レボがあり、心を震わせた人が集まった。
祐代さんがいればこそ、この日野という街に皆が集まった。
行動力のある星子がいればこそ、このタイミングで伯宮さんに会いに行こうとなった。
霊性の強い小正がいればこそ、神社の裏をお参りすることになった。
そして僕がいたから星子と小正は百レボに出会い、こういう流れとなった。
誰が偉いという話ではなく、皆がそれぞれに個性を生かし、一つになった。
大きな流れの中で自分の役割という物をはっきりと感じた瞬間でもあった。
全てが繋がった。
最後の最後まで予定が決まらずこの日だけポッカリ空いていたことも、西やんとのつながりも、クィーンズタウンの家にこの本があったことも、偶然は何一つなく全てが起こるべくして起こり、今ここに自分がいる。
ああ、自分の道は何も間違っていない。
今向いている方向にこのまま進んでいけばいいのだ。
包み込まれる母なる大地の愛とはちょっと違う、何か大きな力で背中を押され自分の足で前に進めと示唆されている。
あえて言うなら大いなる父のごとく、そんなイメージが心に浮かんだ。




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百レボと愉快な仲間たち 2

2015-08-10 | 


早朝、白髭神社の湖に立つ鳥居と朝日を拝み、旅を続ける。
おっさんに駅まで送ってもらい、サンダーバードという男の子が喜びそうな名前の特急で京都へ。
京都からは東海道線で草津まで、わりと混んでいる通勤電車で20分ほど。
草津から草津線に乗り換えて貴生川まで。
この辺りからだんだんローカル線っぽくなっていき、旅情も盛り上がる。いいぞいいぞ。
この時点で日本に着いてから2週間ほど経っていたのだが、それまでは自分が住んでいた場所であったり、友達を訪ねたり、ある程度知っていた場所を巡っていた。
だがこれから尋ねる日野という場所は縁もゆかりも無く、どこにあるかも知らない。
それにこれから会う人も西やんという友達のそのまた友達、そして読んだ本の筆者ももちろん面識がない、という具合に分からないことづくめだ。
だが分からない展開の中で妙に旅を楽しんでいる自分がいた。



貴生川という駅についてそこからは近江鉄道という私鉄に乗り換える。JRパスは使えない。
貴生川駅で信楽高原鉄道という看板を見た。
そうか信楽(しがらき)という場所はこの辺りなんだな。
僕が乗る近江鉄道は信楽鉄道とは反対側。
看板に沿ってホームへ向かうと長蛇の列である。
今日は日野のお祭りだからな、きっと観光客で混みあうんだろうか。
自動券売機などとしゃれたものはなく改札兼窓口で駅員がせっせと切符を売り、その場ではさみを入れている。
「こんなに並んでいたら出発時間に間に合わないじゃないか」
近くにいたおじさんがイライラしながらしゃべっているのが聞こえた。
確かに電車の出発時間は迫っているし、これを逃せば次の電車は1時間後だ。
都会で時間通りにキチキチと電車が出る感覚だとそうなんだろうが、ここは田舎で目の前に電車が停まっているのが見える。
別の誰かがおじさんに言った。
「大丈夫、全員乗るまで待ってくれますよ。」
そうだよな、そういうノリって大切だよな。
適度なユルさと言うのか、時間に縛られない余裕とでも言うのか、でもそれは過密な都会では通用しない。
出発の時間を多少越えて改札に人がいなくなり電車は駅を出た。
貴生川から日野までは30分ほどの行程だ。
電化されているが線路は単線、いかにもというローカル線でこういうのは大好きである。
かなり混んでいた車内も途中の駅で中学生の一団が降りると座るスペースも出てきた。
春の日差しが降り注ぐ中、電車は田畑の中をガタゴトと走る。





日野駅に着くと乗客のほとんど、と言っても30人ぐらいだがそこで降りてしまった。
僕も降りて今日会うはずの星子に電話をいれた。
大きな荷物があることを伝えると、彼らが投宿している旅館に荷物を置いてから綿向神社に来てくれと、旅館から神社までは歩いて20分ぐらいなのでそこで落ち合おうと。
ふむ、そうか、次のチェックポイントは旅館だな。
駅を出たとたんに町中祭り一色で、どこもかしこも観光客であふれている、そんなイメージが少なからずあったのだが駅前はガランとしてこの町で祭りをやっているという雰囲気ではない。
駅を出ると地元のボランティアガイドなんだろうな、はっぴを着たおじさんたちがさっき降りた乗客と話をしている。
どうやらさっき電車にのって来た人達の大半は祭りに行くのではなく、近くに山歩きに行くようだ。
ボランティアガイドの人に話を聞くと、街の地図を渡され祭りをやっている地区までバスで15分ぐらいかかると。
のんびりとバスを待ちながら、僕はこの奇妙な旅に想いをめぐらせていた。
さて今日はこれからどうなるんだろう。
何かは分からないが面白いことが始まりそうな予感がする。
先が見えなくて、とりあえず一つ一つの行動をワクワクしながらこなしていく愉しみ。
まるでドラクエなどのロールプレイングゲームを生身で実践しているようで実に愉快である。



バスで15分ほど揺られて教えられたバス停で降り歩き始めた。
♪知らない街を歩いてみたい、という唄があったがまさにそれ。
キョロキョロしながら旅館を探す。
バス停から先は車の乗り入れ禁止で、ここまで来ると祭りの雰囲気があちこちで感じられる。
旅館に着くとすでに話がついているようで、彼らが泊まっている部屋に通された。
会った事もない人の部屋を覗くようで少々気が引けたが、荷物を下ろし簡単に着替えを済ませ旅館を出た。
旅館から神社までの通りは昔の造りの家が多く、中には家を開放して内部を見せてくれる家もある。
9年ぶりに日本に帰ってきた僕には全てが物珍しく、それでいてどこか懐かしい、そんな想いが溢れる。
縁台に腰掛けてお茶をご馳走になりおばあさんの話を聞いてと、あーやっぱり久しぶりの日本はいいなあ。
いかんいかんそんな事をしていたら遅くなってしまう。先へ進まねば。
神社の近くまで来ると屋台が並び人も増え一気に祭りの雰囲気が盛り上がる。
そうそうこの感じ、ニュージーランドでの暮らしが長く、忘れかけていた日本のお祭りの感覚がよみがえる。
しみじみとそんなことを感じていたら、遅くなった僕を心配したのか星子から電話がかかってきて、その数分後に彼らと合流した。




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百レボと愉快な仲間たち 1

2015-08-08 | 
きっかけは去年の夏、クィーンズタウンのフラットメイトのタカに借りた本からだった。
『百姓レボリューション』というタイトルの本で、僕はその本を数日で貪り読んでしまった。
本でこれだけの感銘を受けたのは久しぶりだ。
もう10年ぐらい前になるか『聖なる予言』を読んだ時と同じぐらいのインパクトの強さだった。
ストーリーは近未来、大地震が起こり都市部は崩壊して田舎に農業を基盤とする村社会が出来上がっていくというものだ。
いわゆるパニック物ではなく、きっかけはそれだがそこから人間はどう生きていくか、という形でドラマは進む。
自分自身が向かっている自給自足の考え、有り余る物に感謝の心を忘れた人間への警鐘、スピリチュアルに溺れた人の弱さ、そしてこれからの未来への道、それらが全てリンクした。
本は大手出版社を通しているわけではなく、自費出版というか自己出版というか、本を注文すると発送までも筆者本人がやってしまうという自己完結型システムなのである。



この本の事をブログで書いたら、飛びついたのが西やんだった。
西やんとの出会いはネットを通じてだった。
もう5,6年ぐらい前になるか、あるソーシャルネットコミュニティの中で場が荒れた時があり僕も周りもうんざりしていたのだが、そこに西やんが現れて荒らしているヤツを電光石火で一刀両断。
そこから友達つきあいが始まった。
ニュージーランドと日本、数千キロも離れているが心で通ずるものがある。
それは分かる人には分かるものであり、毎日顔を見て会っていても感じない人もいる。
ネットという道具を利用して僕らは友好を暖めやりとりが続いた。
西やんも何か閃いたのだろう、すぐさま『百姓レボリューション』略して『百レボ』を注文して読み、感動して友達に広めた。
西やんの人脈は広く、あっというまに百レボが読まれ広まり、注文が殺到して筆者がびっくりするということにもなった。
そんな西やんと、4月に僕が日本に行った時に東京で会おうということになった。
西やんが指定した場所は東京のど真ん中、首相官邸のそばのとある神社だった。
そこは彼の会社のそばで、忙しい中でも2時間お昼休みがとれたと言う。
僕は彼がサラリーマンだということを知っていたが、どの会社で何をやっているのかは全く知らなかった。
聞くとNTTドコモ関連のITエンジニアだと、多分それってサラリーマンの社会ではエリートなのかもしれないけど、ぼくにとっては肩書きなどはどうでもよく、西やんは友達の西やんなのである。
その時は会社の上司であり同志でもある後藤さん(通称ごっちゃん)も交え食事をしながら話をした。
お互いに初対面だがかなり昔からのつきあいのようで、ぎこちなさは全く無く話がはずむ。
心の奥で繋がっている者とはそういうものだ。
もっと話がしたいな、と互いに思ったがそこはそれ、相手は超忙しい会社員である。
長めのお昼休みが終わる頃、神社にお参りをして再会を約束して別れた。



今回の旅ではプランは漠然と立てておいて、後は場の成り行きに任せようと思っていた。
自分を高い状態というか好い状態で保つようにしておけば、会える人とか会うべき人には会えるし、全てが面白い方向に転がっていくものだ。
日本に着いてからも色々な人と連絡を取り、ライブの日程が次々に決まっていく。
まるでジグソーパズルのピースがあっちこっちから飛んできて自分の前でピタリと合い、そうやって道が出来ていくがごとく、面白いようにスケジュールが埋まっていった。
何年も前にクィーンズタウンで思ったのだが、『次に日本に帰る時には人に会うので忙しくなりそうだなあ』それがそのまま現実になっていた。
思考は現実化するのである。
確かに忙しさはあるがそれがイヤな忙しさでなく、毎回毎回がとても充実しており、いくら忙しくても疲れない忙しさだ。
そんな調子で旅を続けて行ったのだが、どうしても日程が決まらない所があった。
早いところでは2週間ぐらい先から予定が埋まっていったのだが、ゴールデンウィークの中程の所だけがポッカリと1日だけ空いていた。
なんだろなこれは、だけどこれは意味があるんだろうか。
そんな気持ちで旅を続けていた時、西やんのフェイスブックの書き込みを見つけた。
西やんの友達が百レボに感化され、ゴールデンウィークに筆者に会いに蒲生の里、琵琶湖の近くへ行く。
ちょうどその時は神社のお祭りがあり、同行者を求むと。
何気なく「ちょうどその頃は琵琶湖の辺りにいるんだよね」とコメントを書いたら、あれよあれよという具合に話がまとまり、何の面識もない人達とお祭りで合流という事になった。
面識はないが西やんの紹介なので悪い方にはならないだろう、それよりもひょっとすると面白いことになるかもしれないな。
そんな事を考えながらも行く先々で友達と遭い、時間は飛ぶように過ぎていった。



綿密な計画を立てないという旅だが、もう一つ自分に課した課題は下調べを一切しない。
下調べをするとそれにそって行動をしなければいけない、というような観念ができる。
どこそこへ行くのならこれを食べなきゃ、あそこへ行ったらあれは絶対やらなきゃ、というように。
せっかくそこへ行くのなら最高の思いをしたい。
その気持ちは僕にもあるが、あまりそれにこだわりすぎるのもどうかと思う。
その通りに行かなかったら損をするような気分になったり腹を立てたり、本当に大切なものが見えなくなってしまうこともあろう。
今やネットのおかげで情報というものは何時でもどこでも手に入る。
僕はこのご時世に、あえて情報は現地調達、下調べなしというようにした。
現地に行き人と話をして尋ねたり、お店で聞いたり、現地についてからネットで調べる事もあったが、基本的に現場で調達しようと考えた。
徹底的に自分の勘と運を信じてみようと。
意識したのは、自分を高めているようこころがけた。
自分を良い状態に保っていれば全てが上手く行き、それが自分で味わえる最高の旅になるのだろうと。
その結果、名物を食いっぱぐれたとしても仕方あるまい。
自分の判断そして行動による結果は全て自分の責任である。



琵琶湖の辺りは今まで全く縁がなく土地勘もない。
日野に行くという事は数日前に決まったが、漠然と琵琶湖の近くということだけを知りながら、僕は北陸から琵琶
湖へ向かった。
できたばかりのきれいだが旅情のかけらもない北陸新幹線で金沢まで行き、特急で敦賀まで。
名前だけは聞いたことがある土地を通過する。
そこから湖西線で琵琶湖のほとりの近江高島へ。
琵琶湖では友達のおっさんがキャンプ場で管理人をしているというので、寄る事になった。
そこは琵琶湖の西側、白髭神社という神社が近くにある。
そこに行ってから調べてみるとどうやら日野は琵琶湖の東側、地図で見ると直線距離では近いが琵琶湖をぐるっと周らなくてはならない。
まあいい。鉄道は乗り放題だし、どうせ行き当たりばったりの旅だ。
なりゆきに身を任せるのもなかなか楽しい。
キャンプ場にはギターもあり即興の弾き語りとマオリの唄で旧友を暖め新しい友達もでき、酒に溺れてしまった。ブクブクブク。

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北海道にて

2015-06-08 | 
気が付けばブログの更新がずいぶんとおろそかになっていた。
前回の話は美瑛の山小屋宅に着いたところだったな。
そう、あれからいろいろありましたがな。
まあ大きく分けて二つの旅かな。
一つはソウルブラザー山小屋と道東を巡る旅。
もう一つは北海道縦断一人旅。

山小屋との道東の旅は面白かったさ。
なんといっても現地ガイド付きだからね。
ガイドさんに行先、宿泊、食事など全部お任せ。
いやあ、お客さんて楽だな。
5日ほどそうやって道東を巡り、緊急ライブもこなし北海道の旅第一部が終わったのが5月22日。

それからは一人で山小屋の車(通称リトル山小屋)でニセコ近辺、札幌界隈、そして旧友JCに会いに中頓別、ついでに宗谷岬まで行って美瑛に帰って来たのが6月1日。
今は山小屋宅でのんびりと過ごしている。
今回の話を書こうと思ったのだが、簡単に書ける代物でない。
ここはじっくりと書こうと思っているので、あおしろみどりくろファンの皆様、ゆっくりと待っていてください。
いずれ忘れたころに発表します。

今後の予定は10日に旭川から東京へ飛行機で一気に移動。
日本の国内線に乗るのも初めてだ。ワクワク。
東京では三日ぐらい滞在。
その後は実家の静岡で1週間ぐらい滞在。
また東京で人に会い、その後ニュージーランドに帰国という流れかな。
ちなみにまだチケットを取っていないけど21日か24日の飛行機になるでしょう。
そこが安いので。
東京でもライブをするのかなと思ったけど、どうやらそうでもないらしい。
それならそれでそういう流れなのでしょう。
東京では主に夜に人に会うので昼間は時間がある。
ジブリ美術館に行こうかな。
もう一度、寄席に行ってもいいか。
高尾山に登っちゃうのもありかね。
というわけで東京近辺で昼間空いているという人、いたらご連絡くださいな。


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北海道へやってきた。

2015-05-18 | 
時間軸がずれてしまったが、北海道までの道のりを簡単に記す。



静岡から富士山を眺めつつ東海道新幹線で東京へ。
考えてみたら今回富士山を見るのは初めてだ。
実家の子供部屋からは窓を開ければ富士山が見えた。
そこに住む人には当たり前の景色が、他所から来た人には感動の景色となる。
当たり前の景色を当たり前と取るか、景色と言えど一期一会の気持ちで見るか。
答えは常に自分の心の中にある。



この日の朝に東北で地震があり鉄道ダイヤが乱れた。
考えてみたら新幹線に乗っている時に大地震が来たら怖いよな。
仙台駅で足止めを食らったものの、青森まで新幹線はやぶさ号。
そこから先は特急白鳥で青函トンネルを超えて北海道へ。





函館では知人に世話になり函館観光、そして温泉に浸かり黒松内へ。
黒松内の友人は二十数年前に一緒にパトロールをした奴で、会うのも20年ぶり。
昔話に花が咲く。
黒松内からはローカル線でニセコを通過。
ニセコにはこの後で戻ってくるのである。
小樽で日本海を眺め、あちこち飛び回っているなあ、などと考えるうちに札幌到着。





札幌ではFullmarksの担当のA氏と会った。
僕はこの会社から長いことサポートを受けていて、この会社の人達に会う事も今回の帰国の大事な要件の一つなのだ。
サッポロファクトリーという馬鹿でかいショッピングモールの一角にFullmarks サッポロファクトリー店があり、おしゃれで場違いな場所にオドオドとA氏を尋ねた。
A氏とは初めて会ったのだが、数分で旧知の仲のような関係になり、その晩は一緒に飲んでいた。
芯が繋がっている人とは話が速くていいな。
札幌では地元のオジサン達が行くような店で飲みはじめ、スーツ姿のオジサンたちの中で一人だけ明るい緑色が見事にワンポイントだったので写真なんぞ撮ってもらった。
すすきのにある山ガイドがやっている宿Sappolodgeを紹介してもらい、その晩はその宿でしこたまビールを飲み、酔っぱらった勢いで札幌ライブ決定。
夜が更けてから、ススキノの街に操出しラーメンを食っただけで、そのまま宿に戻り寝た。
北の国一の歓楽街なのだが女の子とは一切縁がなく、次の日の早朝に水商売風の女の子があくびをしながら帰る姿を見かけたぐらいが唯一の接点だった。





札幌からは特急とローカル線を乗りつないで美瑛のそばの美馬牛駅へ。
3週間乗り放題だった鉄道の旅もここで終了。
一生でこれ以上ない、というぐらいに汽車に乗ったな。
美馬牛駅から徒歩一分の場所にガイドの山小屋がある。
通称『山小屋さん』と呼ばれているこの男のことも、どこからどこまで書けばいいのかわからないが、簡単に言えばソウルブラザー。
兄弟である。
魂の繋がりを持つ人とは、時には肉親以上の関係になりうる。
遠い親戚より、はるかに近い存在だろう。
ニュージーランドの僕の家に転がり込み、家族同様の生活をしたことも何回もあり、今度は僕が奴の家に来た。
目が回るほど忙しかった旅も一段落。
さしづめ前半終了、といったところか。





これからはここを拠点に北海道を廻る。
はてさてこれからどうなることやら。
まだまだ楽しいことは続きそうな予感がする。


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北海道ライブ決定!

2015-05-17 | 
北海道へ来て数日経つが、その話はおいおい書くとして今回はライブのお知らせ。
あおしろみどりくろジャパンツアーも本州での公演を大盛況で終えて、北海道公演の日程が決まっていく。
ニセコは前々から決まっていたが、札幌での話はつい先日、ビールを飲みながら急遽決定。
常に現在進行形なのである。

あおしろみどりくろ@ニセコ
北村聖 トークライブ ニュージーランド成熟した大人の社会に学ぶこと。そしてこれからの日本
5月24日 6時より
校舎の宿 カリンパ二 ニセコ藤山

あおしろみどりくろ@札幌
「あの聖がやってくる!ニュージーランドのガイドハイライフ」
5月27日 夜8時
札幌のゲストハウス Sappolodge


そして業務連絡
自分が使っている携帯がここ美瑛では圏外なので電話はこちら ガイドの山小屋 0166-95-2277まで。

本州でも楽しかったが、北海道も楽しくなりそうだぜ。
よろしくベイベー(死語)
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思いついて出雲へ。

2015-05-12 | 
お伊勢参りをしながら思った。
伊勢神宮の神様は天照大御神なんだよな。
以前、自分の守護神様を教えてもらったのだが、守護神は大国主命、一般には大黒天。
大黒様がいるのは伊勢神宮ではなく出雲大社なのだ。
ううむ、成行きとは言え天照大神にお参りして守護神大黒様をお参りしないのは義理にかける。
しかも今ならJRパスが使える、これはチャンスか。
というわけで伊勢神宮と出雲大社という日本のトップ2を、間にトークライブを挟んで二日で廻ってしまった。

津から名古屋までは早朝の鈍行、名古屋から岡山までは新幹線。

岡山からは特急やくも、約3時間で出雲へ。


お昼過ぎには着いた。


大社というだけあってでっかいぞ。


普段はここから中には入れないようだが、この日は特別にこの中まで入れた。なんとなくと思ったのは、そういうことだったのだな。


いつもお世話になっている守護神様にたっぷりとお祈りしてきました。


今回の旅で数々の神社を廻ってきたが、不思議なことにお寺は一つも行っていない。そういうものなのか。


昔使っていた電車もあり。


日本海に沈む夕日も眺め。






翌日は再び旅の空。名前だけ聞いたことがある大仙も見つつ。


岡山では乗り換えの間に市電に乗ってプチ観光。


ほう、あれが岡山城か。


チンチン電車のある風景っていいな。


再び新幹線に乗って。


通過待ちの時に姫路城も見えた。


途中下車で昔の友達に会い、2週間ぶりに実家のある清水へ。


日本はきれいな国だ。


日本はおいしい国だ。


サクラエビのかき揚げも。


生シラスに生サクラエビに近海魚にマグロも。

地元でほっとしたのも束の間。
明日から再び旅へ出る。JRパス万歳。
北海道のみんな、待ってろよ~。
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信州から伊勢へ

2015-05-10 | 
テストでやってみたら上手くいったので調子に乗って載せる。


早朝の松本をピンクのママチャリでお散歩。


お城にも登りました。


そして旅は続く。


その日の午後はここ。


その翌日はお伊勢参り。昨日のことです。


夜はライブ。


ここでやりました。
この時はカメラの調子が悪くて撮れなかったんだよね。


そして今日こいつの中で写真を取り入れたというわけなのだ。
さて僕は今、どこにいるのでしょう。

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写真

2015-05-10 | 
日本へ来てから買った中古のパソコンを何とか使えるようになった。
まだ使いこなすというにはほど遠いし、なんとなくそれはこの先も来そうにないのだが、とにかくある程度は使えるようになった。
今日は新幹線の中で、写真の取り入れなぞをやってみた。
そんなところでパソコンなんぞをいじっていると、まるで自分があたかもできる人間のような気分になり、自分に酔ってしまう。バカだね。
写真をある程度取り入れたので、テストをかねてアップする。


ワイドビューしなので松本へ。


木曽路を行く。


はやぴが迎えに来てくれて松本大学へ。


こんな感じで講義をした。


トークライブ特別バージョンだな。


講義が終わったら松本へ戻り・・・


夜はここです。


馬刺し三昧。馬刺し万歳。
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ライブ@津

2015-05-06 | 
ジャパンツアーも順調に行程が進む。
昨日は大阪天満橋のとあるスペースで、コラボというのかみんなでと言うのか、とにかく人が集った。
このライブも簡単には書けないので、いずれ書くとしよう。
ネタがどんどん貯まっていくな。

スケジュールをこなしながらも新たにスケジュールが決まっていく。
5月9日 三重県津市の喫茶店えくぼにて7時からライブを行う。
これが決まったいきさつも、最初は昔の仕事仲間に声をかけられ、お役所を巻き込んでイベントという形でやろうとしたがうまく話がまとまらず、「ダメかな、縁がなかったか」と思ったところに、この喫茶店のママさんが場所を提供してくれた。
ちなみに僕はまだこのママさんとは面識がない。
ネット上で何度かメッセージをやりとりしただけだが、ご丁寧にポスターも作ってくれた。
人のご縁の有りがたさよ。
そうやって人の好意に支えられてツアーは進む。
自分は感謝をしつつ、やるべきことをやるのみ。
その繰り返しだ。
こうやって三重県に呼ばれるのも何か流れ。
せっかくだからお伊勢参りでもしようかな。

というわけで三重県近辺にお住まいの皆さん。
九日は津へお越しください。
三重県津市久居場町34
喫茶えくぼ
電話059-256-5111




コメント (1)
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