人として大切なものに、物事を分け与える、シェアというものがある。
自分さえ良ければよい、というエゴとは対角の位置にあると思う。
まだ小学生だったころ、お正月になるとお年玉をもらった。
ボクと兄は毎年、市の福祉課へ行き、お年玉の一割、そして家で1円とか5円玉を貯めたお金を寄付していた。
「オマエはこうやってお年玉をもらってるが世の中にはお年玉を貰えない人もいるんだぞ。そういう人達のためにオマエが自分で寄付してこい」
親父の声は絶対であり、物心ついた時からやっていたので、我が家では当たり前の行事となっていた。
自分が損をするという想いを感じたことはなく、かといって具体的に誰かにお金が渡るのを考えるのでもなく、ごくごく当たり前にいつものことだからという感じで、僕達兄弟はお年玉の一割を寄付のお金としていた。
市の職員とか他の大人達はえらいねえと誉めてくれたが、何故誉められるのかよく分かっていなかった。
こうやって自然にシェアというものを習ったのだろう。
教育とはこういうことだ。
お金というエネルギーを他の人に分け与える、という行為は時には偽善的になりがちだが、当たり前のこととして経験をさせた父親に今では感謝をしている。
父親は強烈な人で面白いエピソードもたくさんある。
今はまだ書かないが、いずれ死んだらブログのネタにしようと思っている。
お金というものはエネルギーの一つである。
これだって奪う人はいるし、分け与える人もいる。
昔、まだ20代前半の時の話である。
アルバイト先に40代の気のいい先輩がいた。
ボクは可愛がってもらい、しょっちゅう飲みに連れて行ってもらった。
若いときというのは時間はいくらでもあるが金は無いもので、その人にはいつもおごってもらっていた。
あまりにいつもおごってもらうのも申し訳ないので、たまにはボクがおごりますと言うとその人はこう言った。
「若いときというのはお金がないものだ。オレがオマエ位の年の時には先輩におごって貰った。その先輩はオレにこう言った。『オマエがある程度年をとって余裕ができたら若いヤツに飲ませてやれ。そうやって次の世代に廻っていけばいいんだ』だからオマエは遠慮なく飲め。それで金に余裕が出来たときはオマエが若い衆におごる番だ」
ボクはその言葉を肝に命じた。
今、ボクは40を越え、とても裕福とは言えないが若いヤツらに飲ませてやれるくらいの余裕ができた。
若い世代に酒をふるまう機会も増えた。もちろんこの話をしながらである。
こうやってエネルギーは人から人へ流れる。
理想の形ではなかろうか。
去年の事である。
あるお客さんをテアナウのホテルまで送り届ける仕事があった。
ボクの仕事はチェックインまでである。
ホテルでチェックインした後、ポーターが忙しそうだったのでボクが部屋まで案内した。
部屋のドアを開けようとしたが鍵が上手く回らない。合鍵をもらってもダメ。
ホテルのスタッフに来てもらってやっと開いた始末だ。
お客さんは納得しない様子である。
そりゃそうだ。ぼくだってそんな部屋は使いたくない。
お客さんに待ってもらって、レセプションに交渉に行く。
幸い部屋の空きはあり、すぐに別の部屋を用意してくれた。
しかも一回り大きい部屋だ。鍵も問題なく回る。
お客さんは大喜びで、立ち去ろうとしたボクに$20のチップをくれた。
「ありがとうございます。では遠慮なくいただきます。それではよい旅を」
レセプションを通るときに先ほど部屋を用意してくれたスタッフがいた。
「さっきはありがとう。お客さんも大喜びだったよ。これはお客さんから」
ボクは$20のうちの$10を彼女に手渡した。
彼女も期待をしていなかったのだろう。喜んで受け取ってくれた。お金をもらって喜ばない人はいない。
ぼくのテーマは『みんなハッピー』である。
自分とお客さんだけがハッピーになるよりも、それをやってくれたホテルのスタッフも含めてハッピーになりたい。
こうやって幸せのバイブレーションは広がる。
帰りにビールを買ってフラットメイトのエーちゃんにも幸せのおすそ分けだ。
こうやって幸せの輪は広まっていく。
その晩はもちろん美味いビールが飲めた。
シェアの対角にあるのはエゴである。
『自分さえ良ければいい』というのがエゴの本質だ。
『自分さえ良ければいい』という想いは『自分の家族さえ良ければいい』となり『自分の友達や親戚さえ良ければいい』となる。
社会では『自分の会社や所属する団体さえ良ければいい』となり、最後に『自分の国さえ良ければいい』となる。
お互いにそう思っているので戦争となる。
戦争を産んでいるのはエゴである。
父親はことあるごとに「自分さえ良ければいいと思うな」と言っていた。
エゴの克服、これが一番大切なことで一番難しいことだが、ボクが小さいときからそれを教育していた父親をぼくは尊敬する。
ぼくも40も越えて、やっとエゴというものが見えはじめた。
エゴが見えたらそれを受け容れて忘れ去る。
その先には『みんなハッピー』という夢のような世界が待っている。
それを選ぶかどうかは自分だ。
自分さえ良ければよい、というエゴとは対角の位置にあると思う。
まだ小学生だったころ、お正月になるとお年玉をもらった。
ボクと兄は毎年、市の福祉課へ行き、お年玉の一割、そして家で1円とか5円玉を貯めたお金を寄付していた。
「オマエはこうやってお年玉をもらってるが世の中にはお年玉を貰えない人もいるんだぞ。そういう人達のためにオマエが自分で寄付してこい」
親父の声は絶対であり、物心ついた時からやっていたので、我が家では当たり前の行事となっていた。
自分が損をするという想いを感じたことはなく、かといって具体的に誰かにお金が渡るのを考えるのでもなく、ごくごく当たり前にいつものことだからという感じで、僕達兄弟はお年玉の一割を寄付のお金としていた。
市の職員とか他の大人達はえらいねえと誉めてくれたが、何故誉められるのかよく分かっていなかった。
こうやって自然にシェアというものを習ったのだろう。
教育とはこういうことだ。
お金というエネルギーを他の人に分け与える、という行為は時には偽善的になりがちだが、当たり前のこととして経験をさせた父親に今では感謝をしている。
父親は強烈な人で面白いエピソードもたくさんある。
今はまだ書かないが、いずれ死んだらブログのネタにしようと思っている。
お金というものはエネルギーの一つである。
これだって奪う人はいるし、分け与える人もいる。
昔、まだ20代前半の時の話である。
アルバイト先に40代の気のいい先輩がいた。
ボクは可愛がってもらい、しょっちゅう飲みに連れて行ってもらった。
若いときというのは時間はいくらでもあるが金は無いもので、その人にはいつもおごってもらっていた。
あまりにいつもおごってもらうのも申し訳ないので、たまにはボクがおごりますと言うとその人はこう言った。
「若いときというのはお金がないものだ。オレがオマエ位の年の時には先輩におごって貰った。その先輩はオレにこう言った。『オマエがある程度年をとって余裕ができたら若いヤツに飲ませてやれ。そうやって次の世代に廻っていけばいいんだ』だからオマエは遠慮なく飲め。それで金に余裕が出来たときはオマエが若い衆におごる番だ」
ボクはその言葉を肝に命じた。
今、ボクは40を越え、とても裕福とは言えないが若いヤツらに飲ませてやれるくらいの余裕ができた。
若い世代に酒をふるまう機会も増えた。もちろんこの話をしながらである。
こうやってエネルギーは人から人へ流れる。
理想の形ではなかろうか。
去年の事である。
あるお客さんをテアナウのホテルまで送り届ける仕事があった。
ボクの仕事はチェックインまでである。
ホテルでチェックインした後、ポーターが忙しそうだったのでボクが部屋まで案内した。
部屋のドアを開けようとしたが鍵が上手く回らない。合鍵をもらってもダメ。
ホテルのスタッフに来てもらってやっと開いた始末だ。
お客さんは納得しない様子である。
そりゃそうだ。ぼくだってそんな部屋は使いたくない。
お客さんに待ってもらって、レセプションに交渉に行く。
幸い部屋の空きはあり、すぐに別の部屋を用意してくれた。
しかも一回り大きい部屋だ。鍵も問題なく回る。
お客さんは大喜びで、立ち去ろうとしたボクに$20のチップをくれた。
「ありがとうございます。では遠慮なくいただきます。それではよい旅を」
レセプションを通るときに先ほど部屋を用意してくれたスタッフがいた。
「さっきはありがとう。お客さんも大喜びだったよ。これはお客さんから」
ボクは$20のうちの$10を彼女に手渡した。
彼女も期待をしていなかったのだろう。喜んで受け取ってくれた。お金をもらって喜ばない人はいない。
ぼくのテーマは『みんなハッピー』である。
自分とお客さんだけがハッピーになるよりも、それをやってくれたホテルのスタッフも含めてハッピーになりたい。
こうやって幸せのバイブレーションは広がる。
帰りにビールを買ってフラットメイトのエーちゃんにも幸せのおすそ分けだ。
こうやって幸せの輪は広まっていく。
その晩はもちろん美味いビールが飲めた。
シェアの対角にあるのはエゴである。
『自分さえ良ければいい』というのがエゴの本質だ。
『自分さえ良ければいい』という想いは『自分の家族さえ良ければいい』となり『自分の友達や親戚さえ良ければいい』となる。
社会では『自分の会社や所属する団体さえ良ければいい』となり、最後に『自分の国さえ良ければいい』となる。
お互いにそう思っているので戦争となる。
戦争を産んでいるのはエゴである。
父親はことあるごとに「自分さえ良ければいいと思うな」と言っていた。
エゴの克服、これが一番大切なことで一番難しいことだが、ボクが小さいときからそれを教育していた父親をぼくは尊敬する。
ぼくも40も越えて、やっとエゴというものが見えはじめた。
エゴが見えたらそれを受け容れて忘れ去る。
その先には『みんなハッピー』という夢のような世界が待っている。
それを選ぶかどうかは自分だ。