収穫
2012-04-04 | 庭
このところは毎日畑仕事に精を出す。
秋晴れの日に体を動かして仕事をするのは気持ちが良いものだ。
ボクが外で働いていた間にカボチャがぐんぐん育ち収穫の時期を迎えた。
家では二種類のカボチャを植えている。
一つはクリニシキという種類でこれは日本でもおなじみ、皮が濃い緑色をしたもので、煮物などに良い。
もう一つはクラウンパンプキンというこちらのもの。
煮物にするにはちょっと水っぽいのでボクはこれをよくスープにする。
かぼちゃは去年食べた後の種が、コンポストの中で一冬過ごし芽が出る。
ほっておくと雑草のようにかぼちゃの芽が出る。
ある程度間引きをしておいたらそれが育ち、大小十数個のかぼちゃが取れた。
取ってすぐだとまだ若いので、ある程度熟れさせる。
大きくて見栄えの良いものは友達におすそ分けも良い。
大地からの恵みはみんなでね。
小さいものもいくつも取れたので中をくりぬいて入れ物にして、庭の卵でかぼちゃプリンでも作ろうか。
それか豚挽き肉を味噌で味付けして中に詰めて、オーブン焼きでも良さそうだ。
夢は膨らむ。
庭仕事をしていると友達のマサが遊びに来た。
二月三月と仕事が詰まっている間は会えなかったが、ようやく会う時間ができた。
会えない時は会えないが、会うときはジグソーパズルのピースがはまるようにすんなり会える。
それがタイミングというものだ。
彼はシェフをやっていて、ボクのちょっといい加減な自然農に共感をしてくれる。
馬が合う、という言葉がある。何故馬なのか知らないが、僕たちは初対面から意気投合した。馬が合ったのだ。
そんなマサと庭でお茶を飲み色々な話をする。
印象に残ったのは食という言葉である。
人に良いとかいて食。食べることは人を良くするという話。
これは彼の師匠から教わった言葉なんだそうな。
なるほどなあ。全くだ。
健全で美味しい物を食べること。
ボクは人生において最も大切な事の一つだと常々考えていたが、後ろから背中を押された気がした。
全ては繋がる。
日本には食文化というものがある。
旬の物を美味しくありがたくいただくという所が根底にある。
食べ物はありがたくいただくものなので自然と無駄はなくなる。
今の日本はどうか?
工場で大量に作られた弁当が期限切れになり毎日何万食が捨てられている。
地球の裏側では食べるものがなくて毎日何万人もの人が死んでいるというのに。
みんながおかしいと思いながらも時勢に流されて生きている。
失われつつある食文化を残すのは僕たちの役目だ。
それには先ず、自分から家族から、健全で本物の食べ物を食べることから始まる。
マサは手土産に自家製のりの佃煮を持ってきてくれた。
シェフをやっているだけあって、当然美味い。
前回の話を読んで、炊きたてご飯にはこれが合うだろうと持ってきてくれた。
ありがたや、ありがたや。
お返しに庭で採れた野菜を持っていってもらう。
ニンニク、かぼちゃ、シソ、シルバービート。
家の野菜も彼の家族に食べてもらえるなら幸せだろう。
ボクも彼に野菜を持って行ってもらえて幸せ。
彼も旬の野菜をもらって幸せ。
のりの佃煮も我が家で旨い旨いと食ってもらって幸せ。
それを食う自分が幸せ。
そこに関わる人や物が全て幸せになる。
システムが健全な証拠だ。
その根底は愛である。
ただそれを信じるのみ。
簡単なことだが、一番簡単なことは一番難しいことでもある。
マサが帰った後も庭仕事を続ける。
トマト、ズッキーニ、かぼちゃ。夏に育った野菜は収穫の時期である。
収穫というものも大事な仕事だ。
時期を逃すと、美味しくなくなってしまう。
一番美味いという時、これもタイミングだな。それを逃さずにありがたく大地の恵みをいただく。
そして無駄なくそれを料理するのも大切な仕事。
今日はマサに教えてもらったスパゲティ・シソベーゼ。
ジュノバーゼはバジルペーストで作るのだがそれをシソで作る。
シソは雑草状態で生えており食べきれないぐらいにある。
松の実、ニンニク、オリーブオイル、シソの葉を大量、アンチョビ、これらをフードプロセッサーで混ぜるだけ。好みでパルメザンチーズを入れる。
これを茹で上げパスタに絡めるだけ。シンプルである。
娘は多分食べられないだろうからとニンニクとトマトでトマトソースを作った。
ニンニクは去年の今頃植えたものをお正月に収穫して干し、女房が編みこんだ物である。
使う分を常にガレージから取ってきて使う。
こうなればいいなと思うことはいつも実現する。
ニンニクやカボチャのように収穫して、ある時期をおいて美味しくなるものもあるし、葉物のように新鮮さが大切というようなものもある。
ブロッコリーは丁寧に虫を取って塩茹で。
レタスのサラダに木で熟したプチトマトときゅうりを入れる。きゅうりはカボチャの陰にひっそりと成っていたのを今日発見した。
ズッキーニはガーリックオリーブオイルで軽く焦げ目が付くぐらいに焼く。味付けは塩のみ。
全てが美味く全てが完璧。
旬の野菜はそれぞれの味を主張して、それでいて優しい。
以前いただいた白ワインがこれに良く合う。
旨い物に旨い酒、幸せである。
幸せは常にここにあり、それが愛なのだ。
ニュージーランドに居ても感じる日本の食文化。
ボクは喜んでその継承者となろう。
秋晴れの日に体を動かして仕事をするのは気持ちが良いものだ。
ボクが外で働いていた間にカボチャがぐんぐん育ち収穫の時期を迎えた。
家では二種類のカボチャを植えている。
一つはクリニシキという種類でこれは日本でもおなじみ、皮が濃い緑色をしたもので、煮物などに良い。
もう一つはクラウンパンプキンというこちらのもの。
煮物にするにはちょっと水っぽいのでボクはこれをよくスープにする。
かぼちゃは去年食べた後の種が、コンポストの中で一冬過ごし芽が出る。
ほっておくと雑草のようにかぼちゃの芽が出る。
ある程度間引きをしておいたらそれが育ち、大小十数個のかぼちゃが取れた。
取ってすぐだとまだ若いので、ある程度熟れさせる。
大きくて見栄えの良いものは友達におすそ分けも良い。
大地からの恵みはみんなでね。
小さいものもいくつも取れたので中をくりぬいて入れ物にして、庭の卵でかぼちゃプリンでも作ろうか。
それか豚挽き肉を味噌で味付けして中に詰めて、オーブン焼きでも良さそうだ。
夢は膨らむ。
庭仕事をしていると友達のマサが遊びに来た。
二月三月と仕事が詰まっている間は会えなかったが、ようやく会う時間ができた。
会えない時は会えないが、会うときはジグソーパズルのピースがはまるようにすんなり会える。
それがタイミングというものだ。
彼はシェフをやっていて、ボクのちょっといい加減な自然農に共感をしてくれる。
馬が合う、という言葉がある。何故馬なのか知らないが、僕たちは初対面から意気投合した。馬が合ったのだ。
そんなマサと庭でお茶を飲み色々な話をする。
印象に残ったのは食という言葉である。
人に良いとかいて食。食べることは人を良くするという話。
これは彼の師匠から教わった言葉なんだそうな。
なるほどなあ。全くだ。
健全で美味しい物を食べること。
ボクは人生において最も大切な事の一つだと常々考えていたが、後ろから背中を押された気がした。
全ては繋がる。
日本には食文化というものがある。
旬の物を美味しくありがたくいただくという所が根底にある。
食べ物はありがたくいただくものなので自然と無駄はなくなる。
今の日本はどうか?
工場で大量に作られた弁当が期限切れになり毎日何万食が捨てられている。
地球の裏側では食べるものがなくて毎日何万人もの人が死んでいるというのに。
みんながおかしいと思いながらも時勢に流されて生きている。
失われつつある食文化を残すのは僕たちの役目だ。
それには先ず、自分から家族から、健全で本物の食べ物を食べることから始まる。
マサは手土産に自家製のりの佃煮を持ってきてくれた。
シェフをやっているだけあって、当然美味い。
前回の話を読んで、炊きたてご飯にはこれが合うだろうと持ってきてくれた。
ありがたや、ありがたや。
お返しに庭で採れた野菜を持っていってもらう。
ニンニク、かぼちゃ、シソ、シルバービート。
家の野菜も彼の家族に食べてもらえるなら幸せだろう。
ボクも彼に野菜を持って行ってもらえて幸せ。
彼も旬の野菜をもらって幸せ。
のりの佃煮も我が家で旨い旨いと食ってもらって幸せ。
それを食う自分が幸せ。
そこに関わる人や物が全て幸せになる。
システムが健全な証拠だ。
その根底は愛である。
ただそれを信じるのみ。
簡単なことだが、一番簡単なことは一番難しいことでもある。
マサが帰った後も庭仕事を続ける。
トマト、ズッキーニ、かぼちゃ。夏に育った野菜は収穫の時期である。
収穫というものも大事な仕事だ。
時期を逃すと、美味しくなくなってしまう。
一番美味いという時、これもタイミングだな。それを逃さずにありがたく大地の恵みをいただく。
そして無駄なくそれを料理するのも大切な仕事。
今日はマサに教えてもらったスパゲティ・シソベーゼ。
ジュノバーゼはバジルペーストで作るのだがそれをシソで作る。
シソは雑草状態で生えており食べきれないぐらいにある。
松の実、ニンニク、オリーブオイル、シソの葉を大量、アンチョビ、これらをフードプロセッサーで混ぜるだけ。好みでパルメザンチーズを入れる。
これを茹で上げパスタに絡めるだけ。シンプルである。
娘は多分食べられないだろうからとニンニクとトマトでトマトソースを作った。
ニンニクは去年の今頃植えたものをお正月に収穫して干し、女房が編みこんだ物である。
使う分を常にガレージから取ってきて使う。
こうなればいいなと思うことはいつも実現する。
ニンニクやカボチャのように収穫して、ある時期をおいて美味しくなるものもあるし、葉物のように新鮮さが大切というようなものもある。
ブロッコリーは丁寧に虫を取って塩茹で。
レタスのサラダに木で熟したプチトマトときゅうりを入れる。きゅうりはカボチャの陰にひっそりと成っていたのを今日発見した。
ズッキーニはガーリックオリーブオイルで軽く焦げ目が付くぐらいに焼く。味付けは塩のみ。
全てが美味く全てが完璧。
旬の野菜はそれぞれの味を主張して、それでいて優しい。
以前いただいた白ワインがこれに良く合う。
旨い物に旨い酒、幸せである。
幸せは常にここにあり、それが愛なのだ。
ニュージーランドに居ても感じる日本の食文化。
ボクは喜んでその継承者となろう。