この世は愛で出来ている。
では一体愛とは何か?
漠然としすぎて良く分からなくなってしまっている。
愛とは人を思いやる気持ちであり、エネルギーであり、波動であり、森羅万象であり、自分自身であり、神である。
愛とは楽しいものであり、愉快なものであり、美しいものであり、美味しいものである。
宇宙の基本の法則が愛なのである。
どの宗教も根底は愛なのだが、人間の受け止め方の違いから宗教は分裂し戦争にまでなってしまっている。
キリスト教もイスラム教も仏教も神道も全て、原点は愛である。
人間はのめりこむと自分が信じるものが正しく、それと違うものは間違いと思い込む。
善悪というものがここで生まれる。そして排他的になる。
娘が小さい頃、良くボクに聞いた。
「それって善い事?悪い事?」
良いか悪いか、二つに分けてしまうことが間違いなんだ、ということについてはこれからゆっくりと教えていくつもりである。
愛には良いも悪いもない。
それらを全てひっくるめたものが愛だからである。
片方から見た善悪は反対側から見れば逆になる。
誰もが自分は正しいと思っている。僕も思っている。
そこで「あなたは間違っています」といわれれば傷つく。「うるせー、バカヤロー」と言いたくもなるものだ。
だが世の中には隠された真実や、自分達がまだ知らない事は山ほどある。
今、この次元からでは理解できないこともある。
常識とは覆されるものなのだ。
昔、ガリレオが「地球が動いている」と言った時に人々はどう反応したか?
ノアが方舟を作って「洪水が来るぞ」と言った時でも人々は最後の瞬間まで略奪をやめなかった。
今の世の中で言えば原子力神話は崩れようとしている。
隠し切れない真実が明るみに出てくるからだ。
ウソで塗り固められたエゴは、真実の明るい光の前では存在できない。
そうならないようにエゴは巧みに人の心を利用して隠れようとする。
だが真実の愛を知っている人にはそれは砂上の楼閣。
洞窟の奥に映っている影絵にすぎない。
愛とは心で感じるものであり、ほのぼのしたものである。
胸の奥で何となく感じる、暖かい気持ちだ。
それは宇宙からのメッセージであり、神の言葉であり、自分の直感である。
この感覚はとても微弱なものなので、見過ごしてしまうこともある。
一つやり過ごしても心配することはない。
メッセージは次から次へとやってくる。
ピンと来たものを拾い上げればいい。
物事には色々なやり方があり、こうでなければいけないというものはない。
ボクの経験で言えば、ヨガを何種類か試したが自分にはピンと来なかった。だが気功は一回目でピンと来た。なので今でも時々気功をやっている。
だからと言ってヨガを否定はしない。
ヨガも気功も座禅も瞑想も元は一つ。
自分に合うかどうかだけだ。
タイミングが合えばヨガも始めるかもしれない。それはその時になれば分かることだろう。
全て根底は愛である。
「こうしなければいけない」と思い込む人は多い。
だがその感情はどこから来ているものか?
誰かが言った言葉だろうか。
テレビで言ったからか。
本に書いてあったからか。
気をつけなければいけないのは、情報は操作されるということだ。
巷には星の数ほどの情報がある。
あるものは正しいし、あるものは古く今の世の中では通用しない。
ウソで塗り固められた情報もあるし、愛を利用してもっともらしく書かれたものもある。
もちろん愛の法則に則ったものも数多くある。
それを信じる信じないは全てその人の判断と責任であり、他人がとやかく言うことではない。
ただ情報は鵜呑みにしてはいけない。
ある情報があったら、一回間をおいて自分の心に入れてみるとよい。
そこで違和感があったらそれは流すべきだし、同調するならばそれを拾い上げればいい。
ただし、どんな結果がやってこようとそれを拾い上げた自分の責任として受け止める覚悟がいる。
「○○が言っていたから」「○○に書いてあったから」という言い訳は通用しない。
ボクの言葉も一つの情報である。
疑ってかかっておおいに結構。
それよりもボクが怖れているのは、「聖さんが言ったから」と盲目的に信じられることだ。
それでは新興宗教の教祖と変わらない。
ボクの文を読んで一呼吸おいてほしい。
その上で「そう、その通り」「そうかあ、あたしはちょっと違うな」「何を偉そうなことを言っているんだ、こいつは」「お前は甘いぜ」「なるほどね」「まあそういう考えもあるわな」「激しく同調します」「いいじゃん、あなたがそう思うなら」なんでもよろしい。
こうでなければいけない、というものは世の中にはないからだ。
いや一つだけあるな。
それが愛なのだ。
愛を信じてさえいれば全てはうまくいく。
かといって依存してはいけない。
依存した時点で真実の愛からかけ離れてしまう。
愛とは誰もが持っている心の奥でほのぼのと燃える炎である。
それを信じるのみ。
簡単なことだ。
だが一番簡単なことは一番難しいことでもある。
愛とはワンネス。
全てはひとつであり、自分もその一部なのだ。
では一体愛とは何か?
漠然としすぎて良く分からなくなってしまっている。
愛とは人を思いやる気持ちであり、エネルギーであり、波動であり、森羅万象であり、自分自身であり、神である。
愛とは楽しいものであり、愉快なものであり、美しいものであり、美味しいものである。
宇宙の基本の法則が愛なのである。
どの宗教も根底は愛なのだが、人間の受け止め方の違いから宗教は分裂し戦争にまでなってしまっている。
キリスト教もイスラム教も仏教も神道も全て、原点は愛である。
人間はのめりこむと自分が信じるものが正しく、それと違うものは間違いと思い込む。
善悪というものがここで生まれる。そして排他的になる。
娘が小さい頃、良くボクに聞いた。
「それって善い事?悪い事?」
良いか悪いか、二つに分けてしまうことが間違いなんだ、ということについてはこれからゆっくりと教えていくつもりである。
愛には良いも悪いもない。
それらを全てひっくるめたものが愛だからである。
片方から見た善悪は反対側から見れば逆になる。
誰もが自分は正しいと思っている。僕も思っている。
そこで「あなたは間違っています」といわれれば傷つく。「うるせー、バカヤロー」と言いたくもなるものだ。
だが世の中には隠された真実や、自分達がまだ知らない事は山ほどある。
今、この次元からでは理解できないこともある。
常識とは覆されるものなのだ。
昔、ガリレオが「地球が動いている」と言った時に人々はどう反応したか?
ノアが方舟を作って「洪水が来るぞ」と言った時でも人々は最後の瞬間まで略奪をやめなかった。
今の世の中で言えば原子力神話は崩れようとしている。
隠し切れない真実が明るみに出てくるからだ。
ウソで塗り固められたエゴは、真実の明るい光の前では存在できない。
そうならないようにエゴは巧みに人の心を利用して隠れようとする。
だが真実の愛を知っている人にはそれは砂上の楼閣。
洞窟の奥に映っている影絵にすぎない。
愛とは心で感じるものであり、ほのぼのしたものである。
胸の奥で何となく感じる、暖かい気持ちだ。
それは宇宙からのメッセージであり、神の言葉であり、自分の直感である。
この感覚はとても微弱なものなので、見過ごしてしまうこともある。
一つやり過ごしても心配することはない。
メッセージは次から次へとやってくる。
ピンと来たものを拾い上げればいい。
物事には色々なやり方があり、こうでなければいけないというものはない。
ボクの経験で言えば、ヨガを何種類か試したが自分にはピンと来なかった。だが気功は一回目でピンと来た。なので今でも時々気功をやっている。
だからと言ってヨガを否定はしない。
ヨガも気功も座禅も瞑想も元は一つ。
自分に合うかどうかだけだ。
タイミングが合えばヨガも始めるかもしれない。それはその時になれば分かることだろう。
全て根底は愛である。
「こうしなければいけない」と思い込む人は多い。
だがその感情はどこから来ているものか?
誰かが言った言葉だろうか。
テレビで言ったからか。
本に書いてあったからか。
気をつけなければいけないのは、情報は操作されるということだ。
巷には星の数ほどの情報がある。
あるものは正しいし、あるものは古く今の世の中では通用しない。
ウソで塗り固められた情報もあるし、愛を利用してもっともらしく書かれたものもある。
もちろん愛の法則に則ったものも数多くある。
それを信じる信じないは全てその人の判断と責任であり、他人がとやかく言うことではない。
ただ情報は鵜呑みにしてはいけない。
ある情報があったら、一回間をおいて自分の心に入れてみるとよい。
そこで違和感があったらそれは流すべきだし、同調するならばそれを拾い上げればいい。
ただし、どんな結果がやってこようとそれを拾い上げた自分の責任として受け止める覚悟がいる。
「○○が言っていたから」「○○に書いてあったから」という言い訳は通用しない。
ボクの言葉も一つの情報である。
疑ってかかっておおいに結構。
それよりもボクが怖れているのは、「聖さんが言ったから」と盲目的に信じられることだ。
それでは新興宗教の教祖と変わらない。
ボクの文を読んで一呼吸おいてほしい。
その上で「そう、その通り」「そうかあ、あたしはちょっと違うな」「何を偉そうなことを言っているんだ、こいつは」「お前は甘いぜ」「なるほどね」「まあそういう考えもあるわな」「激しく同調します」「いいじゃん、あなたがそう思うなら」なんでもよろしい。
こうでなければいけない、というものは世の中にはないからだ。
いや一つだけあるな。
それが愛なのだ。
愛を信じてさえいれば全てはうまくいく。
かといって依存してはいけない。
依存した時点で真実の愛からかけ離れてしまう。
愛とは誰もが持っている心の奥でほのぼのと燃える炎である。
それを信じるのみ。
簡単なことだ。
だが一番簡単なことは一番難しいことでもある。
愛とはワンネス。
全てはひとつであり、自分もその一部なのだ。