あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

1年

2012-02-22 | 日記
クライストチャーチの地震から1年が経った。
時間が経つのが早いのか遅いのか分からないが、1年というのは一つの区切りではないかと思う。
この1年の間に数々のドラマがあった。
私生活で言えば職がなくなり新たな出会いがあり落ち着くべきところに収まった感じだ。
公で言えばさらに大きな日本の地震があり、そこでも数え切れないくらいのドラマがあった。
そしてまだドラマは続いている。
これらのドラマで亡くなった人の魂は、ある者は新しい命としてすでに生まれてきただろうし、ある者は次の世代の予備軍として新たな誕生を待っている。
ボクは輪廻転生というものを信じているので死というものを怖れない。
死とは自分がやるべきことをやり終えた時にやってくるものであり、それは人によって違う。
今の世の中では目に見える物が全てなので、死とは終わりであり忌み嫌うものであり、恐怖である。
平均寿命が伸びることは良いことであると言う。
ある時、この国の平均寿命を尋ねられたことがあった。
ボクは寿命とは一人の人間が人間がやるべきことをやり終えた時に終わるものであり、その平均を出すことに意味はないと思っているので、いったいこの国の平均寿命が何歳か知らない。
それをそのまま言うとその人は怒り出してしまった。
「平均の数字を出すことに意味があるじゃないか!」
そう言われても、それはその人の考えだしボクとは違う。
こういう人とはいくら話しても平行線で交わることはない。

2月の地震の直後、日本からマスコミが殺到した。
そしてここで現地のドライバーが必要ということで、ツアーがキャンセルとなり仕事がなくなったドライバーガイドが雇われた。
ボクのところにもそういう話がいくつかあったが、タイミングが合わなくて雇われなかった。
その直後に白昼夢を見た。
とてもリアルで現実か妄想か区別がつかないようなイメージがわいた。
その白昼夢とはこういうものだ。
あるテレビ局から報道カメラマンその他数名がやってきて、あっちへ行けこっちへ行けと言う。
最初はおとなしく取材をしていたのだが、そのうちに取材がエスカレートして被害にあった人のプライバシーに土足で入り込んだり、立ち入り禁止区域にもぐりこもうとするようになった。
ボクは自分が住んでいる町が荒らされるような気分になり爆発した。
「お前たちは黙って見てりゃ好き勝手なことばかり言いやがって、人の気持ちを土足で踏みにじるのか。もうオレは知らん。そんなにやりたきゃお前たちで勝手にやれ!」
そしてボクはあっけに取られている取材陣を車に残し、ご丁寧に鍵を抜き取りそのまま帰ってしまった。
そこで僕はハッとこちらの世界に帰ってきた。
話で聞くと報道の人達はかなりひどかったらしい。
取材の人が怪我をして病院に運ばれた人にインタビューをしようとして病院に潜入して捕まったなんて話も聞いた。
もしボクがそういう仕事をしたら癇癪をおこしてイメージどおりになっただろう。
やっぱりボクはその仕事をやらなくてよかった。
そしてそういうふうに出来ているのだろう。

地震から1年ということで追悼式典も催された。
日本からも遺族がニュージーランドを訪れた。
そしてまたそれを追う報道陣もやってきた。
ボクは普通の観光のお客さんを出迎えたのだが、同じ飛行機で遺族の人達も到着した。
取材陣は出口付近に陣取り、何か異様な雰囲気だ。
知り合いのガイドと話しているときカメラマンが来てその場の雰囲気で紹介されたが、その人はボクの目を見ないで挨拶をした。
後で女房にその話をすると、そういう人達は蛇のような目をしているという。
なるほど、確かにそうだな。
昔マイケルムーアの映画で報道カメラマンに質問をした場面を思い出した。
「一つの場所で殺人事件がありました。もう一つの場所では溺れていた人が助かりました。あなたはどちらへ行きますか」
カメラマンは迷わずこう答えた。
「殺人事件の現場です」
現代の報道とはそういうものだろう。
報道陣が待ち構える中、飛行機が着き乗客が出てきた。
ボクはその日のお客さんを出迎えた。
ニュージーランドへ観光でやってくる人を案内する仕事とはなんと幸せな仕事なのだろう。
観光業は行く先と出発する元の両方が安定して成り立つ仕事である。
どちらか一つが不安定ではお客さんも旅行をする気にはなれない。
そのことを理解しつつ、僕はその日のお客さんと共に南へ向かった。
普通の観光の仕事のなんとありがたいことか。
幸せは常にここにある。
コメント (2)
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